おにいちゃん

エヴァンゲリオンが話題になっているこの夏である。
「シン・エヴァンゲリオン」劇場版公開がアナウンスされ、アニメ『シンカリオン』とのコラボ、などなど。
アニメの初回放送が1995年だからもう20年以上前にスタートした作品ということになるが、
文字通りの“新世紀”になり、物語の舞台だった近未来よりも先の時代を生きてしまっている2018年の我々である。
そして“エヴァ人気”はいまだ高いままだ。

1995年当時、エヴァを何度かリアルタイム視聴したのち、我が家では録画が流通した。
私が録画したのか叔父が録ったのか、もう忘れてしまったが、アニメを録画したVHSテープを回覧していた。

叔父のことは『おにいちゃん』と呼んでいた。
「結婚してないから、『おじさん』じゃなくて『おにいちゃん』よ」
そう母親にいわれていたのだが、ついに『おにいちゃん』は『おじさん』にアップグレードすることはなかった。

父親が仕事でほぼ不在にしていた我が家では、『おにいちゃん』が実質的に私の父親役を引き受けていた。
運送業だった『おにいちゃん』は朝はそこそこに早く、夕方には帰ってきた。
日曜はしっかり休めたので、運動会に代わりに出てもらったこともある。
実父母と私、祖母・叔父と私、という2つの家族が我が家には混在していたのだ。

『おにいちゃん』は仕事で週刊漫画を持ち帰ることが多かった。
1週遅れの青年漫画誌がそこらじゅうに転がっていて、小学生女子にふさわしい環境だったか?といわれると少し首をかしげてしまうのだが、一人っ子だった私は、家での時間を“少し大人の漫画”を読んで過ごした。

『おにいちゃん』は私が中2の時に実家を出るものの、近くだったり同じマンションの別の部屋に住んでいたので、ほぼ同居家族として30年ほど過ごした。
高校の同級生が大量に泊まりに来たときには部屋を交換してもらったこともある。
実家の部屋から一升炊きの炊飯器を運び入れてもらって、高校生10人強がその部屋でご飯を食べた。

私の結婚以降、祖母が亡くなり、叔父は定年退職し、少し遠くに引っ越すことになったが、一人暮らしだと身のまわりのことを何もしない叔父を気遣って、家賃の支払いは両親がやることにし、ひきこもるとボケるのも心配し、月一で実家を叔父が尋ねてくるようなシステムにしていたらしい。

叔父と連絡が取れないと聞いたのは去年の今頃だ。
「最後いつ連絡した?」
「7月末に家賃持ってきたとき」
「電話かけるとどうなる?呼び出し鳴る?」
「すぐ留守電になるね」
嫌な予感がした。それは場にいた全員がそう思っていたことでもあった。

翌日、両親は叔父の家を訪ねた。
「行くの怖いな」といっていた父だが、結局ドアを開けたのは母で、第一発見者となった。
その場ですぐ警察が呼ばれ、叔父と思われる男性は運ばれていった。
「玄関先で倒れていた。においがきついし、たぶんダメだと思う」
会社にいる時に母親から電話を受けた。
半分くらい想定していたものの衝撃は大きい。

そこから本人確認が取れるまでに月単位を要した。
夏場のご遺体は腐敗が進むのが早い。2日でもう誰だかわからないレベルになってしまうのだという。

DNAサンプルは父が提供し、兄弟であるかの判定を行った。
死因はもうわからないといわれた。
死亡日は7月の末といわれ、お墓にはそのように彫られた。
実家に顔を出してまもなくということだろうか。

叔父には配偶者も子供もおらず、実家に子どもは私だけである。
ショックを受けてテンパっている両親。
私ができることはこういう時の対応方法を調べることだ。

葬儀社は警察が手配してくれたらしい。
ということはまず、部屋を片付けねばならない。
公団の管理事務所への連絡が必要か。
こういう亡くなり方の場合、かなりとられてしまうのではないだろうか。

保険は母親が元本職だったのでスムーズに手続きができた。
銀行はどうなっているか。おそらく多額の現金が必要になる。
死亡診断書が出て口座が凍結されると、遺族として引き出せるまでに時間がかかってしまうだろう。
まず、死亡診断書がいつ出るのかが全く見えない。その間に清掃業者への支払いが出てくる。困った。

