王国のあさ(3)
うちに帰ったら、わたしがだめな子だからわるいんだって。
お父さんお母さん、二人にいわれる。
妹もたぶん、そうおもってる。
わたしには、いていい場所がないの。
どこにいっても、じゃまみたい。
もう、図書館に住んじゃいたいの。
本を読んでも、しかられないもの。逆にほめてもらえるなんて、天国みたい。
図書館の人、やさしいんだ。
同じ組の男の子の、お母さんだったの。
しらなかった。
わたしがおなかがいたいっていったら、家までおくってあげようかって。
近所だから、いいわよっていってくれたの。
知らない人に、そんなこと…してもらっていいのかな。
すごくドキドキして、ことわっちゃった。
お母さんがやさしいひとで、いいなあ。うらやましいよ。
その子がすこしいじわるするんだって、いえなかった。
給食のちらしずしをあげるから、いじめないでって。
前にいったけど、あんまりかわらなかった。
ねえ、どうして…? って、あの子のお母さんに言いたいけど。
でも、あんなにやさしいヒトにかなしい顔させるの、いやだなあ。
だって、わたしのせいでこまらせるんだよ?
…やめとこう、言うの。
でも、五時になったら図書館がしまっちゃう。うちに、かえらなきゃ。
…おなか、いたいな。
世界が終っちゃえばいいのにって、毎日いのってるのに。
わたしのココロより、世界のほうがずっとじょうぶみたい。
わたしのカラダがこわれたら、いいのに。
ねつがでたら、学校をやすめるし。
気がくるったら、ずっとびょういんにいてよくなるんだよね。
なのに、わたしの頭。とってもジョウブなんだ。
どうして、くるっちゃわないのかなあ。
宿題をして、スーパーのチラシを見る。
ねだんをくらべて、あした買うものをメモする。
お父さんの、お酒のつまみを作る。
お母さんは、なかなか帰ってきません。
パートに、いっているからです。
わたしは、お母さんのかわりをします。
お父さんのすきな、おさとうをいれた卵焼きとかをつくります。
さいきんは、あげだしトウフみたいなの。フライパンで、あぶらをすこし多くしてやきめをつけるの。
おトウフは安いので、毎日つくってもだいじょうぶだからです。
妹は…。
アゲハがなにをしているのかは、わかりません。
彼女は、おつまみを作りません。
それは、わたしのしごとだからです。
…ほんとうは、つかれてるからやりたくありません。
お父さんがおこりださないように、お酒のための湯をわかして、グラスとお皿をだして、かんぺきにセットします。
ねてくれれば楽ですが、いつまでも話を聞かされることがおおいです。
たいていは、じまんばなし。それから、だれかの悪口です。
じぶんがすごいと言うために、知りあいの…同じ鉄工所をやっているひとたちを、けなします。
聞きたくないけど、だれも聞かないときげんが悪くなります。
母も、父のそばにわたしを残して寝室へにげました。
わたしは毎晩、父の言葉を固めたもので殴られます。
さいしょのうちは、たくさん反抗しました。
だけど、ムダでした。
子供の知恵では、大人にかないません。
わたしの言葉は、どちらへ逃げても父につかまり、せんぶ否定されます。
泣いてぐったりするまで、言葉のゲンコツはとまりません。
わたしはきっと、このおうちのごみばこです。いらないものはみんな、わたしのなかにはきだせばいい。
みんなが、そういうふうに思っているのでしょう。
わたしがたすけた妹は、わたしをみすててにげました。
母も、わたしをたすけてくれません。
父と母はレンアイケッコンだというのですが、しょうらいはこんなふうになるのですね。
ケッコンとか好きなヒトとか、学校の女の子たちは話しているけど。
