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「闇に咲く花」2023年観劇記~戦争と記憶。伝えたいこと


1,はじめに

夏になると「こまつ座」の演目に思いを馳せるようになった。それほど「夏と戦争とこまつ座」は、ここ数年私の中でセットのようになっている。
2023年の夏は井上ひさしさんの「闇に咲く花」だ。
「昭和庶民伝三部作」の第二作。初演は1987年。今回は11年ぶり7回目の上演となる。こまつ座40周年の記念としてこの夏の演目としたのだろう。

ときは戦後2年の夏。ところは神田の愛敬稲荷神社。神主の牛木公麿(うしききみまろ、山西惇)が主人公だ。
下町にある小さな神社。そこは近所の人々が集う憩いの場所だった。
物語の冒頭は、公麿とお面工場の女性五人衆が協力して闇米を入手したり、交番の巡査まで加担したりと庶民の暮らしぶりを感じ、コミカルで笑うシーンばかりだった。
それが、1人の青年の登場で空気は一変する。
公麿の一人息子、健太郎(松下洸平)だ。
健太郎は3年前に戦死したと伝えられていた・・・

戦争をテーマにした戯曲は多いが、なかでも井上ひさしさんである。ひとひねりもふたひねりもあるだろうと構えて観たが、メッセージは直球だった。
それは、健太郎の台詞として描かれていた。
「忘れちゃだめだ、忘れたふりをしちゃ なおいけない」
これが、この作品を通じて井上さんが一番伝えたかったことなのだと思う。

人はすぐに忘れる。戦争も、原爆も、大震災も・・・
戦争と記憶。人として忘れてはいけないこと・・・がテーマとなっていて、その役割を担うのが健太郎だ。健太郎はその身を犠牲にして、語り部となり、人々の記憶を呼び起こし、刻み込んでいく。
健太郎が大好きな野球と、命そのものである赤ん坊が重要なファクターとして出てくる。

ユーモアは随所に散りばめられているものの、哀しい物語だ。しかし、初日に観たときは、泣くのも忘れて見入っていた。
情報量の多い場面が多く、その都度考えさせられ、現代にも通じる深い内容で、終わったときにはどっと疲れていた。
帰宅してすぐ、戯曲本(現在は絶版、中古で購入)や「the座」(パンフレット)を読み、丸1日以上考えてから書き始めた。この舞台から受け取った衝撃、熱量、そしてメッセージをそれこそ記憶しているうちに、忘れないように、感想を記そうと思う。
解釈は人それぞれだ。これは私が感じた「闇に咲く花」である。あぁ、そんな風にも取れるかもしれないなと思っていただければ幸いである。

  * * *
初日を観てこれを書いたが、2回目として終戦記念日の8月15日ソワレを観ると、初日に見落としていた箇所がいくつもあることに気付いたので、少し加筆修正した。
特に、初日を観てから戯曲本を読み込んだので、戯曲の台詞がかなり記憶に残っている状態で2回目を観ると、戯曲本にはなかった重要な台詞が舞台では足されていることに気が付いて驚いた。健太郎のメッセージがより伝わるように、台詞が一言加えられていた。「7,追記」に詳細に記している。

   * * *  
22日マチネと東京千穐楽(30日)を観劇した際に、「7,追記」の内容の台詞に関することでさらに気付いたことがあったので加筆した。
また、東京千穐楽のカーテンコールの様子は、当日の私のTwitter(X)も「8,雑感」に貼った。毎度のことだが、当日書いた臨場感に勝るものは書けないと思うのである。

※【以下ネタバレあり】

2,語り部となった健太郎の言葉

――「ぼくたちは紙1枚で殺されたり生き返ったりするんだね」


健太郎は一陣の風のようだったと思う。
ふと現れ、去っていった。その間の台詞はほぼすべて印象的だ。
先に挙げた「忘れちゃだめだ・・・」以外にもたくさん。
そう考えると、この作品のなかで健太郎は戦争の語り部の役割を担っているのだと感じる。

「ぼくたちは紙1枚で殺されたり生き返ったりするんだね」
これは健太郎が戦地から戻ってきたときの台詞だ。
赤紙で出征し、戦死公報で死んだことにされ、生還者届で生き返る・・・いかにもお役所的だとやんわり批判した言葉だったのだろう。

戦死公報により死んだと伝えられていた健太郎だが、実はアメリカの潜水艦に襲われ海に投げ出されたところをアメリカ軍に助けられ、捕虜となって収容所に送られていた。健太郎はその際に頭を強く打ち記憶を喪ってしまい、自分が誰かもわからない状態だったという。
それが、大好きな野球を通じて記憶を取り戻し、終戦を迎えて2年後にやっと日本に帰国したというわけだ。

