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かたぬき_この街の夜から01

ラジオを記事にする

列島ききがきノートは、2つの音声メディア(ラジオ)を運営しています。
「この島のどこかで」は、大学生編集部員たちが取材旅のことや地域のあれこれをライトにお話ししています。

そして、「この街の夜から」は、編集長と編集部の中嶋が答えのでないもやもやについて、夜のお散歩をするみたいにゆったりと話しています。

音声メディアは編集部同士のコミュニケーションという意味でも素敵ですし、取材記事=他者の物語を紹介することを常としてきた「列島ききがきノート」にとって、自分の声を発信する=自分の物語を表現する術としても尊いように思います。

とはいえ、やるからにはたくさんの人に聞いてほしい。そんな思いがもちろん前面にあります。特に、ディープなお話が多い「この街の夜から」は少しでも敷居を低くしたいと考えて、音声のやり取りを記事化することにしました。

一回の収録全てを記事にするのではなく、縁日の型抜きみたいに、魅力的な部分を上手に切り取ってご紹介します。

それでは第1回収録のかたぬきです。

この街_note01

中嶋:こんばんは。このチャンネルは、夜のお散歩をするように、時に真面目に時に自由に、答えの出ないもやもやについてゆったりとお話ししています。 「列島ききがきノート」編集部の中嶋です。
 工藤:こんばんは、編集長の工藤です。
中嶋:今日は「ききがきノート」に寄せられた高校生の詩を入り口に、いろいろ話せたらと思います。「ききがきノート」では、stayhomeが続いている全国の高校生を対象に、 自宅での時間をテーマに詩を書いて送ってもらう企画を実施しています。(5月末段階)届いた詩は詩集にまとめて高校生のもとへお返しします。 
工藤:はい。どうして詩のプロジェクトを始めたかってところから話せたらと思うんですけど。最近、コロナが蔓延していて、学生にとっては学校に行くことだったり外に出て移動すること自体もどんどん制限されていって。その中で何ができるだろうなって思うと、書くこととか考えることはどんな状況になっても自分さえいれば誰にも奪われるものじゃないんじゃないかと思って、そういうことを軸に何か企画をしてみたいという思いがありました。

それに付随することなんですけど、2020年はオリンピックも延期になったりとか最近は夏の甲子園も中止が決まってしまったり。おそらく学校行事も中止や延期が決まって、こう、すごくこう、悔しさとか辛さとか悲しさとかいろんな感情がないまぜになっている年だと思うんです。その2020年を10代はどういう風に感じてるんだろうってのが知りたかったし、記録したかったという気持ちがあります。

最初、この企画考えた時って学生が学校に行けないことを悲しみとして捉えていて。日常が奪われたことが悲しいだろうと思ったんですけど、思い返すと僕は今28歳ですけど10年少し前を思い返すと、高校生の時って学校のことを嫌いっていうほどでもないけど好きな場所でもなかったし。一人で過ごすことが多かったので別に今の状況で僕が高校生でコロナのなかを過ごしていても、一人の時間を楽しんでいたんじゃないかと思って。必ずしも高校生にとって学校に行けないことは悲しみだけじゃないんじゃないかと思っています。
中嶋さんは今大学1年生で、つい最近まで高校生だったわけですけど高校生の時はどんな高校生でした?
中嶋:いわゆる明るい方にいたわけじゃなく、割と目立たない方で、一人でいるのが好きでした。一人で電車に乗って帰ったりしていました。
工藤:今のイメージだと、すごくよく笑うし、明るいイメージだけどそんなわけでもなく?
中嶋:そうですね、高校生くらいになるといろんな自分がいるんだなって意識し始めて。人とどう接していいのかわからなくなってきて、そういうことに悩んでいるとどんどん一人でいたくなったりして。楽しい反面、一歩引いて見ている自分もいたり。そんなにどうしても学校行きたいな、友達会いたいなって気持ちは強くなかったなって思います。
工藤:高校って学校によってはスポーツやる子が学校のヒエラルキーで上にいて。でも、僕の学校は各々好きに過ごすというか、お互い干渉しない感じだったので、毎日図書館で本を読んでいたんですけど。お昼とか放課後に一人で本を読んでいた自分に、この詩のプロジェクトがもし届いていたらよかったなみたいに思って。
中嶋:工藤さんは、一人で本を読んでいた高校時代の自分がこの企画に出会っていたらってお話ししてくださったんですけど、誰にも見せてない自分がいるっていうことを誰かに見せるっていうのはすごく勇気がいることだし、なんか、逆に私がこういう企画に出会っても引いていたんじゃないかと思って。それでも自分の思いを言葉にして送ってくれるってことが勇気のいることだし、見えてくるものが変わるんじゃないかって感じました。
工藤:うん、本当に。それでは、詩を紹介していこうと思うんですが、まず中嶋さんからお願いします。
中嶋:私が気になったのは北海道の菫花さんの「束縛の対価」という詩です。みんなすごく共感できるんじゃないかってところが2つあって。
1つ目が「自分の気持ちも分からないの」というところともう1つが「歩き方さえも分からないの」ってところで。

あの、私たちはやっぱりその、ある程度の時から自分のなかに自分がいっぱいいるなって気づき始めるんじゃないかって思ってるんですけど。先生の前での自分、親の前での自分、自分の部屋にいる時の自分、寝る前の自分とかいっぱい自分がいて。私は高校生の時にそれにすごく戸惑っていたし、今も結構戸惑ってるんですけど、その気持ちとこの言葉が近いんじゃないかと思いました。

自分のなかに自分がいて、その自分もいろんな種類の自分がいるから、私って結局なに考えてるんだろうとか。他人から言われたことがあるから今の自分の考えがあるんじゃないかとか。自分だけの考えってなんだろうとか。自分だけになった時に生きていけるんだろうかとか。そういうことを考えていたからすごく共感できるなって思いました。
工藤:相手によって、引き出される自分って違うじゃないですか。誰かに「私と接するときと全然態度違うじゃん」みたいなことを言われることもあるじゃないですか。でも、人によって自分のテンションが違うのは当たり前だから、その都度その都度変わっていく自分っていうのをこう、許容してくれる相手がありがたいなと思うんですね。


>第1回収録のかたぬきはここまで<
収録完全版はいつでも下記からお聴き頂けます。



ありがとうございます。 列島ききがきノートの取材エリアは北海道から沖縄まで。聞きたい、伝えたい、残したいコトバはたくさんあります。各地での取材にかかる交通費、宿泊費などに使わせて頂きます。そして、またその足跡をnoteで書いていければ。