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【エッセイ】読書はメガネを取り替えるようなもの(1000字)

月曜日に聴いた「絶望名言」の安部公房アーカイブをらじるらじるで何度も聴いている。こんなにも心に響いた内容のものはここのところなかった。今まで一度も読み切ったことがなかった安部公房作品を今度こそ読み切ろうと意気込んでいる。

20年ほど前に父の蔵書から手に取った安部公房の「カンガルー・ノート」を途中で諦めて以来読んでいなかった。しかし、「絶望名言」の影響で読み始めた「方舟さくら丸」は読み止まらない魅力を感じながら一気に読み進められている。そういえば「砂の女」が積読にあったのをこれを書きながら思い出した。

村上春樹作品で鍛えられたおかげか。やはり物事には段階というものがあるらしい。まだ安部公房作品を理解する知性が20年前の自分には備わっていなかったのだろう。

さて、タイトルの言葉は安部公房を愛してやまない文学紹介者・頭木弘樹さんが「絶望名言」の中で語った言葉である。「安部公房はすごいメガネだと思う」ともおっしゃっていた。

noteは読書愛の強い方が多いのか読書論を語るととても反応がいい。前アカウントでも一番反応が良かったのは読書についてのエッセイだった。noteでバズりたかったら読書について書けばいいと思う。これはひとつのテクニック。

若い方にはわからないだろうが、メガネといってもいろいろある。近視用に始まり遠視用、乱視用、老眼用、治療用・・・。歳をとるといろいろ使い分ける必要がある。目は歳をとると本当にどんどん悪くなる。私も右目が特殊な病気で網膜がやられボヤけて見えるようになってしまった。日常生活でも目の疲れは結構辛い。そういう意味でも若い方々に言いたい。目が丈夫なうちにたくさん本を読むことをおすすめする。

幸い今は聴く読書が発達している。AmazonのAudibleに始まりいろんな会社が格安でそういったサービスを提供してくれている。目が見えづらくなっても安心だ。でも聴覚と視覚では脳の刺激される領域が違うらしい。どちらも長短あるだろう。使い分けて楽しみたい。

メガネのたとえはこどものころからずっとメガネ族の私にはしっくり来た。視点を替える、捉え方を学ぶ、他者の視座を手に入れる。これらに読書はうってつけだ。ハッキリ言って情報源だけならインターネットの方がはるかに新鮮で便利だ。しかし(読む価値のあるもの限定だが)本はひとつのまとまった論理体系である。情報源であると同時に思考力を伸ばすための道具でもある。

思考力を伸ばすために私は価値のある本を読む。もちろん思考しながら。テレビのバラエティ番組を観るようにぼーっと読書をしても何の意味もない。


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