失敗からの立ち直り方
人間には失敗はつきものですね。
・・・なんて、最初からネガティブな表現で始まりましたが、ネガティブをそのままネガティブで終わらせないのが聖書の神様です。
大きな失敗、小さな失敗・・・いろいろありますが、私が「やっちゃった・・・!」と強烈に覚えているのは、海外で貿易関連の仕事をしていた頃のことです。
その年、私たちの会社はあまり業績が良くなく、目標達成するには、どうしてもこの製品の輸出が必要!という案件をチームで担当していました。
営業担当のチームメイトにとっては、目標達成できるかどうかは死活問題で、書類関連を担当している私に、一日に何度も「大丈夫そうかな?」と尋ねてきました。
貿易なので、国によって条件も異なってきますし、いくら売り手と買い手がすべてに同意していても、貨物、代金、書類・情報が連携して進行していかないと、うまくいきません。
まさにチームで足並みを揃えて進めていく必要があります。
チーム一人ひとりが担当部分を精一杯取り組んで、どうにか輸出できそうになったその矢先。
私が作成した書類にミスが見つかったのです——
このままでは、せっかく輸出できたとしても、書類の日にちがずれるため、目標達成はできません。
何度も何度もチェックしたのに——
よりによって、どうしてこんな重要な時に——
いろいろ考えても仕方がないので、とにかくチームメイトに状況を説明して、平謝りしました。
最初は、みんな怒り心頭という面持ちでした。
そりゃ当然です。
でも、徐々に「怒っているだけでは何も変わらない。今、とりあえずできることをしよう!」と思い始めてくれたのです。
なんと心強い・・・
「このチームでよかった」と心底思ったのでした。
その後、無事、輸出することができ、目標も達成することができました。
この時の安堵感といったら、言葉に言い表せません。
目標を達成できたことは、本当に感謝なことです。
でも、私が一番忘れられないのは、失敗した私を許してくれたチームメイトのあたたかさです。
聖書の登場人物も、決して聖人君主ではなく、実に人間らしいというか、皆どこかに欠陥があって失敗するのですが、神様の恵みによって立ち直っていきます。
失敗を認めることは怖いですし、できれば誰にも見せずに隠しておきたいものです。
でも、それをずっと持ち続けるのは苦しくないですか?
聖書の神様は、立ち返ってくる人々を待っています。
そして、素直に失敗を認めたら、その失敗や挫折から引き上げてくださいます。
失敗してしまったら、神様にそのことを打ち明けてみましょう。
神様は心から、その告白を待っておられますよ。
数年前まで無神論者だった私は、聖書とイエス・キリストと出会い、人生が180度変えられました。
少しでも多くの方に聖書を身近に感じていただければ、という思いで、このシリーズでは主に私自身の経験や聖句を発信しています。
よろしければ、また覗いてみてください。
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