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史緒ちゃん 01

リルのライブの日に待ち合わせたのと同じような姿勢で、彼女はスタバに座って待っていた。
すっと伸びた背中。無駄な肉のついていない身体に、今日も彼女のシンプルできれいなピアスをつけている。シルバーの細い線に、コットンパール。上品って言葉をそのままそこに置いたような感じだ。
スマホを見て何か打ち込んでいるようだけど、何を見ているのだろう。

あたしは彼女のことをほとんど何も知らない。
惰性で開いていたツイッターで、彼女のアカウントを開く。【しゅがーちゃん】がフォローしているアカウントは40コで、その内15コはリルのメンバーと公式、リルに関係するクリエイターのもの。13コはフォロワー数の多いリルのファンアカウンアカウントだ。あたしのアカウントは2つだから、残りの10コの鍵アカたちが、彼女の本アカであり、リア友のアカということになる。リアルな数字だ。
ホーム画面に戻ると、彼女の投稿は昨晩のリルに関する感想ツイートで終わっている。誰から見ても、フォロワー数が少ない、リルの女ヲタクと言う感じ。リルにハマりたての大学生。
かわいいな、と純粋に思う。
「あ、」
店内に小さく響く高い声に、あたしは顔をあげた。【しゅがーちゃん】があたしに気が付いて手を振っている。手を振り返しながら、レジへと一歩足を進める。
ソイラテのアイスを頼み、スタバカードで決済をする。出来上がりを待つ間、【シオ】のアカウントで『いつもの』アカウントをまわった。動きはない。
スマホの画面を暗くさせる。ハーフツインの毛先をいじる。家を出る時に巻いた時につけたヘアオイルは、もうすっかり髪に馴染んでた。黒いスマホの画面に自分の顔が映って、意味もなくまた、スマホを開く。【しゅがーちゃん】のツイッターは、昨日と何も変わっていない。
ソイラテが、カウンターに載せられた。ツイッターを閉じて、カップを持つ。
「お待たせぇ、ごめんね」
声をかけながら、彼女の向かい側に座る。カップと一緒に置いたスマホは、伏せた。
「ううん、私が早く来ただけ」
彼女は両手を振りながら、笑って否定する。白い頬が微かに赤く染まっている。リルのライブの時と、同じ様な色。
「買い物してきたの?あとで、付き合ったのに」
荷物置きにある紙袋を見て、聞いてみる。彼女は、細いヒールのグレーのパンプスをさっと、荷物置きの傍に寄せた。
「これはいいの。仕事のやつだし、歴史小説とビジネス書だから、【シオ】さんに付き合ってもらっても、つまらないやつだよ」
「へぇー」
あたしは歴史小説というものがどんなものか思い浮かべながら、ソイラテのストローに口をつける。
「【しゅがーちゃん】って、営業さんなんだね」
「うん、一応。まだまだ新米だから、一人じゃ大したことできないけど」
照れくさそうに、ピアスに触る。ゆらりと揺れるコットンパールが、彼女の白い肌を撫でた。
「あ、ていうか、【しゅがーちゃん】はやめてってば」
「ははは、そかそか。サトウちゃんだよね」
大げさに笑う。サトウちゃんは恥ずかしそうで、それがまた、かわいい。
「【シオ】さん、いじわる」
「【シオ】さんって呼ぶなら、あたしも【しゅがーちゃん】って呼ぶの、やめなぁい」
そう返すと、二人同時に笑いだす。
とてもくだらない会話に、心底笑えた。
新しくできた友達の、名前の呼び方を変える瞬間なんて、いつぶりだろう。中学生の時以来ってくらいに、懐かしい。

最近出会う人は、ツイッターの名前くらいしか知らない人がほとんどだ。
サトウちゃんなんて、とても普通の名前を呼ぶこと自体、中学生ぶりかもしれない。

ふと気が付くと、彼女の視線が、あたしの手元に注がれている。
「なに?」
「あ、ごめん。シオちゃんが飲んでるのって、ソイラテかなぁって思って」
「うん、そうだけど」
サトウちゃんの視線が、そっとそらされる。
「いや、シオちゃんみたいな人って、もっとキラキラしたフラペチーノとか飲むんだとばっかり思ってて」
突拍子もない言葉に、あたしはすぐに反応できなかった。
一拍置いて、吹きだす。ケラケラと笑うと、サトウちゃんはますます恥ずかしそうに俯いた。
「ははははは。あたしフツーにソイラテ好きだし。それに、あたしら、これからパフェ食べに行く予定なのに。フラペチーノ飲んだらお腹いっぱいになるし」
サトウちゃんも、何かを誤魔化すように笑いだす。
「確かに、パフェの前にフラペチーノはないかー」
二人の笑い声は、まだぎこちない距離をそのまま表現するような、わざとらしさを持って、店内に響いた。

