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『肉中の哲学』をレゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドの文脈で読む(4)第三章 ~p.61

 第三章の前半では、人間の身体が人間の思考に大きな影響を与えていることが、「色彩感覚」や「ベーシック・レベル・カテゴリー」の議論を通じて示されてきた。
 第三章の後半は、「空間関係概念」が取り上げられ、人間の思考と身体との関係について考えていく流れになっている。

 著者たちによれば、空間に関する私たちの思考やそれを表現した言葉を観察すると、私たちは空間にある近さとか遠さをそのまま見ていない。私たちは何らかの対象を定め、その対象との関係のなかで考えているという。
 確かに、例えば「テーブルの上にコップがある」という表現は、テーブルを軸にコップの関係を描いている。「テレビの前から動きなさい」は、テレビを軸に前を定め、動きを指示している。また、「遠くに富士山が見える」は、私を軸に富士山を遠く定めている。もし、その横に雲があれば、「富士山の近くに雲がある」となるだろう。この場合、空間的な距離を絶対的に図っているのではないことは明らかだ。

 こうした空間的概念は、生まれてから私たち自身の身体との関わりの経験から生まれた知であると著者たちは考えている。
 これに沿えば、テーブルに上と下があるのは、私たちが身体の経験に上と下を見つけ出したからであるといえる。私たちの身体は下方向に自動的に引っ付いていることを経験的に知っている(これは純粋に宇宙空間で生まれ育ったならばどうなるのだろう??)。私たちがコップがテーブルから浮かびあがったら驚くだろうが、それは私たちの身体と外界とのやり取りの経験と反するからである。また、テレビの画面が正面であると自然に受け入れるのは、人間の中でコミュニケーションをとる器官が人間の前方(顔を中心に)についているからである。同じように、遠いや近いの感覚も基本的に自分の身体を起点にまず考えるのも、過去からの身体を使った経験の蓄積であり身体的構造に寄るところが大きい(もし、私たちの頭と胴体が分離できる構造だったら近い・遠いの感覚は変わるかもしれない)。

 空間的概念は私たちにとって非常に基礎的な身体感覚なので、他のところにも自然と使っている。例えば、ある目標に対して現在の状態が「はるか遠くにある」「近づいた」という表現をする。また、ある人が集団の一員であるというときには「集団の中にいる」という容器という空間的な構造物に沿った表現をする。

 こうした「概念の属性そのものが、脳や身体が構造化されるやり方の結果であり、それが人間関係や物理的な世界の中でどのように働くかということの結果として作られている」(p.54)と著者は主張する。

 ただし、著者たちは同時に知覚や運動に用いられるニューロンのメカニズムが抽象的な思考や推論に用いられている証拠は、神経科学ではまだ十分に出てきていないという。その代わり、本書では「空間関係事項を学ぶ際のレジエのモデル」「手の動きに関する動詞を学ぶベイリーのモデル」「ナラヤナンの運動スキーマに関するモデル、その言語学的なアスペクトとメタファー」などが、証拠に結び付くかもしれない有力な仮説として紹介されている。

 著者たちが本書を出版したのは1999年である(日本語訳はその5年後ぐらい)。現在(2024年)からみると実に四半世紀も前である。その間にどのような進展があったのか、改めて少し調べたところ、現在でも上記の溝は科学的な証拠で十分に橋渡しはできていないようである(脳や神経科学における研究テーマは膨大でまだまだ時間がかかりそうだ)。しかし、同時に、その関係性を否定する強力な反証も出てきていない。おおよそは、どちらかというと時間をかけて、身体とメタファーのつながりの深さを指摘する研究は増えてきているようである。

 上記のことを踏まえ、「脳や身体の構造やその働きから生まれる経験が、我々の考え方の基礎を作り出している」ことは強力な前提的な仮説として受け入れ、本書の先を読み進めてもいいのではないかと思われる。

レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドとの関連

 この身体から生まれる空間的概念が人間の思考にとって基礎的であるという考え方は、モデルを見る際にも大いに応用できそうだ。

 つまり、モデルを一つの空間に存在するものとして把握する。どちらがモデルの上なのか、前なのかという視点は、よりモデルの作り手の思考を理解したり、質問の切り口として有効そうである。また、作り手がモデルのどこに表現されているかということからも、作り手の思考を理解することができるだろう。

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