あとがき20151202(2)

※前回( https://note.mu/kikka303/n/n7863fde5a498 )からの続き
 
どんなお産も素晴らしいお産 ――赤子が地球を救う
http://mamapicks.jp/archives/52190508.html
 
さて↑文中、私が『子ども嫌いからの出産』ということを書いているのですが、2人産んでいることとそれが矛盾するかなあと思って、どっかで説明したかったのはありました。
 
まず、なぜ子どもを持とうかと思ったのか。それは
「自分の年齢、ひとりっ子という環境、遺伝子を残すことへの興味などがあって」。
 
 
20代後半からぼんやりと「ああ、子どもは産むんだろうなあ」と思っていました。
まあ、しかし、なんだ、諸事情から結婚できる状態にならなかったので(うるせえなあ説明はしねえぞ)、いつしか30になりました。
 
実家の茶の間には、親戚の赤ちゃん写真が次々貼られていき、『赤ちゃんギャラリー』になっていました。
 
……実家にいるの、よくないな。
 
と思い、決めてから1ヶ月で引越しを完了しました。
こういうときの私は異様な速さです。
 
引っ越した先はいい感じに寂れたマンションでしたが、隣に、血しぶき柄のシャツを愛用するやくざ風の男、反対側の隣は24時間ゲームの音がダダ漏れしているチャイニーズ、斜め前の部屋には謎のインド人(正月には部屋で歌い踊りながら新年を祝っていた)、その奥にはバングラディッシュ人……と、もはや日本人のほうがマイノリティ。
 
部屋にゴキブリが出た日「もう、ここには住めねえ」と何かがぷちっと切れ、徒歩10分くらいのこぎれいなマンションに再度引っ越しました。入居から10ヶ月目のことでした。
 
 
かねてから、祖母に「あんたは次男の人と結婚しなさい」といわれていました。(←夫の素性を知っている人がたぶんここでふきだす)
 
自分の家系で名字を継ぐ最後の人物、それが私でした。
 
祖母は、婿養子をとれと何度も言っていました。
しかしそれは孫が30になるとともに緩和していくのです。
 
こぎれいなマンションに引っ越して1年くらいすると、とある男性が遊びに来てそのまま住みつきました。男性は、長男でした。
 
「仕事がつらいなあ、家に帰れないなあ、子どもができたら、ちょっと休めるかなあ」
 
そう思っていると、子が出来ました。
しかし、仕事は「お休み」ではなく「退職」になってしまうのですがそれはまた別のお話。
 
こうして、私は自分の名字にとどめをさしたのです。
 
ひ孫を手に抱く夢叶い、祖母は他界しました。
名字は絶やしてしまったけど、最後に孝行できてよかったなあと思っています。結果オーライ(言葉の使い方間違ってる)
 
 
そもそも、なんで結婚しようと思ったんですかね。
というところまで、さかのぼろうかと思う。
 
年齢を考えて目的を絞ろうとして「結婚する気のない人と付き合わない」と公言することで、夫がやってきました。
 
※“結婚したいんだけど結婚できる相手をつかめない人”にはそれを伝授しておきます。どうぞ、ご自由にお使いください。
 
恋愛は気持ちのアップダウンが激しくて、それが楽しくもあって
(こういうこというと、じゃあ自己満足だったのか?って思うんだけどまあいいや)
 
で、それに疲れる日がやってくるとは思わなかったんだけど、来たんだよね。
それを加齢と呼ぶのかもしれないけど、体力が負けた。
 
いいじゃない、安定。
ベースあってこそ尖ったことができるってのもあるかもよ。
 
実際いま、好き勝手やらせてもらってるので、夫はどう思ってるか存じ上げませんが私は幸せです。
 
 
これを「上がった状態」と呼ぶかわからないけど、そうなった上で、子どもの恋愛事情を見るのが、今一番面白いですよね。
5歳くらいになると、みんなませてますぜ……。
 
保護者会で「うちの子、○○ちゃんのこと好きみたいで」という話でだいぶ盛り上がった。そのくらい、『好きな子がいない子はいない』くらい、5歳児のホットなカルチャーは恋愛、とのこと。
 
(まじかー……、という思いもありつつ)
 
長男の“特定の女の子”は通算で4人目くらいなんだけど、今度の子はいつまで続くやら。これまでの子は卒園やら転園でさよならのパターンなので、意外と長いかもしれませんな。
 
女って、こうやってBBAへの階段を上り詰めていくんですかねえ
 
今はそうやって歳をとっていくのが楽しみである反面、40代をどんな気持ちで進んでいけばいいのかまだ見えなくて、来年が怖いです。諸先輩方、ご教示を……

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