――「全世界を抱きしめたいと思った。世の中と仲直りしたような気持ち」

健太郎は野球が上手く、神田中学の野球部でピッチャーをやっていた。卒業後はプロになった。野球部時代の親友でバッテリーを組んでいた稲垣(浅利陽介)も戦争で生き残り、神社で健太郎と再会を果たす。
精神科医になっていた稲垣は、健太郎の記憶障害に関心を抱き、いろいろ問うていた。

そして、記憶を取り戻したときの気持ちを問われ、健太郎はこう言ったのだ。
「全世界を抱きしめたいと思った。世の中と仲直りしたような気持ち」

なんという慈愛に満ちた素敵な表現だろう。この言葉だけで、健太郎が元々心根が優しい愛にあふれる青年だったことがしのばれる。
実際、自分が誰かもわからなくなる記憶障害になったときの心許なさは、想像を絶するものがあるだろう。
記憶を喪っても、一般的に身体的な動作は忘れないので、健太郎は野球好きのアメリカ人らに交じって野球が出来た。そして、あるときデッドボールを頭に受け、その衝撃を機に記憶が戻った。目の前の霧が晴れたようなすがすがしい気持ちだったのだろう。
しかし、記憶が戻るということは、同時に、自分がなぜ捕虜として収容所にいるのかという事実を思い出すということでもあり、そこには恐怖と絶望もあったはずなのだ。
そんな健太郎を救ってくれたのも、また野球だったのだろう。そして投球練習をした。

健太郎は、やっと帰国することができて父親や親友にも再会し、幸せをかみしめていただろう。
そして、わずか20日後にプロ野球チームの入団テストを受け、契約するはこびとなった。

父親である公麿の喜びもひとしおだった。
実は、健太郎は神社に捨てられていた子どもだった。
公麿の妻が生まれたばかりの息子とともに死んでしまい、公麿が生きる気力を失いかけていたとき、神社の境内の杉の御神木の根元に赤ん坊が捨てられていた。これは天啓だ、神の子だと感じ、わが子として育て始めたのだ。
健太郎自身は幼すぎてそのことは記憶にないはずだった。

公麿は、健太郎が若いうちはプロ野球選手として活躍しても、いずれ引退したときに神社を継いでくれるだろうと思い、神社本庁の傘下に入ろうとする。健太郎のために神社経営の基盤をしっかりしようと考えたのだ。

しかし、健太郎は疑問を呈した。
今のままの神社でいいのに。神社は人々が憩うところ。何かを上に戴くようになり、上に合わせてくるくる変わるのは無責任だ。神社が組織として「何か上の方」と連結したら、神社ではなく役所になってしまう――などと警鐘を鳴らす。
そうしたことを真剣に公麿と話しているとき、GHQの手先の諏訪が現れたのだ。

――「『ウイスキーさん』と呼ばれて親しまれていたくらいだ」

健太郎にC級戦犯の容疑がかかっている、と諏訪は告げる。捕虜として収容されていたとき、非人道的行為を現地人に行ったというのだ。
健太郎の罪状はこういうことだった。
現地の青年に対して硬いボールを17球も投げつけた。最後の1球は青年の額に当たり、脳震盪を起こして入院した・・・

しかし、健太郎にとっての事実は違った。
彼は現地の人々に「牛木(うしき)」という名前から「ウイスキー」とあだ名をつけられていた。
「『ウイスキーさん』と呼ばれて親しまれていたくらいだ」と健太郎は言い返す。
野球の投球練習に付き合ってくれた現地の青年とは、1球につきタバコ1本という好条件で合意のうえだった。不幸にも健太郎の剛速球を取り損ねてデッドボールが額に当たり脳震盪を起こしてしまったのは事実であったが、健太郎は病院にお見舞いにも行った。

健太郎はさぞかし驚いただろう。健太郎にとって野球は、プロになって人生をかけるほど大切なものだった。捕虜となり生きて日本に帰れるかどうかもわからないなか、野球だけが心の支えだったのかもしれない。
なにより、野球のおかげで健太郎は記憶を取り戻したのだ。
よりにもよってその野球で戦犯を問われるとは・・・

