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つぶやけない。

元々好きなアイドルグループがアカウントを開設した事で
情報収集の為に再開したTwitter。
それまでにもアカウントを作ってやってみた事はある。
でも自分のアカウントを携帯番号やアドレスで認識されるようにはしなかった。
Twitterの世界で現実の知り合いを持ちたくはなかったのだ。
実際の友達と繋がってしまうと
どこかで見られるかもしれないと思い
自由が制限される。
それでは意味がないと思っていた。

今の私のアカウントも本当に知っている人は繋がっていない。
フォローしているのはよく情報を発信してくれたり
ファンなら嬉しいような企画を開催してくれる人ばかりだ。

それなのに私は気楽につぶやけない。
好きなアイドルがカッコいい。
そんな事もつぶやけない。

フォローしてくれているのも数える程の人数。
私に影響力などない。
それでもつぶやけないのだ。

きっと、Twitterは色々と炎上する話を今まで耳にしてきたからだろう。

noteを始める時にTwitterと連携させるか、もの凄く悩んだ。
連携させた方が少しは見てもらいやすくはなる。
でも、このnoteを書いている私と
Twitterの私は違う人間だと思い連携させなかった。

何気ない一言に傷ついてしまう人がいるかもしれない。
そんな気はなかったではすまないと私自身思っている。

言葉は、文章は、文字は、時に励ましてくれたり慰めてくれる。勇気をくれる。希望まで与えてくれる事もある。
それ以上に鋭利な刃物になり、毒になり、鈍器になり見ず知らずの誰かを傷つけることの方が可能性は高い。
私はそう思いながら接している。

だから何気ない言葉も躊躇うのだ。
そして、結局、つぶやかなくていいという結論に達する。

私にとってTwitterは読み物だ。
凄いな、便利だなと思う反面
どうしてこんな使い方をしているんだろうと思う事も少なくなかった。
やはりフォロワーが多い方がいいのか。
沢山のいいねが欲しいのか。
色んなコメントを求めているのか。

反応という意味では
noteを始めてまだ数日だが
こんな私の内容にスキを押してもらえた事は
想像以上に嬉しかった。
別にスキを押してもらえなくても
閲覧してくれた人がいた
その事を知れただけでありがたいと思う。

私はそもそもつぶやくことなんてないのかもしれない。
書き始めたら無駄に長文になるし
色々と付け加えてしまう。
元々が向いてないのだろう。

その上で、私が今までネット上での交流で経験してきた事から
文字の世界は無機質で、思いの半分も相手には届かないと学んだ。
トラブルは避けたいと余計な事は言わなくなった。
ある意味大人になったのか。
昔は正義という名の大義名分を至る所で振り回して暴れていただけに
丸くなったとも思う。

少しTwitterを読む事にも疲れが溜まっていたようだ。
タイムラインに目を通すことがしんどくなってきていた。
だから今はここで発信しているのかもしれない。
しがらみを感じず人の目もそこまで気にせずに
お粗末な文章でも披露できる。

私も本当はフォロワーが沢山欲しい人達と同じなのだろうか?

答えは分からないけれど
今はこのnoteに毎日何かを綴ることを続けたい。ここでも誰かを傷つけることがあるのかもしれないが…。
その時は甘んじて罰を受けよう。

つぶやかなくていい。
黙って座っていたって存在しているのだから。私は私が守りたいものを守っていこう。

仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