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【エッセイ】M−1と芥川賞(900)

群衆が嬉々として興じているものに水を差す奴のことをはみ出し者と言う。はみ出し者は嫌われる。常識がないと言われ抹殺される。それは生物の進化の歴史でもある。

しかし、特殊な能力を持つはみ出し者が登場することがある。突然変異のそのはみ出し者は適者生存の法則に従って個体数を増やしやがて多数派となることがある。

ある漫画の架空の合衆国大統領がキリストの力を手に入れたいという動機が面白い。その漫画は平たく言えばキリストの身体の争奪戦である。主人公たちはその力を巡る大きな陰謀に巻き込まれていくのである。大統領がラスボスだ。その大統領が言う。

「テーブルマナーではナプキンは右側に置くと言うのが常識だ。しかしここにイエス様がいてイエス様がナプキンを左側に置けばそれが常識となる。だから私はキリストの力が欲しい」

なかなか興味深い発想だと思い鮮明に記憶している。

M-1を巡っての関西芸人の大御所・西川のりおの批判意見が面白い。概要はこうだ。芸人のプロダクション事務所がこぞって養成校を乱立させた。儲かるから。そもそも天才的に面白い漫才師など五年とか十年に一度くらいの頻度がやっと。毎年毎年そんなに面白い奴は現れない。しかし学校を作ってしまった以上、落とし所が必要になる。それがM-1に代表される賞レースなのだと。学校を出たからには結果が欲しいと言うのが人情で、そこでうまく結果が出ればOK、敗退すれば才能がなかったと諦めてくれると。汚れ芸人の西川のりおとは思えぬ鋭い観察眼である。

芥川賞を巡っての村上春樹の意見もこの西川のりおと本質的には同じ意見であった。彼の公演集に記述があった。天才的な作家が出てくるのはよくて五年に一度くらいだと。芥川賞は年に二度。本を売るためとはいえ出し過ぎだと。

大盛り上がりのM-1や芥川賞に水を差すこれらの意見。私のような一般人が言っても何の価値もないが、やはりこれくらいの大物(西川のりおはちょっと小物だが・・・)がナプキンを左側に置くのはなかなか良い傾向である。

ありもしない価値に目を奪われて大衆に飲み込まれるくらいならはみ出し者であるほうがいい。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」とはよく言ったものである。

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