現地民に親しまれ、名前を記憶されていた者にかえってアメリカ軍の焦点が当たり、仇となってしまうというC級戦犯の不条理を、諏訪自身も語っていた。

――「僕ハ、オ前ダ。オ前ハ、僕ダ」

愛してやまない野球のせいでC級戦犯の容疑をかけられたと知り、健太郎は驚愕したのだろう。二度目の記憶障害を起こしてしまった。
そのシーンは非常に印象的だ。

諏訪の冷徹な言葉が響いているとき、同時に赤ん坊の泣き声が神社で聴こえてきた。健太郎が捨てられていた杉の御神木の下からだ。
その泣き声に、27歳分の記憶が吸い込まれてしまったかのように、健太郎は赤ん坊の頃に戻ってしまったのだ。

自分を守るためにすべての記憶を無くす(解離する)ということは、人間の防衛機制として現実的にあり得る。長い捕虜生活が終わりやっと帰国できたと思ったらC級戦犯として死刑の恐怖を突き付けられるとは、現実から逃げたくなって記憶が飛んでしまうのもわかる気がする。

ところが、事態はそれだけではないのだ。
健太郎は捨て子だった自分の幼い頃の記憶を持っていなかったのに、退行(子ども返り)してこのとき初めて赤ん坊だった当時の記憶に触れた。父に拾われて幸せだと感じた幼い健太郎の初めての記憶、原風景を取り戻したのだ。
健太郎は赤ん坊に手を差し伸べて言った。
「僕ハ、オ前ダ。オ前ハ、僕ダ」

健太郎は27年間の記憶を喪うのと引き換えに、父とのかけがえのない出会いの記憶を取り戻した。
これは何を意味するのだろう。
父親への感謝と尊敬の念を思い出し、間違った道に進もうとしている父親をなんとかして止めたいという無意識の気持ちが、記憶のさらに奥へとたどりついたのかもしれない。

健太郎がこのまま27歳としての記憶を喪っていれば責任能力なしで戦犯にされることはない、と公麿は思ったし、女性五人衆も思った。せっかく帰ってきた健太郎を守りたかった。

しかし、健太郎とバッテリーを組んでいた稲垣は精神科医になっていたから、記憶障害の症状を診たら治さないではいられなかったのだろう。
いろいろなことを問いかけ、健太郎の記憶の糸口を探していく。
特に、健太郎が愛してやまなかった野球のことをしつこく問うた。
神田中学の野球部員のことをひとりずつ健太郎に問うていく。健太郎がひとりずつ思い出すと、稲垣は彼らが皆、戦死したことを伝えた。そのむごい死に方を聴くたび健太郎は自分の苦しみのようにもだえ苦しみ慟哭した。
まるで、「死んでいった仲間のことを忘れることなど許さない」かのように、稲垣は健太郎を追い詰めていく。
そして、仲間の一人は空襲で焼け死にこの神社に遺体となって運ばれたことを伝えた。当時は、神社が遺体の安置所となっていた事実を公麿からも告げられ、健太郎は衝撃を受け、完全に記憶を取り戻した。

――「こわい・・・」

稲垣が健太郎を質問攻めにするシーンが私は嫌だった。物語なのはわかっているが、臨床の仕事をしている私は、実際の精神科の診療場面で、あのように無理やり思い出させるようなことは絶対にしないと知っているからだ。
稲垣がやったことはとても危険な行為だ。人は、何か重大な理由があって記憶を無くしているのだから、安易に記憶を取り戻すと自殺してしまう恐れすらある。慎重に診ていかなければならない。健太郎のように記憶が戻ると死刑にされてしまうというのは極端な例であるが、記憶を取り戻す過程で錯乱してしまう恐れもあるだろう。
健太郎自身も記憶が戻った後、「こわい・・・」と思わず言っている。

稲垣は、健太郎が記憶を取り戻してから秩父の山奥に逃がすという作戦を持っていた。そんな簡単にいくわけがないと私は感じた。逃がすなら、記憶がない今の状態で逃がせばよい。そして安全な場所で記憶を取り戻す治療をすればよいと思ったのだ。もちろんそれも簡単なことではない。神社という慣れ親しんだ環境だからこそ記憶を戻す治療がやりやすいというのも事実だ。
稲垣は、健太郎の命よりも尊厳を優先したかったのかもしれない。赤ん坊のままの健太郎ではいけない、と。
稲垣の治療は人としては正しい行為だったのかもしれないが、「正しい行為」がいつも本当に正しいかどうかはわからない。
赤ん坊の記憶のまま、公麿と2人で秩父に行き、まったく新しい人生を生き直してみる。そうするなかでいつか記憶を取り戻すかもしれないし、戻らなくても新しい記憶を得て生きていけばいい。そういう選択肢だってあったはずなのだ。
精神科医療に従事していると、その人をありのままの状態で受け入れることが大前提なので、私はこの場面には違和感しかないし、あるかもしれなかった健太郎の秩父でのもうひとつの人生に思いを馳せると泣けてくる。

