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旅行記Ⅴ

 友人の、王将行きてぇ発言の衝撃醒めやらぬまま、この旅の大トリであるヴァチカン美術館へ向かう。目当ては、なんといってもミケランジェロ作《天地創造》だった。当時の僕はミケランジェロを崇拝していて、というかミケランジェロしか知らないくらいの勢いだったが、とにかく、その神話めいた逸話や、超人的な体力から生み出された傑作の数々に若い僕は心酔していた。お気に入りの逸話は、ミケランジェロは、彫刻を大理石の中に囚われているイメージを解放することだと捉えていた、という話。いかにも天才という感じでかっこいいですよね。

 思えば東京芸大の日本画を志したのも、父親が作品に岩絵具を使用していて馴染みがあったのと、倍率が高くて難しいからという理由、そしてギリシャ、ルネサンス彫刻を基にした石膏像を上手に描けるようになりたいという動機からだった。芸大の教授なんて1人も知らなかった。予備校時代、周りの友人が「芸大教授の手塚雄二展、行かなきゃ!日本画の受験生だったら見るっしょ」みたいなことを言っているのを聞いて、僕は「誰だよそれ知らねー、ミケランジェロのがすげーし」と小学生みたいなことを思っていた(今でも思っているけど、そもそもミケランジェロと比べたら、殆どの芸術家はすげーくなかった。手塚先生ごめんね)。

 ヴァチカン美術館は想像していたよりも広かった。世界一小さい国としてのヴァチカンのイメージが強く、こじんまりとしたものという思い込みあったが、美術館としてみたら日本の美術館のほとんどを上回るだろう規模だった。国土に対する美術館が占める面積は世界一だろう。

 そこにはさまざまな質の高い作品があった。例えば、メダルド・ロッソ。ロダンと同時代人の彼は、知名度こそロダンほどではないが、見たものに忘れがたい印象を残す彫刻家の1人だ。溶けたような人物像は、近付けば近付くほど焦点が散乱し、感情や身振りを読み解き難くなる。

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 母と子らしき2人の人物が溶け合い、ハート型の塊になっている。例えばミケランジェロの未完のまま放置された作品(除く晩年期の作品)が、大理石の牢獄から一個の存在が解放されようともがいているように、つまり全から一(個)へ向かっていくように見えるのに対し、こちらの作品は、むしろ2人の独立した人物が抱擁という行為がもたらす一体感に溶融していく最中であるような、つまり個から全へと向かっているように思える。

  紀元前11000年あたりの作だと考えられている、「アインサクリの恋人」という出土品がある。

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 興味のある人はぜひ検索してみてほしいが、このオブジェは、角度によって色々なものに見える。上の写真では抱き合っている恋人に見え、横から見ると男根、上から見るとお尻のようにも見える。性的なイメージに溢れるこの小さい石ころは、豊穣を願うための小道具だったのだろうか。それとも、性愛を言祝ぐ、恋人たちのためのアクセサリーだったのだろうか。
 性愛、母子愛という違いはあるが、見る距離や角度によって、シームレスに異なる印象へと変化するこれら二つの作品は、切れ目、境界の消失こそ愛の条件だと主張しているようだ。
 ベルクソンもそういえば、ディスタンクシオン(区切り)を批判し、持続からもたらされる生の躍動(elan vital)を称揚していた。ベルクソンはまた、言語を忌み嫌う。生の経験は本来切れ目のない持続であるのに、言語でそれを形容しようとした途端、文節や単語などに区切られ、そうして得られた認識は持続とは程遠く、人間の理性で扱いやすく誂えられた人工物のようになってしまう。僕自身の言語に対する意見は異なるが、ベルクソンの言語観について雑にまとめるとこんな感じだと思う。
 この時代、ベルクソンの考えに影響を受けた芸術家は少なくなく、彼らはベルクソニアンと呼ばれた。「アインサクリの恋人」は遥か太古のモノだし、ロッソは同時代人だがベルクソンの影響を受けたのか不見識ゆえ僕にはわからない。しかしなんにせよ、理性的言語の手前、そして彼方で、こうした恋人像、母子像が作られたのだと一応言えるだろう。

 なんとなくメダルド・ロッソの作品について書いたら思いがけず長くなってしまったが、そんなこんなでミケランジェロの《天地創造》を見た。礼拝堂なので、私語は慎まなければいけない。ざわざわしだすと、係員がシィーと注意していた。天井画は確かに天才の所業であった。ヘッダーは僕の模写だが、実物の筆捌きは(僕のとは違い)大胆で、遠くから見ても人物の動きは伸びやかで、縮こまっているところは一つもなかった。有名すぎるアダムの創造の場面もやはり素晴らしく、描かれた梁にさえも感動した。
 が、しかし、前回の記事の終わりに書いた「本当の感動」は、《天地創造》によってではなく、その前後どちらか忘れたが、ともかく、近い場所にあったマティスのドローイングによってもたらされた。

