菊地匠

絵を描いたりしています

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渚にまつわるエトセトラ

 僕の通っていた小学校では、海辺の施設で宿泊学習を行っていた。たしか8、9歳のころ、その日は曇っていた。  夕方から海辺を散歩し、夜には施設の裏での森で肝試しを行う。  海辺を歩き始めると、すぐに皆あることに気がつく。前日に嵐でもあったのか、数十羽という単位の海鳥が浜に打ち上げられて死んでいた。  僕のことを好いてくれていた女の子が、「懐中電灯が壊れたからアンタと一緒に歩くわ!」と漫画みたいなことを言いながら腕を組んできた。  海鳥の死体の間を進むうちに、今度は大きな海亀の

    • 『STONER』を読んで

      数年前に買って忘れていたジョン・ウィリアムズの小説『STONER』を読み終えた。ウィリアム・ストーナーという男の静かな一生を描いた小説である。 この作品では、農家の出であるストーナーがふと英文学への適性を見出され大学人になり、家庭や仕事での挫折を味わい、束の間の後ろめたい幸福にも与り、やがて不可避の衰弱に飲み込まれるという誰しもが味わいうるような人生が描写されている。 だからこそその結末、人間誰もが避けられない運命に向かって淡々と進んでいく語り口には言いようのない普遍的な悲し

      • スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース観てきた

        観てきました。 マルチバースものってなんでもアリになっちゃってリアリティラインを説得的に描くのが難しいなかで、前作『イントゥ・ザ・スパイダーバース』はアートスタイルを四方八方から引用することでマルチバースものというジャンルに相応しい混乱したリアリティラインを打ち立てた傑作でした。 で、今作はどうだったのかというと結論から言えば 前作のが好きでした。以下理由をタラタラと書きます。 前作はシナリオとマルチバースというジャンル、そしてアートスタイルが緊密に噛み合った素晴らしい

        • 日本画に対して

          色々なものに留保をつけて思考する癖のある僕だけど、いくつか留保なき瞬間的な判断を下してしまう対象がある。 そのうちの一つが「日本画」という言葉だ。  WEB版美術手帖で組んでもらった座談会を読んでもらったらすぐにわかるようにとにかく僕は日本画という概念について否定的である。 それは理論的なものというよりもむしろ生理的反応に近い嫌悪感だろう。僕が過ごした大学時代の経験から日本画にそのような感情を抱くこととなってしまったわけだが、その感情を核として自分なりの理屈を構築し日本画へ

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        渚にまつわるエトセトラ

          Platea −マネがいる場所

          以下の文章は、2020年の個展の際に発行した図録『in Platea』に収録した僕の文章です。図録がおかげさまで売り切れて久しいので、文章をここに再掲します。 Platea −マネがいる場所 マネの犯行  マネは、紛れもなく「近代絵画の父」の一人であるが、その魅力は、美術史的な重要性から生じるもののみにはとどまらない。ジョルジュ・バタイユは、言わずと知れた『マネ』において新たな時代の幕開けをマネに見ているし、他にもミシェル・フーコーやクレメント・グリーンバーグなど、錚々

          Platea −マネがいる場所

          記憶の種

          自分がなんだかやたらと気に入ってたまに思い出しては面白いと思っている他愛無い記憶がいくつかある。 1.町民 in トルコ14歳のころ行ったトルコの、青と金の糸が織り込まれたきれいな雑貨が売っていたお店で、「どこから来たの?」と質問されたときのこと。 ぼくはなぜか「〇〇町から」と、県名や市名ですらなく、伝わるはずのない町名を答えてしまった(というか同じ県内でも伝わる人はほぼいないだろう)。店員さんはどこだそれ…?みたいな顔でぽかんとしていたので、あ、そういうことじゃないんだ

          記憶の種

          マネ《オランピア》のまなざし

           11月の個展に絡んでくるモチーフはいろいろあるのだけど、そのうちの一つがマネなので、ここのところマネについての文章を少しずつ書いている。その文章は、個展で販売を予定している展示の図録に収録しようと思っているが、書き進めていくと連想的にあれやこれや入れたくなってくる。そんなことをしていると全然まとまらないので、結局は削るのだが、ならばnoteに書いたらいいじゃないと気が付く。  というわけで、マネ《オランピア》について徒然なるままに書いていきます。  言わずと知れた名画《

          マネ《オランピア》のまなざし

          個展 In Pause. について

           去年の5月、僕の2回目の個展を地元足利のギャラリー碧で開いた。今年の11月にも個展を開催するが、その前に前回の個展を自分で振り返ろうと思う。 中間休止 In pause.というタイトルは、「休止して・中断して」というような意。ヘルダーリンの「中間休止」を念頭に置いてつけた。中間休止とは、ヘルダーリンが悲劇を論じた際に持ち出された言葉だが、淀みなく進行していた劇のリズムを途切れさせるものとして、物語の山場に登場する。研究者の田野武夫によれば次のように説明される※1。 運

