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現実を見るということをめぐって

 レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドを使ったワークショップを繰り返し行っていると、現実というものは、その人の人生観や職業観、信念に沿って切り取られ、意味づけられた説明であるということがよくわかる。

 この考え方自体は、エトムント・フッサールの現象学から存在しているものであり、中国の老荘思想の根底にも存在しているという説明も可能かもしれない。

 つまり、人間は経験や主観に縛られながら世界を見ているのであるが、同時にそれに気づかないか、気づいていてもすぐに忘れてしまう。
 自分の見ている世界とは異なる世界が存在するかもしれないという考え方は、不安の素になることがあり(人間は理解できないことに対して本能的に不安・不快な感覚を覚える)、それを意識し続けるのは相当なストレスになるからである。

 だからこそ、可能な限り不安を和らげながら(リラックスしながら)、自分が見えていないかもしれない世界に向き合うことが必要であるといえる。

 そして、自分が見えていない・気づいていない世界の一部を示してくれるのは、ほとんどの場合、他者である。人々が社会を形成する利点のひとつは、自分の認識を部分的に補ってくれるからである。

 もちろん、お互いの世界に対する説明を擦り合わせて構成される現実の説明は、世界の全てではなく、その集団や組織の信念に照らした世界の説明にとどまる

 このとき、集団が特定の信念や説明のみを強制し、個人の信念を排除するということになると集団的な視野狭窄に陥いるリスクが高まる。もしくは、十分にお互いに信念の表明や相互参照をせずに、「同じ世界を見ている」と考えてしまうと目立った行動(それはしばしば過激的な行動である)が伝搬してしまい、集団の活動は大きなリスクを抱えることになる(その集団そのものを滅ぼすことになりかねない)。

 そのように考えると、レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドを使って(使わなくても)、お互いの世界に対する信念を披露しあい、場合によっては全員がコミットできるストーリーをつくりあげた後、その新たな世界に対する説明を得る(古いものと取り換える)ことで、何が新たに見えてきたのか、そのことが何を自分や集団にもたらすのか(リスクの観点も含め)を問うことは非常に重要であるといえよう。

 また、その説明について、証拠やデータを使って正しさを裏付けることは、あくまで信念の検証であって現実の検証ではないということにも注意を払う必要がある。
 自分たちが見えないところで何かが動いている可能性を完全に排除することはできないという態度の維持が、その組織の探究の源泉であり、その価値をワークショップを通じて伝えることも、ファシリテーターの重要な責任であると言えよう。

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