生まれつきの時間
ファン・モガ著 廣岡孝弥訳
世界は、いくつもの力によって成り立っている。
良い力もあれば、悪い力もある。
いわゆるディストピア小説では、「悪い力」が存分に働き、個人の人間性が奪われるような官僚主義が横行した世界が描かれる。
本作においても、良質なサイエンスフィクションであると同時に、舞台となっているのはディストピアとなった未来だ。
ディストピア世界のおいては、権力/監視者側が個人を統制可能にし、定型発達以外の生育を認めない。
そんな背景をもつ作品はいくつも存在すると思う。
本作の非常に興味深いところは、15年という歳月を「最初から」奪っていることだ。
15歳というと、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」で描かれたヘールシャムの最後の年であり、ルーシー先生から残酷な真実を打ち明けられる年でもある。
また、東アジアの多く国が採用している6年・3年の義務教育を終える年も15歳だ。
つまり、悲観だけの未来を知る前であり、完全な学歴社会に組み込まれる前でもあるのが、15歳と言えるだろう。
しかしこの時間ですら、本作には存在しない。
「悪い力」以上の複雑な背景の中で、長い眠りと教育により、せめてもの救いである15年という猶予の時間は「理論上」奪われている。
では、本作における「良い力」とはなんだろう。
それは、主人公・アルムの葛藤と行動である。
本作の中盤から繰り広げられるアルムの全ての行動が、私たちが社会に対して行うべきことの一つ一つの緻密なステップだと思った。
ぜひそれは、本作を読んで確かめて欲しいと思う。
ディストピア社会に渦巻く「悪い力」を、「良い力」で圧倒するのは難しい。
なぜなら「理論上」は、「悪い力」がこの社会を占める割合が圧倒的に多いからだ。
しかし、未来は見えない。見えても予測でしかない。
つまり、理論の先の現実はまだ誰にも分からないのだ。
アルムの行動が連鎖して、誰かと連帯して、そのまた誰かが、あなたと手を繋ぐこともあるかもしれない。
アルムが教えてくれたことー
それは、この世界のパワーバランスが変わるかもしれない時、それは勇気がいること。葛藤や痛みがあること。
時間だけが何の力も受けずに平等に進んでしまうのであれば、私は、アルムのようにエネルギーに溢れた太陽の方に歩みを進めたいと思うのだ。
読み終わった後に、無意識に私はこの歌詞を口ずさんでいた。
「My life,my life,my life,my life in the sunshine」
Roy Ayers「Everybody loves the sunshine」
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