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COVID狂想曲の終演、そして10歳の私との思わぬ再会

 先々週の日曜日にCOVID発症、その後自宅で療養していましたが、お陰様でやっと回復したようです。私よりひと足早く発症していた息子の症状は始終乾いた咳のみでした。熱もなく元気だったので、アレルギーの症状なのかとのんびり構えていたのですが。。

 私の方は発熱・頭痛→喉痛・声枯れ→胃腸症状という経過を辿りました。高熱が3日ほどで治まったと思っていたら、猛烈な喉痛が。これが一番辛かったです。今週の半ばに胃腸の症状が軽快してホッとひと安心。それ以前に料理や掃除などの家事も、マスクをして徐々に始めてはいましたが、通常の生活にはなかなか戻ることが出来ず。午後は必ず午睡をしたくなるのが驚きでした。

食べきれなかったバナナでケーキを焼いたり。
イタリアントマトでソースを作って冷凍したり。色々と。。

 金曜日には朝市(バナナ屋さんが待つ、以前のアパートに近い方)に坂道をのぼって行ってきました。本当は近場で済ませようかとも思ったのですが、体調は悪くはないし、えいやっと気合いを入れて家を出ました。坂の途中にあるデコレーションのお店のショーウィンドウがすっかりクリスマスバージョンに変わっています。ツリーの根元にはホンモノの猫ちゃんが寝そべっていました。看板猫ちゃんなのかな。バナナ屋さんは、いつもと変わらず私用のバナナの包みを用意して待っていてくれました。私がスキップした先週も、きっと待っていてくれたのでしょう。

 気を良くして土曜日の朝はいつもの公園でのウォーキングに。その前に、アパートの敷地内の公園に寄ってみました。小さな子供を遊ばせるとかの用事もないですし、入居してから私は見に行ったことはなかったので。花壇にこの季節ならではの花など咲いていないかな〜と期待して。残念ながら、そろそろ時期外れのツツジがかろうじて残っているくらいで、他に花は咲いていませんでした。

こんな木に
こんな実がなっていたり。ビヨウタコノキ(美葉蛸の木)というそうです。実の大きさはソフトボール大。
これは椰子の木の一種です。一瞬あの、スーパーフードの「アサイか⁉︎」とも思ったのですが、サトウヤシというそうです。実は熟すと徐々に黒くなっていきます。
小さなプールには蓋が。。夏の盛りには住人で賑わうのでしょうか。サンパウロのアパートにはこんなプールがついている物件が多いですが、以前のアパートのは日当たり問題で水が冷たくて、子供たちもほとんど利用することがなかったです。ここのはどうかな。


アパート前の植え込みのアガパンサス。アガパンサスの蕾はまるで葱坊主のよう。パカっと割れると中の幾つもの小さな花たちが顔を出します。

 結局、公園では12000歩ほど歩きました。療養中は横になって泥のように眠る日々が続いていたので、体力的に心配でしたが大丈夫でした。カロリーを消費して、いつものベーカリーのサンドイッチでカロリーを補給。結局プラスマイナスゼロ。


***


 療養中の時のことを少し振り返ると、毎日横になって休むばかりだったこの日々は、ものを読むことはおろか、好きな音楽に自発的に耳を傾けることさえ非常に難しかったです。でも、皆さんの投稿にちょこっと添えられた動画(曲)で新しい世界の扉が開いたり。辛いながらも充実の時間もありました。

 ある方の投稿で、若かりし頃の中村雅俊さんの学園ものドラマの挿入歌(布施明さんの)が紹介されていました。その曲がきっかけで、まだ10歳だった私が「俺たちの旅」というドラマで中村雅俊さんと衝撃的な出会いをして、沼に落ちていったなぁと懐かしく思い出していました。

