「かわいい」の考察

「かわいい」は女の特権

話題になっている上野千鶴子氏の東大入学式の祝辞の中では性差別について触れられ、中でも、かわいい価値観については以下のように話された。

「女子は子どものときから『かわいい』ことを期待されます。ところで『かわいい』とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです」

私は高校時代に、大学卒の初任給に男女差があることに少しの不満を持ちながら仕方ない、と自然に受け止めていた。だから女は収入のある男と結婚して生活を安定させるのだということも。そして男は女を養うんだと。

一方で、「もし自分が結婚できなかったらどうなるのか」という不安はあったから、男性並みの収入を得られる資格をとった。

当時、理系は男子、文系は女子という風潮があり、男子と同じエリアに行きたくて理系へ行ったが厳しい空気があったのは事実だ。

試験でいい成績をとって先生の口から名前が出ると、「女子なのか」という声があがることがあった。「私個人なのか」ではなく「女子なのか」だ。

この性差別は「女子なのによく頑張っているな」という先生の言葉からも伺えたが、当たり前のような感じもあった。そして私は男子の世界で人並みにできれば、評価してもらえる、と利用していたことに今回気が付いた。

振り返ってみると性差別はまわりにあふれていた。

ここでひとつ書籍を紹介する。

『東京女子貧困。』中村淳彦・著

寡黙式取材術、という二三の質問だけ投げかけて、あとはひたすら聴くに徹する、中村氏独自の取材方法で拾い上げた数々の貧困女性の叫びの集大成で、シングルマザーの女性だけの収入で子供を育てることや、図書館司書の非正規雇用での収入ではまともな生活が到底できないことがつづられている。

女性の年収や待遇は男性のそれより劣るから、片親になったとき、どうしても厳しい状況になってしまうことは明らかだ。

バブル期の女性は、「年収のある男性と結婚したら勝ち組」で、そういう男性を見つけてしまえば人生は安泰になれた。しかし離婚や死別で一気に貧困に転落する、という極端な状況に陥るリスクもあり、この本にもそういう女性がいた。女性は自力で安泰な生活を維持できない。


だから女性は「かわいくあれ」となる

女性が男性に養ってもらう、というのは自然現象で、今の社会ではそうなる前提があると私は思う。だから女は「かわいい」という評価を男性に求めることになるのも致し方ない、と思える。

ここで冒頭の上野さんの祝辞の「『かわいい』とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。」の意味を考えてみる。

女性Aは、男性Bを絶対におびやかさない、脅かす存在ではないから男性Bは女性Aをかわいいと評価する。すなわち、脅かさないものであることがかわいいと評価されるための必要条件(十分条件ではない)である。

という解釈を教えてもらって納得した。つまり、女性は「かわいい」という評価をされること自体、男性から見下されているということだ。

前出の中村氏の著書からも現実として、はっきりとした男女格差がある以上、我々含めた中流周辺の女性が「かわいさ」を求めなくなったとしても厳しい現実が待っているだけで、貧困を回避したり環境をよくするためには「かわいくあれ」となる方が安泰なのだ。

こういったどうしようもない現状の打開のためには、これからの日本を開拓できる位置に女性が立つべき、という意味合いで、上野さんは東大に入学する女性たちに「女性はかわいい評価を求めるな」と警鐘を鳴らしたのだ。

最後に

私には娘がいる。どの子にも男性と太刀打ちできるような姿勢をもつような子育てができたと思う。その分社会は厳しいが、それに向かえる精神面も鍛えたつもりだ。どの子も男性の活躍する職業についてそれなりに奮闘している。

私は上野さんの祝辞に勇気づけられた女性が多くあることを期待し、これからの力ある女性の活躍を心から祈っている。










この記事が参加している募集

推薦図書