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伝え方ってむずかしい

久しぶりの友人と会って話した。
そのうち、以前、わたしも知っている頭キレキレっのセラピストさんや、わたしに尋ねられたとき、なんとなく責められていると感じていたんだ、と話してくれた。

わたしもそのセラピストさんの一連のセッションを受けて卒業しているから、彼女の冷静で知的な問いかけの鋭いことはよーく知っている。わたしもセッションを受けているときはティッシュが手放せないほど泣いた。
そして、わたし自身も語気も発音も強くて、斬り込みサムライ的要素がかなりあるのも知っている。そういえばそのセラピストさんにもあるとき「裸の王様に、王様はほんとは裸ですよ!って言っちゃう家臣みたいなとこがある」と何かで言われたことがあるw

友人が責められた、と感じたことばは「どうしてそう感じるの?どうしてそう感じたの?」だという。
ええー!それ?
訊いたらいけなかったの?それとも話しの流れから責められたと感じたの?それなら、どんなところに責められたって感じたの?
その日の友人の表情や、自分の飲み物を飲み終わったらすぐ、几帳面にマスクをつけ直す様子を前にして、そのことについてさらに訊くことはできなかった。(たしか秋に会ったときにはマスクをすぐつける、ことはなかったような気がするのに)そしてわたしはどこか友人からシャットアウトされたようにも感じていた…


「きくこと」や「はなすこと」そして「ことば」。発せられたものはその意図のまま受け止められるとも言えず、また受け取り方次第で如何様にも受け取れる、かたちのないもの。
発したものについて説明を重ねれば重ねるほど、ときにはそれが本来もっていたものからはなれてしまうこともある。

話す際のトーンや声色、間合い、といったところから「伝え方」「話し方」について考えたいなと少し前にも思っていたけど、やっぱりここらへんのことはまたもう少し意識したいと思っているし、今度はじめる予定のラジオ(stand.fm)でもそのあたりの話をしたいなって思っていたりもする。

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