          個展 In Pause. について

          Randy Newman "Sail away"

          『トイストーリー』シリーズなどで作曲を手掛けているランディ・ニューマンというミュージシャンがいる。名曲「君はともだち」など、日本でも知名度があるので僕が紹介するまでもないけれど、映画音楽を手がける以前の彼は、かなりシニカルな作風で知られていたらしい。  “Sail away”という曲は、シニカルなランディ・ニューマンの真骨頂とも言える曲だ。歌い出しはこのように始まる。 In America you'll get food to eat Won't have to run

          Randy Newman "Sail away"

          旅行記Ⅴ

           友人の、王将行きてぇ発言の衝撃醒めやらぬまま、この旅の大トリであるヴァチカン美術館へ向かう。目当ては、なんといってもミケランジェロ作《天地創造》だった。当時の僕はミケランジェロを崇拝していて、というかミケランジェロしか知らないくらいの勢いだったが、とにかく、その神話めいた逸話や、超人的な体力から生み出された傑作の数々に若い僕は心酔していた。お気に入りの逸話は、ミケランジェロは、彫刻を大理石の中に囚われているイメージを解放することだと捉えていた、という話。いかにも天才という感

          旅行記Ⅴ

          旅行記Ⅳ

           ヴェネツィアを発ち、次の目的地はフィレンツェだったが、それは飛ばしてローマについて。  ローマでは、普通地下鉄を利用していろいろ巡るのが得策だと思うのだが、僕と友人はなぜか全部徒歩で通してしまった。  宿がある中心部から歩いて1時間ほどのところ、トラステヴェレ地区に、サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会がある。ここの目玉はなんと言っても、ベルニーニ作《福者ルドヴィカ・アルベルトーニ》だ。  当時、この教会は工事中だった。彫刻を取り囲む空間が修復作業中の建築という、ある種

          旅行記Ⅳ

          旅行記Ⅲ

           大学1年と2年の間の春休み、高校時からの友人とイタリア旅行をした。ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマの3都市を巡った。成人式にあわせて髪を染めるというイキリムーヴをかましたあとの2月、無敵だった僕(ヘッダー参照のこと)はミケランジェロの天井画が見たくて、美術史上の大天才たちはどんなもんかいなと視察しに日本を発った。  行きの空港で、友人が「我孫子」のことを「がそんし」と言ったのをきっかけに、高校の頃、取り巻きに自分のことを尊師と呼ばせているヤバい奴がいたことを思い出して盛

          旅行記Ⅲ

          旅行記Ⅱ

           中学2年の夏、家族で旅をした。(エジプトについては旅行記Ⅰに書いてあります)  旅の最後の目的地は、ギリシャだった。足を踏み入れた時、なんとなく僕の地元に似ているな、と思った。  西洋文化への影響力という点で、古代ギリシア文明は他を圧倒している。まぁギリシャはギリシャで、エジプトやアジアの文明から少なからず影響を受けているのだが、後述するように、ギリシャ原理主義とも呼びうる人々は、それすら認めたくなかったようだ。  ただ、ギリシャ文明には、他からの影響を受けることなく独

          旅行記Ⅱ

          旅行記Ⅰ

           中学二年生のとき、家族でエジプト、トルコ、ギリシャを旅したことがある。 父親は僕らよりも先に出発していて、エジプトで合流した。  僕が小・中学生のころ、「トリビアの泉」というフジテレビの人気番組があった。みんな見ていたように思う。「伊藤家の食卓」や「トリビアの泉」など、人気バラエティ番組がまだ存在感のある時代だった。  「トリビアの泉」は視聴者から募集した豆知識をVTRで紹介し、出演者が採点していく番組だったが、ある日、「エジプトのスフィンクスの目線の先には、ケンタッキー

          旅行記Ⅰ

          マツタケ

           以前に買ったマツタケに関する本(アナ・チン『マツタケ』赤嶺淳訳、みすず書房 2019)を読んでいる。  まだ途中だけど、なかなか面白い。  アメリカでは、日本向けに輸出するマツタケを狩るハンターたちが様々なバックグラウンドを背負い、森に生きている。そこではマツタケ狩りだけでなく、バイヤーや、違法な採集行為を取締る警官などが織りなす、あたかも菌糸のように複雑に絡まるマツタケを巡る物語が展開されている。  本文中でも指摘されているが、ネグリやハートのような思想家が想像する「帝

          マツタケ