しかし、私のこんなセンチメンタルな思いは関係ないのだ。
健太郎は記憶を取り戻す必要があったのだから。

――「忘れちゃだめだ、忘れたふりをしちゃ なおいけない」

健太郎に赤ん坊の頃から現在までの記憶を思い出させ、語り部とさせる。
これが、井上ひさしさんの脚本なのだなと思った。
健太郎自身が、戦争のむごい記憶を忘れてしまっては、忘れたふりをしている公麿たちを批判できない。
また、公麿が自分を拾い育ててくれた記憶を取り戻すことで、公麿への感謝の気持ちに拍車がかかる。だから、健太郎はすべてを思い出す必要があった。

記憶を取り戻したからこそ、健太郎が成し得たことがあるのだ。
それは、公麿の心を動かしたこと。思い出させたこと。
それこそが、この作品のテーマであった。

神社は本来、人々に寄り添い、明るく生きる力を与える場所であり、死からはとても遠いものだった。
しかし、戦時中、国家神道として利用された。
公麿は、出征する人々に、「お国のために・・・」といった言葉をかけるしかなかった。
神社は遺体安置所になった。時代背景としてそうせざるを得なかったわけだが、それを健太郎は、本来は神社がやるべきことではない、と明確に批判したのだ。

戦争が終わったのはたった2年前だ。戦時中の5年前の出来事も、公麿は「ずいぶん古いこと」と表現した。
それを健太郎は、「ついこのあいだおこったことだ」と断じた。
「父さん、ついこのあいだおこったことを忘れちゃだめだ、忘れたふりをしちゃ なおいけない」と。

健太郎は続ける。
「過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね」と、公麿を諭すのだ。

こうした会話を、職務上諏訪のスパイとならざるを得なかった巡査が盗聴していて、健太郎の記憶が戻ったことが諏訪にばれてしまった。

健太郎は、神社は戦時中でも人々の憩いの場であるべきなのだ、ということを、花にたとえて伝えた。
「神社は花だ。道ばたの名もない小さな花」
花は黙って咲いて、おごらず、人に命令することもない。見ると心をなごませ、落ち着かせる。
そういう場所に神社はならないといけない、といったことを公麿に静かに話すのだ。

そして、話しながら健太郎は自分が為すべきことを悟ったのだろう。
記憶が戻っていないふりを続けてGHQから逃げることをやめ、諏訪にこう伝えた。
「ぼくは正気です」

ここで舞台は暗転する。

エピローグとなる第6場に、健太郎はいない。
グアムでの軍事裁判はたった3日で終わり、健太郎が死刑に処されたことがわかる。
おそらく死刑の報も紙切れ1枚で公麿に知らされたのだろう。

3,命と引き換えに健太郎が残したもの


健太郎の言葉は直球でとても強いものだったが、それでも健太郎がそのまま生きていれば、公麿には届かなかっただろう。戦中戦後の苦しい記憶を忘れたり考えないようにしなければ、公麿も生き抜くことができなかったかもしれないのだから。
これからも、長いものに巻かれるように、神社本庁の組織に入ったりし、また政治にも流されていたかもしれないとたやすく想像できる。

健太郎の命と引き換えに、健太郎が放った言葉は剛速球となって直球で公麿の心のど真ん中に入ったのだろう。
公麿だけでなく、神社に出入りしている人々の心にも大きな変化をもたらした。

GHQの手先だった諏訪は、健太郎の件を「考えに考えました」と言い、仕事を辞めて田舎に帰ると言う。
巡査は、職務とはいえ健太郎を軍事裁判に送り込む片棒を担いだことを悔いたのだろう。捨て身の覚悟で「大闇」で儲け、警察を辞め、公麿が神社を手放さなくてもいいように莫大な寄付をした。

そして公麿は、混血の2人の赤ん坊を神社で育てている。福宮司となった巡査と、お面工場の花のように明るい女性五人衆とともに。
1人は健太郎を拾った杉の御神木の下にいた赤ん坊。健太郎に、公麿に拾われたときの記憶を授けた、いわば健太郎の生まれ変わりだ。
もう1人は巡査が靖国神社で拾った赤ん坊。こちらは、いわゆる「英霊」のメタファーだろう。
引き取り手のなかった混血の赤ん坊。健太郎の命を奪ったアメリカに対して複雑な思いがあっても当然だが、公麿は受け入れた。また、公麿は健太郎のことで巡査のことも一切責めず、福宮司として迎え入れた。
神社は何でも受け入れる場所だから。それを健太郎が思い出させてくれたのだから。
「ここは神社ですよ、稲垣くん。神社になったんです」と公麿は最後に語った。健太郎の命と引き換えに、愛敬稲荷神社を神社のあるべき姿に戻したのだった。

