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バレンタインにピロシキを作っていって彼氏にドン引きされた話 #料理の失敗談

「中二病」「黒歴史」と聞いて、あなたは思い出す……いや、別に思い出したくないのに、どうしても思い出さずにはいられないような、そんな何かがあるだろうか。
私は、ロシアの伝統料理「ピロシキ」だ。
ちなみに、今まで生きてきてロシア足を踏み入れたことは一度もない。

中学生のとき、お付き合いしている人がいた。とは言っても、いわゆる“THE・中学生”なお付き合いだ。住んでいた所が本当に田舎だったので、1時間に1本とか2本とか出てる電車に乗って街に出て、ゲームセンターに行ったのが記憶に残ってるデート。そういえば修学旅行で、ホテルの内線で1時間くらい話してたのが先生にバレて翌日「今が一番楽しいねえ〜」って言われたのを、これ書きながら、今思い出した。

雑誌のレシピの切り抜き集 500部くらいあった もうこの頃から収集癖あるのが伺える

もう一つその頃好きだったものがある。料理だ。昔から料理が好きだった。というより、昔はレシピを蒐集するのが好きだった。インターネットというものに触れ、すぐにその世界にのめり込んた私。上がり続ける通信費を見かねた親が折れて、中学生になった頃にダイヤルアップ接続からブロードバンドの定額プランに変えてくれた。(先輩に憧れるみたいな気持ちでより快適なネット環境を夢見ていた私、当時の刷り込みのせいで、今でもブロードバンドとか光ファイバーって単語を見聞きすると時代錯誤にも心が踊ってしまう)一日中パソコンを触りながら、そのうち色々なレシピを検索するようになって「世界の料理」を調べるのにハマった。

フランスのタルトタタン、アメリカのマッケンチーズグラタン、オーストラリアのカンガルーの肉……。それまでの、図書館という物理的に限られた空間から、インターネットという膨大な情報の海に泳ぎ出した私は、ありとあらゆる世界のレシピを検索しまくった。そして、世界を知ったつもりになっていた。

時は2月。迫り来る、初めての彼氏がいるバレンタイン。私が料理を好きなことは友人達の間にも知れ渡っていたので、当時の私は、周囲とは違ったものを作ってみなければいけない義務感に駆られていた。

そこで白羽の矢がたったのが「ロシアのピロシキ」だったのだ。

この前大掃除してたら出てきたピロシキレシピの印刷。

ロシアやウクライナ、ベラルーシなどの東欧で、まるでおにぎりのように食べられてきたピロシキ。ゴーゴリの「死せる魂」など、ロシア古典文学にも頻繁に登場するくらいに長く愛されてきた品だ。本場のものは揚げるよりもオーブンで焼くほうが主流らしく、生地もパン生地のみならず、練りパイ生地や折りパイ生地など、多種多様に富むとのこと。

具材も日本だと挽肉と刻んだ野菜を炒めたものが多いが、現地だと、もう、なんでも入れちゃうようだ。おそらく日本のカレー、西洋のミネストローネ、ポトフなんかのように、ある食材をいかに簡単に美味しく効率的に料理するかを考えた結果、多くの人に選ばれ、歴史に残った料理なのだろう。

はあ、なんて崇高な存在ピロシキ。そう、当時の人々に、そして歴史に選ばれたのはピロシキだったのだ。絶対美味しいに違いない。ピロシキ、君に決めた。私はその年のバレンタインの成功を確信した。

バレンタイン前日。チョコレートを刻む代わりに、ニンジンや玉ねぎを刻む中学生の私。いつも料理は切り物から先に終えておく。洗い物の回数をできるだけ少なくするためだ。

生地はイースト入りのパン生地タイプのものにした。イーストと塩を近くに置いておくと発酵を阻害する、なんて話は有名だが、実はそれほど変わらないとも最近は聞く。(当時は塩とイーストが混ざると世界が終わると思っていた。)

形をかわいくしたくて、生地の閉じ口をひねる感じにして、少し本場っぽく、オーブンで焼いて仕上げた。

さあ翌日、決戦の日。本番の日。

昨日夜遅くまで焼き上げたピロシキを見ると、すこし萎んでいる気がした。まあそりゃやはり、焼きたてには敵わないだろう。

紙袋にピロシキを入れていざ登校。皆、思い思いの大きな紙袋を携えて登校していた。紙袋はCOCOLULUが多かった気がする。皆、友チョコが新たな戦いの火種にならないよう、チョコレートやクッキーを、30個とか40個持ってきていた。動物園のような治安、いや、もしかしたら動物園の方がもっと理性的かもしれないような私の中学校は、チョコ1つ足りなかったとかで、明日からの平和な学校生活が保障されない可能性があった。一方、この頃から学校半分、インターネットの世界半分で生活していた私。学校生活にあまり未練はなかった。そんな私がご用意しましたのは、挽肉が詰まったずっしりとしたピロシキ。用意できて10個。大変希少性が高い。また、サイズ感も申し分ない。

とはいえども、途中でおもしろくなってきた。私なんで数ヶ月前から準備してバレンタインにピロシキ焼いたんだろう。渡すのシンプルに恥ずかしい。紙袋を見てみると、中の具材の油が染み出してきていて、油染みをつくっていて、どんどん冷静になってきた。そもそも、バレンタインにピロシキ渡されて嬉しいのかな?

そんな悶々とした思いもありつつ、結局渡さないわけにはいかないので、油染みが手につかないように、急遽更に上ビニールで包んだ。「わあ。これは、普通にチョコレートにしたらよかったな」と心から後悔した。当時の彼氏の反応をよく覚えていないのは、渡した時、まともに顔を見れなかったからだと思う。

もしかしたら、バレンタインにピロシキを作ったこと自体が夢だったのかもしれない。と思うことがある。でも、今でも地元の幼馴染(すなわち当時私のピロシキを受け取った選ばれしメンバー)に会うと「昔、きこ、バレンタインにピロシキ持ってきたよね。」と言われ、あれがはっきりとした現実だということを突きつけてくる。なんなら、ピロシキを街やテレビで見かけるたびに思い出して「ピロシキあったよ」と写真付きで連絡をくれる。相当衝撃的だったのだろう念の為言っておくと、ピロシキは何も悪くない。ピロシキを恨んでもいない。ただただ、私が若かったのだ。

バレンタインがくるたびに、ふいにピロシキを見るたびに、ああ、張り切りすぎたらダメだぞ私、私の中の世界観を、そのままアウトプットして人に正しく伝わるとと思うなよ、と思うようになったのでした。

ちゃんとチョコレートのレシピも印刷してたんだけどなあ


P.S.
ちなみに、縄文時代によく食べられた「どんぐりクッキー」も候補に上がってました。調べてるうちに食べられるどんぐりの入手が当時は困難で諦めた。

おまけ
この記事用のために画像見返してたら、大学時代に理数系の学部の彼氏に作ったステロイド骨格チョコパイの写真も出てきたので供養しておきます。まだチョコレートのアイデンティティは残っているので中学の頃からはしっかり成長していると思いました。

多分大学生の時の当時の理学部彼氏に作ったステロイド骨格チョコパイ


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