 ヴァチカンで、ロザリオ礼拝堂というマティスが晩年に心血を注いだ礼拝堂のための習作と、思いがけず遭遇した。本当に衝撃を受けた。自慢じゃないが(いや、自慢か)僕は幼い頃からわりと素晴らしい芸術作品に触れてきたつもりだ。生まれて間もない頃から父のアトリエに入って遊んでいたし(乗り板の上でボヨンボヨン跳ねてた)、現代アートとの出会いは、小学校低学年で見た、キーファーの《革命の女たち》とアヴァカノヴィッチ《ワルシャワ 40体の背中》だった。また、以前の旅行記でも書いたように、エジプトやギリシャの古代文明も、今なお拭い難い影響を僕にもたらしている。
 しかし、ヴァチカンで見たマティスのドローイングは、それらを見た時には感じなかった、ある特別な印象を残した。それは、マティスの作品は言語である、という鮮烈な印象だった。(ちなみにマティスは言語嫌いのベルクソンに影響受けてるけど、『画家のノート』の中で、絵画は言語に他ならないと言っている。僕の感じた印象が本人による証言で裏付けられ、「うわっ…わたしの見る目、ありすぎ…?」と喜んでいたけど、よくよく考えると、そう感じさせるマティスの作品の力が凄まじい、ということに尽きる。)

 「マティスの作品は言語である、という印象だった」なんて、今でこそ冷静に記述できるが、その当時の衝撃はとてもこんなものではなかった。帰国してからすぐにこのことを話した友人、キイチビール&ザ・ホーリーティッツでベースも務める橋本=タフネス=樹くんは、「菊地くんの話を聞いてから、思考がゲンゴゲンゴしてるんだよね」と言っていた。ゲンゴゲンゴ。これはかなり感じた印象に近い。より正確に描写するならば、マティスの作品を見たとき、「ンゴンゴ!!」(太字にアクセント)と思ったのであった。(マティスと言語について僕が真面目に書いたものは『美術教育の可能性』(小松佳代子編著、勁草書房、2018)の第七章「芸術における「隔たりの思考」」に収録されてます。ベンヤミンの言語観と比較して、マティス、ひいては僕自身の立ち位置について論じてます)

 ンゴにあてられ、僕は放心状態だった。現地ではなんかファーーん…みたいなホーリーな音が鳴っていたのだが、友人は覚えていないという。もしかしたら感動しすぎた僕の脳が勝手にホーリーサウンドを生み出してしまったのかもしれない。

 いま思い出したんだけど、「ゼルダの伝説 時のオカリナ」に、暗黒幻影獣ボンゴボンゴ(かっこいい!)というボスが出てくる。ゲンゴゲンゴと似ている。ボンゴボンゴは、浮いた両手と大きな眼球が特徴の、恐ろしいボスだ。ゼルダのボスほとんどに当てはまるが、デザインが機能を十全に説明している。ボンゴボンゴは弱点でもある大きな目でプレイヤーを追い、両手は、手の機能であるところの、叩く、握る、掴む、などの攻撃をくりだしてくる。手や目が持つ機能や約束事を組み込んだ記号的デザインは、プレイヤーに対して、ボスの動きや攻略法をそれとなく示唆してくれる秀逸なものだ。
 マティスの作品は、かなりボンゴボンゴとは異なる(当たり前だ)。対照的とさえ言えるだろう。木炭かチョークで描かれている聖母子はかなりシンプルで、ほとんど輪郭のみで表現されている。手は一本の線へと還元され、顔には目も鼻もない。機能や約束事へと滑り込んでしまう要素を極力減らし、全体で聖母子という一つの言語をなしているのだ。

 マティスの聖母子は、また、上で紹介したメダルド・ロッソや、アインサクリの恋人とも異なる愛の形を持っている。マティスにおいて「愛」はその目標ではなく、むしろ作品を成り立たせる接着剤みたいなものだ。言い換えれば、彼の作品のなかで愛は、ンゴに奉仕している。前出の『美術教育の可能性』第七章でその言語性について詳しく書いてるので、ここでの説明は措くが、一言だけ言えば、絵画の文脈下で、という条件のもと、マティスの作品は楽園においてアダムが持っていた、正しい認識に匹敵するものだと感じられる。

 この旅の始めで無敵から二敵(旅行記Ⅲ参照のこと)になってしまった僕は、マティスを経て、もはや無味方になっていた。予備校の先生に褒められ、鼻高々&意気揚々と一位を取るつもりで挑んだコンクール(美大芸大版の模試みたいなやつです)が160人中120位くらいだった時も、ここまでのショックはなかった。

 帰国して、年齢の近い級友たちに散々この旅のことを話した。みんな真剣に話を聞いてくれて、友人に恵まれたな、と思った。ただ、いろいろと考えてるうちに、自分の描いている絵が、マティスに比べると取るに足らないものだと感じてきて、3.6×1.8mの、全面に裏箔(裏面に金箔や銀箔を貼り、僅かに輝きを透けさせる技法)を施した完成間近の作品を、「こんなんじゃだめだ!」と破り捨てたりもした。アツイ。
 超水道というサークルで活躍する山本すずめもよく話をした級友の1人だが(今でもする)、彼は当時、「最高の愛〜恋はドゥグンドゥグン」という韓国ドラマにハマっていた。彼ははじめ、間違ってタイトルを覚えていて、「恋はドゥングドゥング、面白いよ」と言っていた。
 今思うと、そのマイペースさにはだいぶ救われたように思う。当時の僕は、マティスの良さがわからない先生、先輩、同級生、みんな頭おかしいと本気で思っていた。おかげさまで今はだいぶ丸くなったので、「僕には信じられないけどまぁ人それぞれだよね」くらいに収まっている。

 暗黒幻影獣はボンゴボンゴ、恋はドゥングドゥング、愛はンゴンゴなのであった(なんだそりゃ)

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