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音声と文章とブロックのモデル(レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッド)による会話の特徴や差異について考える

 音声のみで行う会話と、文章のやり取りによる会話、そしてレゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドによるブロックを通じた会話について少し考えてみたい。

音声による会話

 音声による会話は複数の人々によって織りなされるものであるが、発言のタイミングをお互いに渡し合い(時には奪い合い)ながら進む。

 音声の場合には、直前の相手の発言を受けて展開されることが多いが、意図的に会話の文脈から取り除いたり、無視することさえできる。詭弁を使う人は、巧妙にそれを行い、自分にとって都合の良い会話へと持ち込む人であるといえる。

 また、音声のみで展開される会話は、発話された瞬間にその場から消えてしまう。多くの場合、それを聞いた人の記憶に残るのみとなる。このような性質のため、時間をかけて同じ主張を繰り返したり、最初の話題とは大きくかけ離れた話題へとたどり着き、そもそも何を話していたのか参加者たち自身が戸惑うような会話になることもある。

文章による会話

 対して、音声の代わりに文章のやりとりの場合、そこでのやり取りは記録として残ることが多い。そのため、音声のみの会話よりも、それまでの文脈を踏まえての受け答えになりやすいだろう。

 もちろん、それまでの文章を無視して全く別の文脈に切り替えることもできる。その場合には、それまでの文章でのやりとりの多くは記録上確認できるけれども、議論の全体においては重要性は小さいものとして扱われる。

 また、自分が文章を書くときに、相手の文章を積極的かつ意識的に取り込んでいかない限り(取り込んでいったとしても)、自分の書いたことと相手の書いたこととのつながりや、新たな考えを創発させるのは難しい。要するに自分は自分、相手は相手という平行線をたどることも多く、相互の議論の関係性にまで考察を進めることは簡単ではない。相手の論理や概念を文章からくみ取るには、相応の知的な訓練が必要である。

ブロックのモデルと音声による会話

 レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドを使ったブロックのモデルを通じた会話の場合、作り手の中心的な主張がモデルとして会話をする人の眼の前に置かれることになる。そのモデルに込められた意見ついて、作り手はモデルを見せながら音声で話をする。
 これにより、音声による会話のように話したことが消えてしまい、結果として相手の意見が十分に会話の文脈に反映されないということをかなりの程度、回避できる(相手がモデルを完全に無視して会話をすれば同じことになってしまうが、そういう態度をとる人は極めてまれである)。

 文章による会話では、お互いの発言は記録に残り目の前に置かれる。その一方でお互いの意見の関係性を十分に考慮して会話を進めるには、相応の知的な訓練が必要であった。
 これに対し、ブロックのモデルによる会話では、ブロックのモデルへの部分的な意味づけ(例:この赤のブロックは情熱を表している)や、モデルにある表現の共通性(例:共にモデルでは目標に向かって階段を登る表現になっている)という視覚的な特徴からお互いの関係性を考えることができる。
 場合によっては、それぞれのモデルの中で最も大事な表現を抜き出して組み合わせるなどして、お互いの意見の関係性を改めて表現したり、その組み合わせから個々のブロックのモデルにはなかった新たな知識を創発させることができる。
 そのようなことができるためには、ある程度の知性は必要であるが、文章を読み比べて新たな文章を合作で書くよりも、二人でブロックを組み合わせて新たなモデルを形成するほうが、ずっと意見をまとめやすい。

 これは、ホワイトボードに図表や絵やキーワードをかきながら会話することにも近い。場合によっては、そちらの方が良いケースもあるだろう(数字や数式、グラフなどを扱う場合)が、より広範な話題にブロックのモデルを使った会話はよりよく対応することができる。

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