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日本傾国中(5)

祖国が傾いている。

日本が滅びようとしている・・・と言っても、過言ではないと思う。

その原因は何で、何が必要なのか。

思うところを語っていきたいと思う。


雑誌もテレビも応援した

1960年代に、欧米で巻き起こったフリーセックス運動。

その波は、我が国にも到来した。

そんな中、1963年(昭和38)9月8日、松本人志は産まれた。

時期を同じくして、1965年(昭和40、松本2歳)頃から「平凡パンチ」という雑誌で、ある特集が組まれる。

童貞を早く捨てるべきだ・・・という主張が展開されたのだ。

そもそも、童貞も処女も、キリスト教が生み出した概念で、我が国のモノではない。

更に付言すれば、純潔という思想も、西洋から、もたらされたモノだ。

とにもかくにも、当時の若者に広まっていた、純潔という思想は、唐突に否定された。

フリーセックス運動を広めようとする一派の動きである事は、明白だろう。

彼らは、当時の若い男性を煽った。

童貞は半人前だ!
童貞を捨ててこそ、一人前だ!
君は、もう童貞を捨てたか?

「平凡パンチ」を皮切りに、様々な雑誌が、若い男性を煽った。

同年、11pm(イレブンピーエム)という深夜番組も始まった。

お色気なども扱う番組だった為、当時のPTAは、猛烈に批判。

ワースト番組だとか、ポルノ番組と呼ばれた。

しかし、思春期の男子や若い男性が、これを見ないはずもなく、フリーセックス運動の波は、雑誌やテレビを通じて浸透していった。

洗脳と言っても良いかもしれない。

フリーセックス推進派は、大人を感化させるよりも、子供や若者を感化させる方が、簡単で有効な手段だと理解していたのだろう。

若い女性には、アイドルという存在で、広めようとしていた節がある。

御三家だとか、新御三家といったアイドルたちだ。

しかし、いつの世も、アイドルを追い求めるのが女性というモノなので、こちらの成果は、さほどでもなかったようだ。

と言っても、前の世代の女性と比べれば、ゆっくりとではあるが、浸透していたと考えるべきだろう。

それまでは、若い男性に黄色い声を上げるなど、はしたなく、恥ずかしい事だったのだから・・・。

しかし、この時代における、推進派の標的は、若い男性に向けられていたように思う。

そう考えるのには、理由がある。

中◯人民共和国が、我が国との国交を正常化させる前に打ち立てた、対日戦略要項に、興味深い記述があったからだ。

日本の青少年男子を性的に堕落させ、国家や社会に関心を抱かせないようにする・・・といった内容だ。

具体的に、スポーツ根性モノのアニメを衰退させるなどの記述もあった。

資料の真偽については、なんとも言えない。

手元に資料が残っていないのが、本当に悔やまれる。

ただ、その後の日本芸能史を紐解くと、可能性が無いとも言えないように思う。

男性向けアイドルが誕生したからだ。

国交正常化の前年、1971年(昭和46、松本8歳)に、新三人娘(天地真理、小柳ルミ子、南沙織)がデビューした。

美空ひばりを含む、かつての三人娘とは異なり、彼女たちは、歌唱力よりも、顔や可愛さを前面に打ち出した商法で売り込んでいった。

更には、バラエティ番組などにも出演し、歌以外の領域にも手を出していく。

同年、テレビ番組「スター誕生」も放送を開始した。

森昌子の優勝を皮切りに、多くの男性向けアイドルが誕生。

国交正常化の年、1972年(昭和47、松本9歳)から、1973年(昭和48、松本10歳)にかけて、森昌子、桜田淳子、山口百恵がデビューし、花の中三トリオと呼ばれるようになる。

中学生をアイドルにする事が、どういう意味を持っていたのか、理解していた人は皆無だったと思う。

とにもかくにも、番組は、若い女性とも呼べない、女の子を次々と世に送り出していった。

「スター誕生」からデビューしたのは、88組。

その内、男性は22組という結果は、どこに重きを置いていたかを現す結果だろう。

ちなみに、1972年(昭和47、松本9歳)9月23日には、トイレで不祥事を起こす事になる、渡部建が産まれている。

とにかく、当時の若い男性を取り囲む環境は、フリーセックスを助長するモノで溢れていた。

テレビでは、お色気番組やアイドルの活躍が流れ、雑誌では、童貞を捨てろと圧力をかけてくる。

悲しいかな、男という生き物は、競争を煽られると、逃げられなくなる。

男性を標的にしたのは、正解だった。

負け犬と思われたくない一心で、童貞を捨てようと必死になるのだ。

一種の強迫観念を植え付けられてしまった。

童貞は恥ずかしく、カッコ悪いモノとなった。

あいつは童貞ではなく、自分は童貞・・・そうなると、雑誌の論理から言って、あいつは一人前だが、自分は半人前となる。

逆に、あいつは童貞だが、自分は童貞ではない・・・となると、優越感に浸る事になる。

思春期を迎えた男の子の暴走が始まった。

童貞を捨てるには、当然の事ながら、相手が必要となってくる。

女の子への猛烈な攻撃無くして、大願の成就はありえない。

テレビや雑誌を初めとするマスコミが、彼らを応援した。

マンガやアニメも応援する。

女の子への意識改革も必要だった。

恋愛物が、彼女たちを後押しする。

だが、親の世代は、これを許さなかった。

女の子には、門限というモノが定められ、監視されていると言っても、過言ではない状況だった。

しかし、諦めるような男の子ばかりではなかった。

とにもかくにも、若者たちの関心は、某国の狙い通り、政治や社会から、異性へと移っていったのだ。

そんな時代の中、1976年(昭和51、松本13歳、渡部4歳)に、松本人志は中学生となった。

思春期を迎えた松本の周辺には、お色気番組とアイドルたちの活躍が流れ、童貞を捨てろという圧力が充満していた事になる。

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