健太郎の言葉は、日本だけでなく、世界中のすべての人々に聴かせたい言葉だ。
いま世界で戦争が起こっている。日本だっていつどうなるかわからない。
過去の失敗を忘れて惰性で長いものに巻かれていれば、同じ失敗を必ず繰り返す。
公麿のような善意の人ですら、その恐れはあるのだ。
公麿は、私たち自身だ。
健太郎の言葉は、私たち自身に向けられているのだ。

4,あるいは死者の魂だったとしても

――「健坊は、ほんとうに帰ってきてくれていたのかな」


健太郎はわずか20数日の間、父の元に帰って、また敵地に送られ死んでしまった。大好きな野球が、皮肉にも健太郎の人生を奪うことになった。
健太郎にしてみれば、むごいことだったのか。それとも戦争中に敵地でそのまま死ぬのではなく少しでも父に会えて話すことができて良かったのか。
赤ん坊の頃の父との出会いの歓喜の記憶を思い出すことができたのは、健太郎へのせめてものむくいだったのかもしれない。
健太郎の27年の人生とは・・・

――ここで、ひとつの疑念がふとわく。
稲垣がそれを口にした。
「健坊は、ほんとうに帰ってきてくれていたのかな」と。

健太郎は、父親たちに大切な記憶を思い出させるために現れた幽霊だったのではないか。
生き残った者たちに大切なことを伝えるために死者の魂となって現れたのではないか。
「父と暮せば」のように、井上ひさしさんの作品には幽霊が重要な役割を持ってよく登場する。

観劇後に改めて「闇に咲く花」のチラシを見ると、神社の鳥居の前にいる人々が9人で、神田中学の野球部のナインなのだとわかる。
そのうち一人だけ白抜きになっているのだが、「the座」118号の対談「亡き者達の『記憶』を希望に繋げる」で、こまつ座社長の井上麻矢さんが、これは健太郎なのだと話している。
また、「the座」同号のインタビューで演出家の栗山民也さんは、井上ひさしさんが世阿弥の複式夢幻能の構造として描き、死者の霊として語るシテ役が健太郎であることを語っている。

公麿は稲垣の問いに対し、「ここは神社ですよ」「神社になったんです」と言い、稲垣は、「健坊は、たしかにここへ帰ってきてくれていたんですね」と言葉を返すのだが、これは「生きて帰ってきた」のかどうかは曖昧なままの表現だ。

それでいいのだろう。幽霊だろうがなんでも受け入れるのが神社だ。それを健太郎は思い出させてくれたのだ、と公麿は言いたかったのだと思うし、なによりも、公麿は確かに健太郎に再び会い、話し、熱く抱擁したのだから。

もしかすると・・・ギター弾きの加藤さんだけは、ほんとうの健太郎のことをすべてお見通しだったのかもしれない。
加藤さんは不思議な存在として最初から最後まで舞台下手に居る。
最後の場面。靖国神社や神田明神の太鼓が大きく鳴り響いた。とても不吉な響きで恐ろしい。公麿も稲垣も皆怯えている。
それを、加藤さんのギターの音色が打ち消してくれた。最初は太鼓に対抗するかのように激しくかき鳴らしていたが、途中からは甘い音色になった。まるで北風と太陽の寓話のように、美しいギターの音色が不吉な音に勝った。
こうやって、誰かの勇気で、私たちのささやかな平和が守られていくのだと思った。


5,健太郎を演じた松下洸平さんのこと


松下洸平さんの舞台はいろいろな作品を観てきたが、健太郎はまるで洸平さんだった。そのくらい自然に、健太郎がそこに居た。
時代背景などは違うけれど、健太郎のありようは、洸平さん自身とシンクロする点が多いように感じた。
そしてその思いは、井上ひさしさんの戯曲本を読むと、さらに強くなった。驚いたほどだ。
一番仰天したのは、健太郎の台詞の前によく、(ニコッと笑って)というト書きがあることだ。
洸平さんの笑顔は、「ニコッ」としか表現できないほどいつもニコッとしている。
洸平さんが舞台で健太郎として笑って話す表情は、小さな花がパッと咲いたように明るく、健太郎そのものなのだった。

