見出し画像

映画「ブレードランナー」 死にたくないから神を殺した人間存在の物語。

 SF映画の不滅の金字塔。
 「金字塔」とは一義では「ピラミッド」とのこと。金の字のように先が尖った建築物を指して金の字の塔。それにならい、転じて二義で「不滅の業績」ときます。
 ピラミッドは、死にたくないと願った王の墓です。
 この映画に登場するレプリカントも、四年間しかない寿命を知り、製造した科学者に近づき延命を訴える。だが、願いはかなわず、彼を殺してしまいます。
 「自らに似せて我らを作りたもうた」神を殺す。レプリカントはつまりこれ、われわれ人間のことですね。寿命が四年か八十年かの違い。

 人間はなぜ生まれたのか。なぜ生きているのか。やがて死ぬことを知っているのに。

 こうした古典的な哲学を近未来の映像で表現したのがこの「ブレードランナー」。
 死ぬことを知っており自分がなぜ存在しているのか知らないのは人間も同じだ。ハリソン・フォードと戦い、死ぬ間際のハリソンを見てそう気づいたレプリカントの首領ルトガー・ハウアーは、ハリソンを助けることで、自分の生を最後に意味づけ、自らの死を安らかに受け入れます。
 
 その視覚効果や近未来のメトロポリスの退廃風景、伏線の発見や回収方法についてマニアを喜ばせてくれています。伏線かどうかの議論も、ただの脚本ミスからという指摘も含めて、リドリー・スコット監督のもつ暗い芸術志向にかまけたいい加減さが、良くも悪くも破綻ぎりぎりのケガの功名で深さを増しているというように感じます。
 
 それにしてもルトガー・ハウアー。
 何もしていないがやっているように見えるハリソン君はさすがですが、適役のルトガー君はかなりこの役に入れ込んだのが伺え、登場するたびに目がひきつけられます。例えは悪いが吉本新喜劇の待ってました定番ギャグのように「さあ来た来た!」という興奮。
 「ふぇぁ…いず…、じぇいえふ、せばすちぁん」
 この件、観ながらつい口をついてマネしてしまいます。

 主役ながら適役・相手役に印象を奪われているということはよくあります。
 ハリソン君なら「逃亡者」ではトミー・リー・ジョーンズがほとんど主役だし、あの三船敏郎でも「赤ひげ」では超人すぎるのはまずいと無理に生の人間を演出しようとしながらうまくいかず、ストーリー上も加山雄三の引き立て役になってしまっています。三船敏郎は当時自分の会社を作っていて非常に忙しかった時でした。
 
 そうはいっても、「ブレードランナー」「逃亡者」はハリソン君でないといけないし、「赤ひげ」での三船の圧倒的な存在感は何者にも代えがたい。三船でない「赤ひげ」は観たくない。
 主役をはる俳優のちからというのは、演技力の巧みさとかいうような解析可能なものではなかったのです。理由なく、なぜかたまたま彼でなければならなかったとしかいいようがない。

 人間も、自分が生まれたことにそもそも理由などなかった。
 この恐ろしいほどの偶然の産物。
 生まれた理由がないとなれば、死ぬ理由もない。
 そう思えば、なんだかちょっと身軽になった気がしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?