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草庵禅師、六道を語る(抜粋5)

                   ( ajs1980518 様 画像提供)

皆様、いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
酷暑や豪雨など天変地異の中、生きるのも辛い昨今ですが、
一瞬でも空想世界に身を浸し、心身を癒すことも大切です。

さて、引き続き『音庭に咲く蝉々』の断片をお届けします。
謎の聖者・草庵禅師と天才ギタリスト・ケイが対話します。


fszalai 様 画像提供

 文化祭の前日になって、唐突にケイから怪しげなお誘いがあった。
 鏡海寺の裏山に面白い人がいるから会いに行こうとの事だった。この類の突如として思いつくケイの言動には何か逆らいがたい不思議な誘導性があり、僕はふらふらと誘われるまま石夢野へ向かっていた。何かが起こる予感めいたものを感じながら・・・・・・。
 時原家・鏡海寺の山門近くから横にそれる目立たない獣道を奥へ奥へ進んでいくと、原生林の中に寂れた寺があった。巨大なホオノキの深い翳に包まれた一軒の茅葺屋根の草庵。
 その姿は寺院と言うよりは文人墨客が好む寓居と呼ぶにふさわしく、鐘楼もなければ仏像も何も無い、清貧そのものの古い草庵だった。樹香寺という文字がかろうじて読み取れる古い石碑があったが、いつの時代に建てられたのか開基も宗派もよくわからない謎だらけの隠棲寺だった。
 
 ケイが語るところによれば、かつて曾祖父・鏡月が瞑想に使っていた場所であるらしかった。
 
 そこにはひとりの禅師が住んでいた。
 正式な僧名など知る由も無いが、ケイはその人物を「草庵禅師」と呼んでいた。福井県出身、若くしてインドへ旅立ち、各地を放浪しながらヒンドゥー教を学び、その後チベットへ移りチベット仏教を学んだ。さらに中国の山奥に住んで道教の奥義を習得、帰国後は臨済宗・天台宗・真言宗・浄土真宗等々の寺をめぐり、最終的には地元福井の曹洞宗の寺に身を寄せた。
 しかし、あるとき落雷のような啓示を受けて北の方角へと歩き続け、たどり着いたのが東北福島。精根尽き果て、花森公園で足を休めていたときに、夕映え太郎と出会い、その後、石夢野の奥に空き草庵があることを告げられたとのことである。
 
 棲みついてから月日が経ち、地域にも馴染んできたころ、草庵禅師は自身の血筋を語った。
 自身は日本で生まれたが、父方の先祖は古代バラモンの家系で、代々ヒンドゥー教の聖職を務めていること。母方の先祖は鳥羽天皇の皇后・待賢門院璋子の末裔であること。その血筋は皇籍を離脱した後は無位無冠の暮らしとなったものの、風雅の流れを汲む何らかの矜持が続いたとのこと。
 

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 草庵禅師は薄汚れた藍色の作務衣をまとい、野放図な白鬚姿でかなり痩せこけていたが、会釈しながら見せる柔和な笑みには遍歴のあとの深い達観が窺われた。日本人にしては肌が浅黒く、特有の陰翳をかたどる彫りの深い人相はたしかにインドの聖者を彷彿とさせた。
 囲炉裏の蚊遣火を整えつつ、手招いて僕たちを歓迎してくれた。

「禅師、今日は友人の藤沢君も連れてきました。さっそくですが、先日の話の続きをお願いします。途中で時間切れとなったので」いつも冷静沈着なケイにしては珍しく、どこか高揚した態度で早口に喋りだした。
「先日の? 何の話だったかな」禅師はぽかんと宙を見る。
「とぼけないで下さい。先日、僕の前世を知っていると!」
「ああ、その話か、なるほど、なるほど」禅師が苦笑し、深く頷いた。
「僕にはわかるんです、禅師には何か特殊な透視能力があると」ケイが必死に喰らいつく。
「前世や来世を考えるときに重要な論拠となるのが、今生の業」禅師が目を閉じた。
「今生の業?」そのキーワードに、ケイの瞼が大きく開く。
「この世に生を受けたこと自体が業の具現、無明ゆえ輪廻の車輪が回り続けるのだよ」
「つまり前世で悟りきれなかった者が再び?」ようやく僕が口を挟んだ。
「然り! 藤沢君、あなたは見抜いているようだ」禅師の薄目が金箔仏像のように光る。
「ウパニシャッドの教義は前回も聞きました。で、僕の前世は?」ケイが焦る。
「その前に話すべきことがある。敬一君の曽祖父・時原鏡月花僧は前世においては西行だった」
 