ゲンジツって、こんなものです。
ケッコンなんて、わたしはしたくありません。
好きなヒトなんて、一生できないと思います。
だいいち、じぶんがおとなになるところは、そうぞうできません。三十さいぐらいで、しんでいる気がします。
…はやく、そうなりたいです。
もう、なんにもいらない。
いいことなんて、ひとつもないってわかってるから。
だれか……。
だれか、はやく…わたしをころしてくれないかな。
藤原聖美の姉、沼津雅美の証言。
…ええ、そうです。
玄関のところに、レジ袋に入ったのがぶら下げてありました。
中身は、肉でしたね。五百グラム位あったでしょうか。一キロまでは、なかったと思います。
スライスされて、きれいに並べられてラップされていたので、不審には思いませんでした。
聖美は、よろこんでました。
遠くへお嫁にいったアゲハちゃんが帰ってくるんだから、ごちそうを用意するってはりきってました。
肉でもお米でも、都会に行ったらびっくりするくらい高いんですってね。
だから、おなかいっぱい食べさせてやるんだって。
それが、予定が変わったそうなんです。
アゲハちゃんのだんなさんも来るはずが、仕事で数日帰省が遅れるって連絡が来たそうなんです。
忍さんも、あまり食べなくて。
ホラ、あの人はお酒ばっかりだから。
スナック菓子をつまみに飲んで寝て、ご飯なんかちゃんと食べないそうなんです。
それでね、アケヲちゃんも呼ばれたんでしょう。
お肉が余ってもったいないからって、うちに寄って届けてくれたんです。
中に、メモ紙が入ってました。
おいしいお肉だから、冷凍しないですぐ食べてね、と。
おいしかったか教えてね、と。
たしか、そんなことが書いてありました。
アケヲちゃん、わたしの料理をよく食べてくれてね。
ませご飯なんか、好きでしたね。
亡くなった夫が九州出身だったもんで、他よりちょっと薄味なんです。
それが、とってもおいしいってね。
聖美のところに、よく届けてやりました。
引っこす前は目と鼻の先の団地に固まって住んでましたから、おかずのやりとりなんかはしょっちゅうでした。
母と上の兄も、すぐそばに住んでいましたし。
私たち兄弟、ほんとうに仲がよかったんです。いろいろ、助けあって生きてきましたよ。
私と末っ子の聖美は、上の姉に育てられたようなもんです。
父は早くに亡くなったもんで、母は私たち五人を育てるのに必死でしたから。
みんなが近くに集まっていましたけど、それぞれ巣立っていきました。
上の兄さんは早くに家を出てて、一番下の私たち姉妹が母のそばに残りましたね。
夫が家を建てて、私らが団地を出たのが先ですか。長男の優と、次男の拓也と。育ちざかりの男の子二人だもんで、借家は狭くてね。
聖美たちは…それから五年ぐらいして、家を建てて引っこしました。
…え、メモですか。あ、肉の?
あら、捨ててしまいました。
嫁が、ゴミステーションに出してくれたはすです。おとといの、もえるゴミの日に。
病気をしてから、半身が思うように動かないもんですから。
優と嫁が、同居してくれてるんです。
肉は、優がほとんど食べたと思います。
私は、たくさんは食べられないんです。胆嚢をとってからね。
嫁もいくらか食べましたけど、元から食の細いほうらしくてね。
優は、再婚です。私は、二人のことには干渉しません。
身のまわりのことを手伝ってくれるだけで、じゅうぶんですよ。
肉が余ったなら、拓也のうちに分けてやればよかったのに、って話しました。
でも、あの子のところは四人も子供がいるから、ぜんぜんたりないでしょうけど。
…え?
聖美のうちの冷蔵庫に、手つかずの肉のパックがある?
…それじゃ、あれは――?
