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【15】日ソついに開戦~8月13日~関東軍総司令部の連絡もまた絶えた。

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8月13日。
引き続き交通整理。
後退部隊又は兵が俄然多く、もはやわれわれの手には負えなくなってきた。

ムーリン方面の砲声。対するは野戦重砲兵第20連隊か。
軍直轄砲兵で斐徳より移駐した陸軍大佐 松村精ひきいる志気旺盛な精鋭部隊である。

昼頃から第135師団正面に敵戦車が出没、これにわが応酬があり戦車は一時後退したもののいつ攻撃してくるか分からぬ。
だが夜に入ってから戦況は緩慢となり通行する兵の姿も殆ど絶えた。

しかし代馬溝方面には照明弾が著しいし、第一線では彼我数万の軍隊が命を賭して攻防戦をを展開しているのだ。

司令部では刻々入る情報に戦車肉迫攻撃を編成して待機する事になった。

壕に入るとうす暗い壁の大地図に赤の矢印が伸びており「では、ごきげんよう。ご奮闘を祈ります。」の悲痛な参議長の声と共に野戦重砲兵第20連隊との連絡は絶えてしまった。


当初の作戦命令による「現在地掖河を死守すべし。」も敵の異状な快進撃の前にわれわれとの距離も近くなっていた。
牡丹江の第1方面軍司令部は敦化(トンカ)に後退し、第5軍は自らの進退を決すべき段階にたたされた。

関東軍総司令部の連絡もまた絶えた。

軍の連絡規定を平時もっともやかましく隷下部隊に要求したのはこれら上級司令部ではなかったのか。
それが逸早く後退し連絡が途絶えるとは・・・。


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