ただいま滑空中

ただいま滑空中。 文章を書くことに慣れるため始めました。 日頃自分が考えたこと、感じた…

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ただいま滑空中。 文章を書くことに慣れるため始めました。 日頃自分が考えたこと、感じたことを書けたらなと思っています

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風だ より「詩」

和紙を割きできたような松をこし 大海原に、山が2つ浮いている 風はその隙間を通り、軽く笛の音をつかんだようだ 地を浮き上がらせるように また白く汽笛を吐くように 笛の音が頬杖を駆け、背を羽ばたかせる

    • 流れ星[詩]

      流れ星の夢を見た ほんの長針が首を傾げた間に出た 雨上がり空を見ていたが 星が動いたのはまだ夢と 雨の音の中のときだ

      • 雨の日の晴れの音楽「詩」

        小舟の揺れに笑顔が見えるのは 波と心の境目の中だろうか 空の高さが 心を引き延ばし 橋の高さが 心を下に引っ張るのは 天は私が上下に動くことを気に入らぬからだろうか 眺めるのが好きな雨の日に 晴れの音楽を聴くのは きっとどちらも幼く聞こえるからだ

        • AI作品は人の為になるのだろうか

          さてAIの作った作品は素晴らしい… 感動を与えてくれるものであることは間違いない。 しかし最近、AIの作品が人の人生に意味をもたらす可能性は意外と低いのではと思うようになった。 少なくともAIを表現のツールとして使うということに関して。 今の状態は例えるなら、可愛い女の子とに毎日囲まれている状態である。 (こんな例えが嫌いな方申し訳ない) この可愛い女の子とはそれぞれを個性を持っていて、時として物凄い刺激を与えてくれる。 面白いのは、この可愛い女の子とはすぐに分身を作る

        風だ より「詩」

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          47本
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          3本
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          3本

        記事

          人権とはについての「友達への返信」

          最近友達とhuman rightsについて話す機会があった。 ところが、友達は日本人でない。 そして日本語も喋れない…. 英語で喋ろうとなるのだがとうの私の英語は中学生で止まっている。 そんなわけで今回の文は電話の後にメッセージで送ったものだ。 最近全くnoteに記事を投稿していなかったので、記録がてらここに書き残しておきたい。 僕も少し考えたのですが集団において人権は 個人の思想や人生観の表現が迫られる事態を避けるものであるのではないかと思います。 以下長くなりますが理

          人権とはについての「友達への返信」

          感謝

          空気よりうすく 風にすらもなびかず みぬふりをしていたい 僕はそんな立派な人ではないのだ 僕の感謝は靠れて、色がつくほどカッコ良くなく 空気よりうすく 風にすらもなびかず 面白い返答ひとつも作れず 子供の笑いに嫉妬しているわけではない ただ少し 目が開いている間に 声の響かない今日を願う理由がほしい

          自分に正直とは

          自分に正直なことは生きていくでとても大切な要素だと思う。 1番大事だと言ってもいいかもしれない。 もし本当に正直になれたら 今何をやりたいかなど考える必要はなく ただ自分の欲望なのか心の迫から湧き起こる感情なのかに任せ自分のやりたいことをすればいいのだ。 だがそれはとても大変なことだ。 そして僕は人は必要なこと以外することができないとも 最近少し思うようになった。 何を基礎として考えを積み立てるかはとても大事なことだ。 そしてもし人間の行動に基礎をみつけようとするなら

          自分に正直とは

          筆を走らせ なんてつまらぬ文だと思うのだ 凝り固まり 時が過ぎれば面白さのかけらも 心の動きすら与えてくれない それに心酔しきっている今を 少し突き放すようにみて なんて馬鹿なことをしているかと思う だがそれ以外に何ができる 私には酔う以外 次の足場の立て方を知らないのだ 完璧なものなどないと本気で言えるだとうか 本当に思ったことがあるだろうか 全ては変化する だがそれでも今落ち込むように進まず 期待をやり過ごす方法があるのだろうか

          やっぱりどう認識するかは大事なのだろうか..

          何かをどう見るかはとても悩ましい問題だ。 何かという曖昧さと、どう見るかという少し頭の良さそうな言い回し…. 全てが重なりさらに悩ましそうな雰囲気を作り出している。 少し真面目に今日今から書きたいことをまとめると.. 多分こんな感じである 何かを見るということは 何かを見ているわけである… つまり何かを見ているということは ”どうにか”してそれを見ているわけで…. それをどうにかまとめると つまり何かしらをどうにか見るということは 結局どのように見るかという問題に行き着

          やっぱりどう認識するかは大事なのだろうか..

          虎がらの蝶が 視界の隅へと 滑り込み チラチラと 鮮やかに古びていく 踵を元の位置へ 長く弧を描けば 百の世界を 見れるのでしょうか

          僕と昔の人

          人と人 人混みは人の集まりのとしてのまとまりだろう 1人1人の人間がたくさん集まり人混みが出来上がる。 しかし道の向かいから1人の人が歩いてきた時 その人は人混みを背負っているように思えるだろうか もしかしたら場所によって変わるかもしれない 街中の裏路地と 田舎の草が跳ねているような畦道を歩くのでは全く違うだろう。 だけどこれはとても面白いことだ かくいう僕は人と接するのが大の苦手で それも、僕がすぐ守りに入るのが一番の理由だと思っているのだが まぁ これが人が多いと

          仏教には何故目的があるように思えるのだろう?

          なぜ仏教には目的があるように思えるのだろうか そんなことを最近思っていた お坊さんから聞いたこと 六道というものを聞いたことがあるのだろうか これは、たまたまあったお坊さんから聞いて初めて知った 六道が持っている要素は 天上界(てんにん) 人間界(にんげん) 修羅界(しゅら) 畜生界(ちくしょう) 餓鬼界(がき) 地獄界(じごく) というらしいのだが この要素には方向性があるようである 例えば地獄はどうみても天上よりも状態が悪そうである 餓鬼も名前から想像できるに楽し

          仏教には何故目的があるように思えるのだろう?

          早朝

          碧くあおむけに 白く流れる空を 年老いた手におよがし 乾いた風か 葉先に涙を 寄せていく 星に照れられ 隠れられぬよう 靴の紐に意味を見つけようと

          最近あったこと

          先月、最近人生で初めて秋田と青森に行く機会があった 秋田では知り合いの人にお世話になり (色々あった) その後青森に行くことになったのだが 案の定、計画性の破綻した私は 飛行機のキャンセルやなんやらでどう考えても効率的とは言えない 移動費をたたき出してしまった さて、青森に入ったコンビニですぐ 私はお会計をしている最中に小銭を落としてたのだが お会計をしてくださっていたオバさんが「おじゃ」のようなことを言ったのだ 思わず「おじゃ」ってどんな意味なんですか? と聞いてしまっ

          最近あったこと

          自分の属性をより良くする?

          貴方にはどんな属性があるだろ 優しいだろうか ? 性別は? 割り勘が好きな方だろうか? 私という大きな存在を観察していると 様々な属性を持っていることに気づく そう感じる 目的と属性 世の中の人もそれに気づき 目的のために属性をどう変化させるか考えていると思うのだ 属性を切り分けることで 属性同士の関係性がわかる 関係性がわかればそれをどう変化させれば良いかわかる気がするのだ それがいわゆる how toな気がする そして関係性を見つけ出したり より細かく見えるか

          自分の属性をより良くする?

          花がきれいだと ジョウロへ水をとばし 半歩 進む 短い影