サトウちゃんの手が、彼女の前に置かれたカップに伸びる。同じようなアイスのカップだけど、液体の色は綺麗な黒だ。
「シオちゃんの本アカって、すごい綺麗な写真ばっかりで、インフルエンサーってすごいなぁって」
「別に、あたしくらいのフォロワー数、大したことじゃないよ」
頬杖をついて、毛先をいじる。【Shio】のフォロワー数は、インフルエンサー的には下のほうだ。
「でも、企業から案件が来たりするんでしょ?」
案件、という単語を、簡単に出してこられて、少し驚く。彼女はきっと、あたしたちに案件を持って来るサイドの人間だ。
「あたしはあんまり、かな。変な案件は受けないし」
ソイラテのカップに手を添える。黒く染めた爪の先に、水滴が落ちた。

健康面で不安があるダイエットサプリ。
効果があとは言いづらいナイトブラ。
DMに現れたゴシック体の文字。

あたしはそれらを、ソイラテで喉に流し込む。
「案件っていうか、やばそうな事務所からはDMくることあるよ」
「へぇー、そんなことがあるんだぁ」
サトウちゃんはピンとこない顔で相槌を打つ。ストローをくわえる唇は、オレンジみのある綺麗な赤だ。
彼女の飲み物が、するするとなくなる。
「そろそろ、パフェ、行かない?」
笑顔を作る。あたしのソイラテはとっくになくなっていた。


カフェへの道を歩きながら、あたしたちはどうでもいい話をした。お互いの実家がどこだとか、好きなブランドはどこだとか。映画とか、ドラマとか、マンガとか。だらだら話したけれど、共通するものはほとんどなかった。
それがおもしろくて、あたしたちはケラケラ笑った。
「けっこう駅から遠いところにあるんだね、そのカフェ」
「そうそう、駅から歩くのが、ちょっとメンドクサイ」
「今の時期なら、歩くのも気持ちいいよ」
サトウちゃんは細いヒールで、ゆったりと歩いている。背が低く、歩幅が狭いあたしにとっては、ちょうどいいペースだった。
5月末の土曜日。ベビーカーを押して歩く家族連れがいる。この辺りはもともと、おしゃれして買い物をする場所じゃなくて、人が生活する地域だ。無邪気に笑う赤ん坊は幸せそうで、あたしはその笑い声からそっと目を逸らした。
思ったよりも日差しが強い。日傘を持って来ればよかった。でも、人と会うのに日傘をさすのは、ちょっと気が引ける。
「ここらへん、大学生とか多そうだね」
横を通り過ぎる建物を見上げて、サトウちゃんが呟く。
「単身用っぽいアパートには、オートロックついてるし。最寄りの地下鉄から、有名な私大まで乗り換えなしでいけるよ」
「…へぇ…」
そんなことを話していると、ちょうど背中に黒い筒を背負った学生っぽい女の子が、道の反対側を歩いていた。
「すごいね、サトウちゃん。たぶん、あたりだよー」
あたしの目線の方へ、サトウちゃんも視線を向ける。二人で顔を見合わせて、共犯者めいた笑みを浮かべた。
「にしても、あの黒い筒、懐かしー」
「シオちゃん、美大生だったの?」
「まっさかー!ナントカデザイン学部だよ」
「ナントカって。自分が卒業した学部名覚えてないの?」
ゆるい風が吹く。毛先に指を絡ませて、あたしは笑った。
「卒業してないもん。2年で中退してるし、あの時バイトばっかしてて、大学なんてほぼ行ってなかったし」
笑った顔のまま、しゃべっていると、サトウちゃんが分かりやすく困った顔をする。
分かりやすくて、本当にいい子だなぁ、と思った。
「別に深い理由なんてないから、そんな顔しないでってば。イラスト好きだからいったけど、細かいレタリングの課題とか、だるかったし。辞めても、今一人暮らしで食べていけてるしねー」
ぐーと腕を伸ばす。空を見上げると、毛羽立ったぼろぼろの画用紙に、水色の水彩絵の具を落としたみたいな色をしていた。
サトウちゃんとは、目を合わせない。
「すごいなぁ、シオちゃんは」
こつりこつり。規則的な彼女のヒールの音はよどみない。
「私なんて、ビビりだから。親に言われたように、それなりの大学から、それなりの会社行ってるし。シオちゃんみたいに、自由に自分の力で生きていくなんて、できないよ」
彼女の声には、ハリがある。その場を誤魔化すような、適当な言葉じゃない。それくらい、あたしでも分かった。
あぁ。本当にいい子だ。

サトウちゃんのスカートが目に入る。くすみカラーの水色のフレアスカートが、大人っぽい重たさで揺れる。
あたしは首元のリボンタイをいじりながら、早くパフェが食べたいと思った。

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