「全世界を抱きしめたいと思った。世の中と仲直りしたような気持ち」
この健太郎の台詞が私は一番好きなのだが、洸平さん自身が言いそうなことだな、と感じた。洸平さんが言うのがふさわしい、とさえ思った。
健太郎は洸平さんの当たり役なのではないか。今後も演じ続けてほしいと強く思った。

井上ひさしさんが洸平さんの健太郎を観るとどのように感じただろうか。
演出家の栗山民也さんは、洸平さんを24歳のときから育ててくれている恩師だが、栗山さんの感想も聴きたいと思った。
洸平さんの舞台をいろいろ観るたびに、演出家によってこうも表現の仕方が変わるものなのかと感じる。私は栗山さんが演出する洸平さんが一番好きだなと、今回もまた思った。


6,おわりに:闇に咲く花とは?

――「神社は花だ。道ばたの名もない小さな花」


健太郎は神社のことを、「闇に咲く花」と表現した。
「闇」とは、闇米・闇市などの闇であるし、戦争そのものが闇であるし、人々の心の闇のことでもあるだろう。そんな闇にもそっと咲く花、そっと寄り添ってくれる花・・・
それはどんな花だろう。「泥に咲く花」と言われるハスのような花なのか?それとも?

健太郎を演じている松下洸平さんは、雑誌「ダ・ヴィンチ」で「フキサチーフ」というエッセイを連載している。その最新号(2023年9月号)の発売がこの舞台の初日と同じ日で、舞台のことや演出家の栗山民也さんとの思い出などを書いている。
挿絵も洸平さんは自分で描いていて、その文章には、暗闇のなかに咲く1輪のユリのような花を添えていた。スカシユリのような野山に咲くユリだろうか。スッとまっすぐに咲く姿は凛としていた。
人々にそっと寄り添う神社に咲いている小さな花、「闇に咲く花」は、こんな花なのかもしれないなと、私はそれ以来思っている。

7,追記:戯曲本にはない重要な台詞の謎


演劇や映画の原作本がある場合、私はたいてい先に読んでから観るタイプである。今回も、井上ひさしさんの戯曲を購入していた(絶版だったので中古で)。
観劇の前に読もうと思ったのだが、小説ではなく戯曲なので、当たり前だが台詞がそのまま書いてあり、本を開くと圧倒されてしまったので、キャストの声で聴いてからにしようと観劇の後に読むことにした。
そして初日観劇後、興奮冷めやらぬ状態で戯曲本を一気に読んだ。そしてこの観劇記を書くために繰り返し読み込んだ。観劇して心に残った台詞を確認しつつ読み、書き写して考える、という作業をするうち、ここに記した台詞は暗唱してしまった。
だからなのである。私にとって2回目である8月15日に観たとき、最後の公麿の台詞を聴いて驚いた。私が暗唱していた台詞よりも一言多かったのである。あまりにもびっくりしたので、終演後にすぐにメモした。そして帰宅してすぐに戯曲本を確認すると、やはり舞台では台詞が加えられていた。

ラストの場面である。
稲垣が、「健坊は、ほんとうに帰ってきてくれていたのかな」とつぶやいたあとの公麿の台詞。

「ここは神社ですよ、稲垣くん。神社になったんです

これが、戯曲本では
「ここは神社ですよ、稲垣くん」
だけなのである。
つまり、舞台では、「神社になったんです」という一言が足されていたのだ。

これには驚いた。初日からこの台詞だったのか。私の記憶は曖昧だったので、その翌日も観るという友人に確認してもらうと、やはりその日もこの台詞はあったという。ならばキャストのアドリブではない。
私自身もその後の観劇の際に確認した。

この一言が足されたことで、健太郎の言葉が公麿に届いたのだ、ということが明確にわかる。
健太郎は公麿に、神社の境内が、出征兵士を死の世界へ送り出したり、遺体置き場になったとき、神社も神道も滅んだのだ、と詰め寄った。
その言葉を公麿がしっかりと受け止め、愛敬稲荷神社をあるべき姿に戻した。つまり健太郎が再びここを神社にした、ということが伝わってくる重要な台詞だと思う。

井上ひさしさんが戯曲本を発行した後にご自身で書き足したのか?
あるいは演出家の栗山民也さんが演出するうえで一言足したのか?

