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【4】日ソ開戦前の状況~本土防衛至上命令~


前回の記事はコチラ。


今回はここから。
参謀部に所属しているおじいちゃん達の職場についても書かれています。

今回はこちらを文字起こし。


参謀部動員勤務のわれわれは、東安以来多忙のため毎夜深夜まで庁舎内に閉じこまり十分な睡眠をとる事さえ出来ぬ情態におかれていた。

主任参謀は月岡少佐で、動員室には主任の両角少尉・私・藤戸軍曹・安信属官・西村/長井両伍長・遠藤属官・山田/坂口上等兵・さらに近藤/氏家/森山/後藤 4人の若い女子筆生の都合13名が勤務していた。

編成関係、将校下士官の掌握、人員及び馬匹に関する件とそれぞれ任務を分担し、60余の隷下ならびに指揮下部隊への命令の下達のため文書印刷や電話連絡に当たった。


第5軍司令部は通称号城第5033部隊で防牒上固有名称は使用禁止であった。


その庁舎は棭河台地にアカシヤの林に包まれて建っていた。
両方眼下に牡丹江の流れをひかへ、その先に牡丹江の明るい市街地が望まれいわば景勝の地で、東北から東にかけ軍人会館、酒保、続いて官舎地帯、満人部落と少数の白系露人の部落、更に軍の駐屯地には附属的特殊慰安所が散在し、町といふには乏しい家並である。

頃しも戦局は沖縄最後の段階にあり、刻々報ずるラジオニュースは物量を恃む米軍の砲攻撃の前に次々に潰滅してゆくことを知った。
かくして本土決戦がひしひしと感じられ、われわれもいつかそれに加はるのではなかろうかとさえ思へた。

こうした中で新編成の部隊は幹部の欠員が目立ち、到底計画令に示す正規の編成はとれなくなっていた。
幹部、および特技者の転出の中で部隊の新編成に追はれ、本土防衛は焦眉の急であり、第5軍の兵力は日々に低下して最強時のおよそ3分の1になっていた。

統べては本にあり。
本を枯らして何になる。
本土防衛至上命令だ。


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