だんだんお家がかたむいてきているのは、わかるんです。
じめんにたってる、建物のことじゃなくて。
父が建てた家と、自分で作った工場。
ソトガワはしっかりしてみえるから、外のヒトにはわからないかもしれません。
かたむいてるのは、ウチガワですから。
毎晩ケンカしているからきっと、よくないのでしょう。
お金がないのは、わかります。
きのうだされたトリ肉のケチャップ煮は、すえた臭いがしていたし。
父と母はとつぜん仲がよくなったり、わるくなったりします。
きのうは仲がよかったから、なにかいいことがあったのかな。
そうしたらすこし、変わったことがおこりました。
新聞社のひとが、うちにきたんですって。
きたのは、わるいことではありませんでした。
イギョウシュにちょうせんするジギョウヌシ。
そういうみだしで、地方新聞に写真がのったんです。
月面探査者だった父はむずかしい顔をして、包丁をにぎっています。
お肉屋さんが、直接おしえにきてくれるそうです。
もちろん、母もいっしょです。
うちはいつから、鉄工場からお肉屋さんになったのでしょう。
うちにはお金がないから、学校の調理実習にバターなんかをもっていくことはできません。
野菜だって、たまねぎ、じやがいも、にんじん。あるのは、その三つだけ。
くりかえしくりかえし、同じもの。
肉、肉じゃが、シチュー、肉。肉。
お肉にしてくださいって、先生にはいいました。
たくさんあるものね、それだけは。
なんの肉かだけは、ヒミツにしました。
だって、わからないと思うのです。
赤身の多い、ハンバーグ。
みんな、おいしいおいしいって。
とってもよろんで、食べてくれましたから。
わたしの胸も、すこぅしは軽くなったのでした。
藤原聖美の甥、沼津優の証言。
おばさんたちのこと、びっくりしましたね。
気の毒ですよ。
あんなことになって。
犯人は、頭がおかしいとしか思えないな。
早くみつけてやってくださいね。
母もあれから弱っちゃって、ずっと寝こんでるし。
おばさんと仲、よかったからね。ショックでしょう。
今日聞きたいのは、藤原アケヲのこと?
…へえ。
いいですよ、別に。
聞かれて困ることも、ないですから。
あいつのこと、オレはあんまり印象にないんだよね。
アゲハのことも、印象にないんだけどさ。
アケヲのやつ、法事なんかにも、めったに顔みせないから。
アゲハの結婚式で会ったのが、最後かな。
もう、五、六年前だよね。
あいつ、ずっと独身だからさ。
カレシはいるのかって、聞いてやったの。
アゲハが先に結婚したのに、姉のほうがまだなんて、ちょっとかわいそうに思ったんだよ。
よかったら、オレの友達紹介してやるから、って。
たしか、そんな話をしたね。
…え?
アケヲの反応、ですか。
あいつ、なにを言われても黙ってるからな。
いつもの無表情、ってヤツだったと思うけど。
あいつの気持ちなんて、オレにはわかんないね。
さびしくないのかね、独りで。
…オレかい。
…オレはダメさ。
ひとりなんて、耐えらんないよ。
バツイチん時、知りあった人とすぐ結婚したよ。
けっこう美人でさ、どうやってつかまえたんだって周りは言うけど。
フツーさ、フツー。
フツーに酒飲んで、話しただけ。
あ、アケヲのことね。
だから、あんまり記憶になくてさ…。
…従姉妹でしょう、って。
まあね、そうだよ。
でも、どっちかっていうと…年上の従姉妹のほうが記憶に残っててさ。
母さんの、兄さんの娘にあたるのか。
おじさんちの、女の子ね。
二人ともおしゃれしてて、かわいかったな。
うん?
二人とも、とっくに結婚したよ。離れてるから、あんまり会わないけど。
こないだ、誰かの葬式で顔をみたね。
小学生の、娘を二人つれてたよ。
やっぱり、親子だね。
従姉妹が小さいときの様子にそっくりでさ。
スカートからのぞいた足なんか、いいよね。
ヘアバンドで止めてる、生え際とかさ。
…え?
やめてくださいよ。
そんなんじゃないですって。
オレにはちゃんと、妻もいることだし。
そんな目で見てないですって。本当ホント。
それより、早く犯人をつかまえてやってくださいよ。
頼むよ、刑事サン。
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