私が読んだものは、「闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語」(講談社文庫、1991年12月15日第一刷)だった。これは、1988年4月に出版された単行本を文庫化したものである。
そして、このあと全集が出版されていることに私は気が付いた。
「井上ひさし全芝居 その四」(新潮社、1994年9月20日)に「闇に咲く花」は所収されていて、「the座」にもこちらが紹介されていた。
作家によっては、連載してから単行本化するとき、それを文庫化するとき、また全集に所収するときなど折々に、作品を見直して修正することがままある。
全集を編集するときに井上ひさしさん自身が書き足した可能性を考え、私は近所の図書館に走り、「井上ひさし全芝居 その四」を借りて確認した。
――くだんの台詞は単行本(文庫本)と同じだった。
しかし、全集出版後にも再演を繰り返しているから、後に井上ひさしさん自身が書き足したのかもしれない。

あるいは・・・
栗山さんは、初演からずっと演出を手掛けておられる。
健太郎の言葉は、つまりは井上ひさしさんの言葉だ。ロシアとウクライナの戦争が起こっている現在の世界情勢をふまえ、井上ひさしさんのメッセージをより明確に伝えるために、栗山さんが今回の公演でこの台詞を足したのかもしれない。先に紹介した栗山さんと洸平さんのインタビューを読むと、そのようにも感じる。

もしくは、前回の公演時だったのかもしれない。
前回は2012年4月だったのだが、井上ひさしさんがお亡くなりになった2010年からは初めての再演だった。
2012年3月の井上麻矢さんのオフィシャルブログに、栗山さんの演出が素晴らしい仕上がりだと書かれている。
もしかしたらこのときに、この台詞を足していたのかもしれない。


その後いろいろ調べると、2012年の公演が U‐NEXT で配信されていて、それを観た友人によると、「神社になったんです」という台詞はあったと教えてくれた。
となると、やはり2012年に足され、井上麻矢さんの言葉はこの台詞も含むラストの演出のことを書いておられたのかもしれない。
もっと以前の公演の映像を観る機会があれば、確かめたいと思う。

さらに、22日に気付き、30日に確認したこととして、他の印象的な台詞も、戯曲と舞台では異なっているものがあった。
私はよくわからないのだが、戯曲の台詞を演出で変えることはよくあることなのか?
井上ひさしさんは言葉に対して非常にこだわりを持っておられると思う。
実際、山西惇さんは、雑誌「東京人」(2023年10月号)で、栗山民也さん、井上麻矢さんの3人で行った対談のなかで、初めてこまつ座の舞台に出演したとき、井上ひさしさんに「言いたいことはただひとつ。一言一句違わずやってください」と言われたとのエピソードを紹介されていた。
やはり自身の戯曲はその通りに俳優に演じてほしいと願っているのではないかと思ってしまう。

謎はさらに深まってしまった・・・
真相はわからないのだが、人々の日々の暮らしや世相に合わせて、演劇は進化していくのだなと思い、非常に感慨深かった。

8,雑感

〇初日カーテンコールの様子

舞台の座敷にメインキャストが座り、他のキャストも一列に並んでの挨拶。
最後の場面にいなかった洸平さんは、皆より遅れて舞台上手から出てきて山西惇さんと浅利陽介さんとの間に笑顔で座った。
浅利さんからボールを左手で受け取り、両手に赤ん坊を抱えている山西さんの方を向いて笑い合った。
座っているキャストは正座をしてのお辞儀。
このままキャストが動くことなくカーテンコールが2回。幕が降りると座席の照明もついて終了した。
初日独特の緊張感が漂っているように感じ、アンコールがそれ以上続くような雰囲気でもなかった。
栗山民也さんも来られていた。

〇洸平さんの様子

この日まで、洸平さんはいついかなるときでも、髪型がどうなっているのかを明かさなかった。
戦後すぐの物語なのだから短髪になっているはずなのだが、舞台の直前までドラマ「合理的にあり得ない」が、舞台のさなかもドラマ「最高の教師」が放送されていたし、歌番組やバラエティ番組にも出ていた。八面六臂の活躍ぶりである。ドラマの撮影時期・状況などがわかってしまうなどの関係で、隠さないといけなかったのかもしれない。
7月19日に新曲「ノンフィクション」が発売された日のインスタライブでも、キャップをかぶっていて最後まで取ることはなかった。
洸平さんは昔からキャップが好きで、私服や移動時などはよくかぶっている。それがまたとても似合うし、髪の毛が長めのときでもキャップの中にすっきり入れてしまうので、髪型がわからない。
健太郎として登場したときも野球帽をかぶっていたが、途中で何回か取ったときに短髪が見えた。
洸平さんの短髪は見慣れているのでかっこよかったし、何よりもキャップ姿が普段の洸平さんの姿(昔のブログやインスタ等)で見慣れているので、私はものすごく不思議な気がした。先述したように、洸平さんは健太郎そのものだったし、健太郎が洸平さんだった。
体も野球選手のように鍛えられていた。
ト書きのようにニコッと笑う姿はあまりにもさわやかだったし、野球仲間のことを一人ひとり思い出しながら慟哭してのたうちまわるときは見ていられないほど苦しんでいたし、健太郎の記憶が戻り、公麿としっかりと抱き合ったときは本当に涙を流していた。