この時期『特殊清掃』という単語でかなり検索をし、見てはいけない画像もかなり見てしまった。
しかし非常時でどうかしていたのであまり画像から受けるショックはなく、どちらかというと現状を回さねばという使命感に追われていた。

その手の業者に発注した経験もなく、どこが一番いいのかなんてわかりっこなかった。
叔父の家から一番近いところが業界大手だったので、とりあえず見積もりを依頼する。
彼らはすぐやってきて、父親が見積に立ち会った。

この時期、遠隔操作でいろんなところに連絡して状況を聞かねばならず、正直、出社どころではなかった。
「叔父が亡くなったのですが、諸事情で葬儀が数か月後になりそうで、しばらく実家のことで出社が遅れたりお休みする日があります」
上司にはそのように知らせた。
上司は叔父の亡くなり方を聞いて「あー、あるあるだよねー」というような返事をした。
お悔やみの言葉は聞けなかった。

特殊清掃にはなんだかんだ100万ほどかかった。
もしもの時のためにこういう金額は知れていたほうがいいのではと思い、一応書いておく。

【孤独死は、掃除に100万かかる。】

結構なゴミ屋敷になっていたという。

60代後半・無職独居男性。
部屋の片付き具合が健康のバロメーターにもなるのではないかなあとふと思ったりした。
皆さんもお盆で実家に帰った際、部屋に違和感がないか確認していただければ幸いだ。

秋になって葬儀日程が決まった。
それまでに公団には返却手続きがすんでいた。
予想外にお金がかかったこと以外はおおむね順調に進んだと思う。

私は少し疲れていた。
上司には「勤怠が悪すぎるよね、俺ちょっともうかばえないわ」というようなことを言われる。
そもそもこの人がはなからかばっていたのか問題、というのはあるが、この時に私の中で何かがぷちっと切れてしまった。

勤続5年にならんとしているパート従業員だったが、無期雇用の件はどうするつもりかを人事に聞いてみたら「何も考えていない」というような返事だったこと、お給料がそんなによくなかったこと、業界の流れ的に正社員の口がちょいちょいあったことなど重なって、思い立ってから1カ月で転職先が見つかって退職手続きに至った。

入社に際し、大変お世話になった方の人づてだったので辞めにくかったのもあるが、それを上回る何かがあった。

葬儀当日、我々一家は葬儀に遅刻している。
というのも夫が例によって道を間違えたからだ。
あわてて斎場に到着した時には我が家待ちになっていて「じゃあ行きましょう」といわれ、棺と我々は火葬場に向かった。
棺を開けられないので最後のお別れができません、といわれた。
まあ、そりゃそうだろう、うつぶせで倒れたまま1カ月経過していたのだから。
棺の上にお花を置いてお別れをしたのち、『おにいちゃん』は灰になった。

身長180cmほどあった叔父だが、晩年は背中が曲がり、やけに小さく見えていた。
「骨が大きいですね、まだ若いからしっかりしていらっしゃる」
葬儀社の方が叔父の骨について説明をしていた。

叔父の人生は、幸せだったのだろうか。

私はお世辞にも裕福といえない家庭に育ったが、祖母と叔父からはかなりお小遣いをもらって生活していた。
さすがに成人してからはそれなりの稼ぎがあったので祖母たちにお金を返していたのだが、社会人になるのが遅れたせいで、その期間は10年に満たなかったのだ。
心残りがあるとしたら、そこだろうか。

わりと稼ぎのよい仕事についていた叔父だったし、家族もなく、遊びにも行かなかったのでお金はかなりあったのだと思う。
その「余」の部分を姪が食い尽くした形だろう。

それでも幸せに思ってくれていればいいのだが、面倒を押しつけた形になっていなかったかは今でも思うのだ。

プライベートはあまり語らず、お酒と青年漫画誌とSF小説、浦和レッズとNACK5を愛していた『おにいちゃん』は、(去年まとめていろんな儀式はやってしまったのだけど)平成最後の今年、新盆を迎えている。

(了・本原稿は投げ銭投稿です)

ここから先は

0字

¥ 100

よい!と思いましたら投げ銭お願いいたします。教育費に充てさせていただきます。。