 オープニング、エンディング曲。どちらもイントロを聴いただけで当時の思い出がブワーっと頭を駆け巡ります。家族と一緒の茶の間ではなく、子供部屋で。お下がりの小さなテレビに齧り付いて、日曜日の8時台のこのドラマを親に内緒で楽しんでいました。小学生にはドラマの内容も大人に思えたし、ちょっとばかり背徳感が。。弟は父と一緒にプロ野球でも観ていたのでしょうか。やはり一緒に観た記憶がありません。

 中村雅俊さんのバンカラというか朴訥というか、粗野というか。垢抜けないながらも、温かなパーソナリティが溢れている感じがして(お芝居ではありますが)、その見た目も小学生だった私にはなぜかどストライク。すっかり夢中になってしまいました。小椋佳さん作詞作曲の楽曲もとても良い。今改めて聴いても、その言葉選びの秀逸さに唸ってしまうほどです。上の動画でドラマの様子もちょこっと垣間見ることができます。年の離れたお兄さんに思えたのだけれど、今の私の娘と同じ年頃だったと知って改めて驚愕。こんな男臭いドラマが好きな、変わった子供だったのだなぁ、当時10歳のわたし。

 その後も雅俊さん熱はティーンの終わりまで続いたでしょうか。歌番組やラジオ、ドラマご出演と聞けば熱心に追いかけて観ていました。NHKの大河ドラマ「おんな太閤記」では、西田敏行さん演じる豊臣秀吉の弟、秀長役でご出演。私の中では、この豊臣秀長は歴史上の人物の中で「いい人」ナンバーワンに。単なる自分の思い入れなのですけど。

 自分でコツコツと収集した雅俊さん情報では、雅俊さんは宮城県、牡鹿郡女川町のご出身で、外交官を目指して東京の大学(東京外語大)を受験するために上京。私の実家のある千葉県市川市の隣りの市、船橋市にあった東京の大手予備校の寮から東京に通われて、猛勉強されていたということでした。(主にラジオ番組からの情報収集。)1年間でも千葉県在住だった!それだけでも親近感が爆上がりです。

 結局一浪ののち慶應大学の経済学部に進まれ、サークル(ESS English Speaking  Society 英会話研究会)ドラマセクションに所属、その後文学座に入られて俳優の道に進むことになったそうです。そして歌手デビュー。ドラマの挿入歌でデビュー曲の「ふれあい」はたちまちヒットチャートに踊り出ました。(wikiの調べではなく、あくまで私の記憶によります。)

 以上のご経歴から、学園ドラマ(「青春ド真ん中!」や「ゆうひが丘の総理大臣」など)で英語教師役を演じられたことにも納得。中学生以降、カッコいい英語教師を夢見た私は、自然に英語や海外に興味を持つようになるわけですが、就職したメーカーでラ米(ラテンアメリカ部)に配属となり、その後は縁があってブラジルに移住。現在に至るというわけです。。雅俊さんの影響をちょっぴりだけ受けた人生でしたが、どこでどうなるか分からないものですね。

 前述の朝市には、雅俊さんのベスト盤を聴きながら行きました。半分くらいしか曲は知らないけれど、これがまた良い。すっかり引き込まれて何巡回か聴きましたよ。

https://open.spotify.com/album/10zLoCvJhbNT5WbMaic0ET?si=qwtv1m3pQryRr0jUKrLtuw

 やはり昔に出会って大好きだった曲たちは、永遠に好きだけれど、新しい曲たちもなかなか良い。

また会う約束などすることもなく
それじゃまたなと別れるときの
お前がいい

小椋佳作詞作曲「ただお前がいい」より一部抜粋

 帰国するといつも会ってくれる友人達を思い出すような詞の一節。


 私が日本を離れた後に起きた東北の震災の後には、雅俊さんは被災地に足を運ばれて地元の方々を励ましてこられたとも聞きました。今のご活躍はなかなか追えずにいるけれど、変わらずお元気でますますのご活躍を、と改めて思った療養の日々でした。

 

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