紀伊國屋サザンシアターは、舞台と客席が近い。
初日は舞台下手の良席だったので、すぐそこにギターの加藤さんがいて、多くのキャストが目の前を通っていった。もちろん洸平さんもである。
流れる汗も涙もはっきりと見え、作品の内容に没頭しながらも、ああこれが生の舞台の臨場感だなぁと頭の片隅で感じていた。
洸平さんは舞台上手の端にもよく座っていたし、登場は上手からなので、どちら側に座っても楽しめる。
栗山さんが演出する洸平さんがとても好きだと先述したが、さらにこまつ座の洸平さんは間違いなく推せる。

↓  移動中キャップをかぶっている洸平さん。ファンには見慣れた姿

↓ こまつ座「木の上の軍隊」の前に丸刈りにしたときの動画。頭の形が綺麗なので似合います


〇8月15日ソワレの様子

終戦記念日のこの日に絶対に観ると私は決めていて、早々にチケットを先行予約していた。
キャストの皆さんも同じような思いを抱いておられたのだろう。山西惇さんはご自身のTwitter(X)で以下のようなメッセージを書いておられた。

初日よりも、キャスト全員の声が大きく張りがあるように感じた。舞台を重ねるなかで声の響き方や客席への届き方などを調整していったのか、それとも15日というこの日にキャストもあふれる思いがあったのか。
洸平さんもすごく声が出ていたし、舞台狭しと動き回っていたし、ダッシュする場面はかなり速かった。
「僕は正気です」という最後の台詞も、初日よりも大きな声ではっきりと言っていた。

カーテンコールは3回だった。
洸平さんはキリっとした表情で登場し、赤ん坊の泣き声が響いてやっと少し笑った。正座でのお辞儀は頭が床に着くほど深々としていた。
2回のカテコが終わったあとにギターの水村直也さんが登壇され、洸平さんがサッと右手を差し出して迎え入れていた。舞台2日目からこのスタイルになったらしい。
※水村さんは、初演からこの作品に出演し続けている唯一のキャストである。8月17日の公演が400回目だったとのこと。つまり「闇に咲く花」の公演もこの日が400回目だったということである。

〇東京千穐楽の様子

8月末だがこの日も暑かった。最後のシーンの青空のような空だった。
私は4回目の観劇だった。
初日から完成度が高い舞台だと感じていて、大きな演出の変化はなかった。
が、客席の反応は日を追うごとに良くなっていった。
東京千穐楽は、カーテンコール6回。3回目からスタンディングオベーションだった。
6回目に山西惇さんから挨拶が一言あった。
観客の熱気はすごく、終演後すぐに投稿したTwitter (X)に詳しく書いたので貼っておく。

コロナ感染者が増えているなか、一日も中断することなく、キャスト全員が板の上に立ち続けることができて本当に良かった。

▶引用文献、参考文献

・井上ひさし(1991)講談社「闇に咲く花~愛敬稲荷神社物語」
・井上ひさし(1994)新潮社「井上ひさし全芝居 その四」
・「闇に咲く花」 the座118号,2023年8月
・松下洸平(2023)「フキサチーフ第30回」ダ・ヴィンチ,2023年2023年9月号,p139
・「昭和、戦争を描いた井上戯曲を次世代へとつなぐ。」東京人,2023年10月号,pp124-130

▶「闇に咲く花」概要

こまつ座第147回公演「昭和庶民伝三部作」第二作
2023年 こまつ座40周年
作 井上ひさし
所蔵 「井上ひさし全芝居・その四」新潮社
初演 1987年10月9日 紀伊國屋ホール

演出 栗山民也

キャスト
山西 惇(牛木公麿)
松下洸平(牛木健太郎)
浅利陽介(稲垣善治)
増子倭文江、枝元萌、占部房子、伊藤安那、尾身美詞、塚瀬香名子、尾上寛之、阿岐之将一、田中茂弘、水村直也

公演日程
・東京 紀伊國屋サザンシアター
 8月4日~8月30日
・愛知 東海市芸術劇場大ホール
 9月2日、3日
・大阪 新歌舞伎座
 9月6日~9月10日
・福岡 キャナルシティ劇場
 9月12日、13日

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