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落ち込むこともありますが身体は待ってくれないようで、医療の力を借りて前に進む決意をしま…

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落ち込むこともありますが身体は待ってくれないようで、医療の力を借りて前に進む決意をしました。41歳|夫40歳|第一子2歳|妊活初心者|顕微受精|第二子不妊|左の卵管癒着|諦める前に一度だけ|首都圏|育休明け|自営業|保険適応|自費診療|軽度の喘息持ち|

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初めて陰性を見た私たちの落胆

悲しい結果に終わった前回の妊娠。 落ち込んでいる暇のない高齢出産候補者は、医師からのお告げ通り一度の生理を見送るとすぐに妊活を再開しました。毎月やってくるその日に胸を高鳴らせ、その都度絶望するという日々が始まりました。 脅迫アプリ まずは従来通り、排卵予測アプリの示す排卵日を狙っての夫婦生活に挑みました。出産に至った一度目の妊娠時も、流産に終わった次の妊娠時も、確かに同じアプリで得た排卵予測日の、しかも一度の交渉にて妊娠に至ったわけですから疑う理由はありません。アプリが我

    • 陽性のあとで③

      予後不良。通常であれば1、2週間のうちに戻るらしい体調は、変わらずの出血と腹痛により市販の痛み止めを服用する日が続きました。別の疾患を恐れ合間に病院へ行くことも考えましたが、心の中で「母である自分が受けるべき痛み」と唱えるようにして、医師が設定した診察日をひたすら待ちました。「何かあれば来るように」とはもちろん言われていました。しかし、何事もない日常を送ることこそが、痛む身体以上に辛く、病院に行くこと自体も辛く思える時期でした。 流産後の診察にて 感情の全種類を使い切った

      • 陽性のあとで②

        思うようにいかないことなんてたくさんあるのに、この頃はこれから起こることが受け入れられず、思考を停止させていました。『きっと大丈夫』ポジティブではなく虚無を発動させるのには、充分な出来事でした。 泥濘にいる気持ち 初診から2週間後。期待と不安の中で迎えた再診を終え、地に足が付かない日々から一転、泥濘に足を取られたような気分で私は帰宅しました。はっきりと何かを言われたわけではないため、安静に過ごしたほうがいいのか、普段通りでいいのか、自分で判断するしかありませんでした。なん

        • 陽性のあとで①

          陽性反応______ 第一子の時と同様、再びファーストテイクでの妊娠を確信した私は平静を装いながらも有頂天でした。すぐに夫を呼び、あの日を再現するように二人で歓喜しました。申し訳程度の心配事を口にはするものの、すでに第二子出産の夢を叶えた気でいました。 初診の前後 規定の時期より大幅なフライング検査をしたせいで、その後は落ち着かない日々を必要以上に長く過ごすこととなりました。 初診に行くと決めた日まで約二週間、スマホを手に検索の回数が爆増することは必至でした。”40歳妊娠

        初めて陰性を見た私たちの落胆

          妊活という言葉への言い掛かり

          前回に続く話の前に、不妊治療という不測の事態に陥る前の生活を、言い訳めいた持論を用いて整理しようと思います。少しでも共感してくださる方がいると慰めになります。 ポイント 夫婦生活の枯渇 健康への無頓着 第一子に集中し過ぎる生活 仇となりしファーストテイク成功例 自己分析した4つのポイント考察 1.夫婦生活の枯渇についてですが、我が家の場合はおよそ2年間。珍しいことではないようですが、やはり環境の変化は直結しました。 我が家は基本的に一つの寝室にそれぞれのベッドと

          妊活という言葉への言い掛かり

          不妊治療に至る以前

          第一子の出生時、私の年齢は39歳、夫は38歳。 お腹に授かってからの結婚なので妊娠に向けての期間は0です。 現在、第二子の不妊治療に取り組む私たちは41歳と40歳になっています。 前書き 不妊治療とは怪我や病気の治療と異なり、医師の判断で始まる治療ではありません。単なる妊娠反応の有無だけでは治療に進むはずはなく、そこに至るまでには必ず自然妊娠への難しさを感じる事象があり、夫婦間の話し合いや治療についての勉強、先立つ費用について、多かれ少なかれ個人(夫婦)として検討を重ね選

          不妊治療に至る以前