見出し画像

案じてから産んでもいいよ。【心配性の出産】

私は心配性だ。自分でもそう思うし、人からも言われるし、初めて受けた手相占いでもそう言われた。

そんな自分が出産するにあたり、不安にならないわけがなかった。

日に日に大きくなってゆくお腹。近づいてくる出産予定日。

お産ってどのくらい痛いんだろう。骨折もしたことがない、万年文化部の痛み耐性の無い自分が、無事産むことができるだろうか。無事に産まれたとして、赤ちゃんをかわいいと思えるだろうか。生活が一変して、やっていけるだろうか・・・

不安の種はいくらでもあり、心配はしてもしてもし足りない。

そういう不安全般を、夫によく聞いてもらっていた。妊娠後期に入った頃だっただろうか、いつものように私から心配ごとを聞かされた夫が、淡々とこんなことを言ってきた。

「青い実は、心配することで安心しているんだね」

意外な言葉に驚いた。だって心配して安心するってどういうことだろう。いつも、安心したくて、できないから、心配しているのに。

しかしよくよく考えてみると、確かに言い得て妙だった。「心配」という答えのない問答をしている間、私は目の前にある現実から目を逸らしているのだ。現実への具体的なアプローチを先延ばしにして、とりあえず「心配する」という行為で、頭だけ動かして、なんとなく対処しているような気分だけ味わって安心していた。

そのことに気がついた時、つきものが落ちた心地で、じゃあ本当にこの現実(もうすぐお腹から子どもが出てくるということ。それは並大抵のことではなく、今の自分では乗り越えられる自信が持てないと感じていること)に対処するにはどうしたら良いのか、何か行動できることはないだろうかと、シンプルな頭で考えられるようになった。

その結果として、私はとことんリサーチをした。具体的には、本、漫画、ネット(知恵袋系やSNSやYouTube、もちろんnoteも)などで、ひたすらに出産や育児の体験談を読み、視聴しまくった。

色々な人が、各々の出産について発信してくれていた。それぞれに悩みがあり、喜びがあり、誰とも被らないドラマがあった。

さらに調べているうちに「ソフロロジー出産」という、お産の痛みを前向きに捉え、穏やかな出産を目指すといった考え方にも出会った。自分に合っていそうだったので専門書を買い、呼吸の練習やストレッチなどできる範囲で取り入れた。詳しいことはここでは書ききれないが、この準備は個人的にはかなり役に立ったので気になる方は一度調べてみてほしい。

そしてなんとか無事に(この一言でまとめるのは悔しいくらい大変だった)出産を終え、私が思ったのは「心配しておいてよかった」ということだった。心配を出発点として調べたこと全て、役に立ったと思えた。

「案ずるより産むが易し」という言葉があるけれど、私が思うに心配性の人にとってこの言葉は逆効果だ。だって心配性の人は、もうどうしたって心配してしまうのだから。産むが易しなわけがないだろ、と不安になってしまうのだから。ならば、とことん心配しつくしてから、本番を迎えたら良いじゃないか。

私がこう思えたのは、心配をエネルギーにして、リサーチという割と得意な行動に変換することができたからだと思う。心配性だったからこそ得られた知識も多い。子育てが始まってからも、例えばうちの子は少し珍しい種類のアレルギー持ちだったが、事前にSNSで事例を見たことがあったので比較的冷静に対処することができた。

「案ずるより産むが易しよ。」
その言葉に、なんだか突き放されたような、孤独な気持ちになったあの時の自分に声をかけるとしたら。

「案じてから産んでもいいよ。」

ずっと心配性は短所だと思っていたけれど、私はこの性(さが)に助けられているのだと、出産という人生最大の”心配事”を通して気づくことができた。
私はきっと、これからも心配性だ。だから心配をエレルギーに変えて、自分にとっての心地よく生きる方法を探していきたいと思っている。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?