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ものづくりをした時、周りの反応で人間性が垣間見えた!

以前、面白い発見がありました。
趣味でアクセサリーやリメイクTシャツを作ったときに、周りの人々の反応が思った以上に様々で嬉しかったり、傷ついたり、驚いたりと、物を作るだけでこれだけでいろんな反応があるんだなとを体験し、また様々な反応を比べるとそれぞれの人間性も垣間見えるようでした。

それまでは、自分がやることへのジャッジや反応というのは仕事内のこと。
仕事に対して業務内での意見やリアクションは受けていたものの、プライベートなことで反応をもらったのはとても新鮮な出来事でした。


どんな反応があったかというと例えば、、、

◆欲しいから値段をつけて!
◆この色の組み合わせが素敵
◆可愛い!
◆販売考えてるならと販路ややり方の具体案を出してくれる

などという友人・知人ならではのとても嬉しいポジティブなものと、、、

◆私にこうゆうの作って欲しい(他で販売されているものなどの写真を送られてきた)
◆友達にものづくりをして売っている人がいるからアドバイス聞いてあげる

というような、グイグイくるタイプまで。

私は "欲しいから値段をつけて" と言ってくれた元同僚の反応が1番リスペクトを感じて嬉しかったし、作ってよかったなと思いました。
創作するのに、自分の納得するものを作るとなるとそれなりに時間もかかりますし、何度もやり直す場合もあるので、この部分を想像してリスペクトしてくれてるようでとても有難い言葉でした。

もちろんこれ以外にも褒めていただいたポジティブな反応はどれも素直に嬉しかったですし、友人・知人としてこのような反応をしてくださって、とても配慮のある素敵な人たちだなと思いました。


そして、、、グイグイくるタイプ。
基本的な対人関係としてもグイグイくるタイプは苦手なので、ちょっとキツイなぁと思ってしまったのですが。

自分にも作って欲しいという方は何人かいて、それはそれで嬉しい反応ではあるのですが、その方たちは私が作ったものから選ぶのではなく、"こんな感じのものを作って" とそれぞれ写真付きでリクエストしてきました。
私が作っていたものとは全く違う雰囲気のものでした。

まず、"こんな感じのもの" ってすごく難しい。
今まで仕事上、本国が実施したディスプレイを日本の在庫で同じようなインパクト(お客様が同様に受け取る印象)を作るということをしてきたので、アジャストすることが自分的にはとても神経を使う作業。
なので過敏に思ってしまうのかもしれません。

そして私自身、自分が身につけたいと思う物を作っているので、そうでないものは作るモチベーションもなく、この方たちはやんわりお断りしました。

それでも何度か思い出してリクエストされたり、別のものを作るとそれに対しても、"私はこうゆうのが欲しい" と同じように反応されました。
きっと私が神経を使って時間を使ってやっと作り上げたとしても、それに対しても更に色々言われそうだな、、、と想像してしまい、作りたくないという感情にも至ってしまいました。

本人たちはそれほど何も考えてないだろうし、考えずに発言するから相手がちょっと傷ついたりすることも気づいてないだろうなとは思います。
悪気があって言っているわけではないのはわかるのですが、ポジティブな反応をしてれた人たちとの違いは、多分言葉にするまで相手の気持ちを想像できるかの違いなのかなと思いました。
気持ちだけでなく、作り手の思いや労力にたいしての想像力の違いもあるかもしれません。


そして、ものづくりをしてる友人のアドバイスを伝えてきた知人。
このケースは1人だけでしたが、まずこちらから頼んでいないのにこのような動きをされる時点でこの時は暇だったんだろうなとは思いました。

アドバイスは結構ダイレクトに "バリバリのハンドメイド感でてるからなんとか差別化したほうがいい" との伝言をされました。

そのものづくりをしてる方(全く知らない人)のSNSが送られてきたのですが、私が作っているものとは全く違う方向性、趣味だったので、クリエイティブな事への感想とアドバイスは私にはささりませんでしたが、言葉のダイレクトさにちょっと傷つきました。
ハンドメイド感とはどの部分なのか?具体的なアドバイスだったらありがたかったけれど、ただの印象なのであれば大きなお世話としか言いようがなく、その時のことを思い出すとちょっとまた怒りが湧いてきます笑

この知人はもう15年以上前に同僚だった方なのですが、それからずっと会っていなくて、SNSだけで繋がっていて、それに対する"いいね" だけの繋がりだったのですが、ものづくりの写真をあげたらDMしてきたのです。
なので、このような言葉をダイレクトに伝えてきたのもSNSだけの繋がりでもうずっと話してもいないのに、SNSって距離感を勘違いしてしまうのかなとも思いました。
というのも、自分だったらあまり感じのいい言葉でなければ、少し自分フィルターを通して本当に相手にとって伝える必要があるか考えてから送るなと思ったからです。
それは相手との距離感なんて関係ありませんが、ずっと会っても話してもいない知人ならなおさら言葉を選ぶかなと。


善意、悪意もそれぞれなので、そんなつもりはなかった、、、という事なんだと思いますが。

私は決して器用でもなく、アクションするまでに時間もかかるほうなのですが、やっとやってみよう!と思い立って自分の好きな物、納得する物を考えて形にしただけなのに(あくまで自分用なのに)それによって嫌な思いをすることがあるんだな、となんだか驚きというか想像もしなかった発見でした。

私も物に対して、ことに対して、勝手に批判したり大きなお世話なことを思ったりすることはたくさんあります。
だけどそれを相手に、誰かに伝える必要があるのか、また自分の立場もわきまえて発言しないとスマートじゃないなと思っています。
また周りの人に対して、できるだけ相手のことを想像して嫌なコミュニケーションをしない人でいたいなと考えさせられました。

物を作る時の "思い" や "考え" ってどこか作品に反映されると思います。
様々な意見やアドバイスを受けたとき、どの意見を聞くかという事を自分で選んで、創作する自分の環境を自らコントロールしていくこともものづくりには大切なのかなと思いました。


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