「西行? 鏡月が?」ケイの肩がびくりと痙攣した。
「そう。そして、敬一君、あなたは時原鏡月の生まれ変わり」禅師の目が見開かれた。
「ということは、僕自身も遡れば西行ということ?」落ち着かない様子でケイが訊ねる。
「そのとおり。西行、すなわち佐藤義清、御所北面の武士。若くして御所の公務を捨て諸国を行脚、花鳥風月を愛でる漂白の歌人となった人。平安時代末期の動乱を避け、あえて和歌僧と化した武士」禅師の視線はまっすぐケイを捉えていた。
「しかし、僕は和歌を詠んだりしませんよ」ケイが狼狽している。
 
「いや、詠んでいる。遁世の歌聖・西行は不思議な言葉を残している。一首詠み出でては一体の仏像を造る思いをなす、と。つまり西行は言の葉を編み上げて、それを仏像にしていたのだよ。まったく同様に、曽祖父・鏡月花僧は花を生けることによって仏像を作り上げていた。そして、敬一君、君は弦をかき鳴らすことによって仏像を作り上げているのだ」
「楽器を弾くことが、仏像?」予期しえない展開に、ケイの表情は固く凍りついていた。
「西行の筆は、今の君のギターピックなのだよ」
 そのときのケイの姿はまるで精密検査のあとに病巣を突き止められた患者にも似た、どこか物悲しいまでに無抵抗になった人のように見えた。視線を落とし、深くため息をつくとケイはすっかり沈黙してしまった。


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「ところで藤沢君、あなたは岩手に親戚が多いですね」不意に禅師の視線が僕へ向けられた。まったく想定外の展開に、今度は僕が狼狽することになった。
「なぜご存知なんですか?」
「今日、ここで会ったのも何か縁。土産も何も無いので、前世の話でも差し上げようかと。あなたは今生においても奥州藤原氏の子孫であり、前世もまた藤原の人」
「はい、たしかに僕の家系は藤原氏の末裔だと聞かされています」
「前世においても藤原氏の重要人物として、西行に会っている」 禅師の眼が金色に光った。
 
「西行に? 僕が前世で西行に会っている、と?」何か理屈では説明しきれない、摩訶不思議な血の沸き立つような感覚に僕は襲われていた。
「西行は東北を旅しているが、それには訳がある。東大寺再建のため、奥州藤原家に喜捨を求めたのだ。勧進すなわち寄付を願い出た西行を、あなたが迎え入れた。そして快く相当額の砂金を渡した。藤沢君、あなたは前世でも敬一君とつながっていたのだ」
「禅師には、その関係が視覚的に見えるんですか?」僕が食らいつく。
「いや、今生の感覚器官である眼球の視覚として見えるのではなく、観念として察することができる」禅師は目を閉じて、元の柔和な表情に戻った。
 
 しばらく沈黙が続いた。
 そして、ついにケイが喋りだした。
「禅師、ひとつだけ教えてください」ケイの態度は真剣そのものだった。
「禅師、もしほんとうに僕が大昔、西行だったとしたら、なぜ輪廻転生したのか、つまり、三十年も高野山に住んで仏道を究めた西行なら、大悟しているはずだから、死後、輪廻もありえないのでは?」
「いや、違う」禅師が応えた。先ほどのように相手を射抜くような視線を投げかけることもなく、どこか遠くを見つめながらぼんやり呟いた。
「日本の歴史の中に登場した名僧のうち、真の意味で大悟したのはわずか数名。空海、道元、白隠、等々。西行は生まれてから死ぬまで、生粋の武士であり歌人だった。当時の政治的混乱を避けて僧侶の姿を借りていただけのこと。大悟はしていない。いわゆる種子薫習・・・、だから、時原鏡月となって花を生け、時原敬一となって楽曲を奏でているのだよ」
「西行は解脱していなかった・・・・・?」ケイの言葉の語尾が怪しく揺らいだ。
「六道輪廻、軽んずべからず。美や快楽の享受を許された天道に属する者は、芸術に溺れ日常を忘れるがゆえに、いずれ何も楽しめなくなる。人間道は定められた生老病死を体験し、そこから何かを学ぶ。修羅道は勝敗に執着するあまり、熾烈な戦いに明け暮れる。湧きおこる獣の性のまま、動物として生きるのが畜生道。制御しえない欲望ゆえに、無限の苦しみを味わう餓鬼道。殺戮などの罪を背負い、悲惨な境遇に落ちるのが地獄道」禅師は瞑目しながら、さらさらと水の流れのごとく語る。
「つまり天道は天国とは違う・・・・・、ということ?」完全に目から鱗の僕。
「六道輪廻の中で最悪の世界は地獄だが、最上部に位置する天道もまた解脱には程遠いのだよ。六つの世界には六種類の業がある。真の解脱は透明な静寂世界。多くの芸術家はそれを知らない」
「西行・・・・、鏡月・・・・、そして、この俺・・・・」ケイはあいまいな独り言を繰り返し、ふわりと風のようにその場を立ち去った。そして、彼自身の思惟の中に深く沈みこんでしまった。
 
 帰り道、ケイは一言も僕と会話を交わさなかった。
 

                         つづく


🌟『音庭に咲く蝉々』 菊地夏林人


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