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出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと

 読みました。めちゃくちゃ面白くて、久しぶりに睡眠時間よりも優先してしまいました。

 「人」との出会いではないけれど、「本」の中にはたくさんの人がいるし、読んでいる間中「書いている人=著者」を感じるので、これも出会いと呼んでみたいと思うのですが、どうでしょう?

 文章は綺麗で読みやすかったです。回りくどいところがなくて率直。まるでパズルのピースをはめ込むように言葉が適切で、自然なリズムが生まれている文章のように私には感じられました(偉そうな物言いですみません)。ときどき笑えてときどき唸ります。

 著者の花田さんはたくさん本を読んでいる人で、頭の回転が速い人で、目の前の相手を素早く観察することができる人なのだとも思いました(何様)。しかもその相手に合ったアプローチを考えて、実行し、反省点を見つけ、次に活かしていく。

 一方で彼女は活動の中できついことも経験するし、それにちゃんと悩む。人間ですからそれは当然です。彼女は普通の人間なんです(誰目線)。普通の人が悩むように悩むんです。「物事の受け取り方が普通の人とは違うから悩まずに済んだ」みたいなことがないんです。

 傷つくし、挫けたりもするし、恐怖心もあるし、苦しんだり迷ったりもする。でも、それでも彼女は少しずつ立ち上がって(あるいはさっぱりと立ち上がって)、一歩ずつ前に進みます。

 それは普通の人間ができることなんです。簡単なことじゃないけど、できないことじゃないんです。不可能ではないんです。群を抜くような、一目見てわかるような天才でなくたってできることなんです。何かを好きになって、のめり込んだ経験がある人が、自分と自分の好きになったものを信じればできることなんです。

 おそらく全体のバランスを考えて、割愛するところはけっこう思い切ってばっさりといかれているような気もしました。「書かれてはいないけれど、きっと他にも色々なエピソードがあったんだろうな」と感じます。

 グダグダとしたところがなく、印象的ないくつかのエピソードがポイントごとに置いてあるので、それをひとつずつ楽しく拾っていくような感覚とでもいうのでしょうか。気持ちいいくらいさっぱりとしたスピード感で読めました。それでいて読後は「本を読んだ」感がちゃんとあるのがすごい。

 すごい。すごすぎる。私も高校時代とかに会って本の話がしたかった。

 こちらの本、略称「であすす」はとても人気の本で、なかなか借りることができませんでした。今はもう読み終えたのだけど、返却したら買ってしまうかもしれない。手元に置いておいてふとしたときに読み返し、あるいは旅行に持ち出し、共に生きていく本かもしれない。そう思いました。

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 あとですね、珍しくリアルの友人にも薦めてみようかなとも思いました。私の周りには読書をする人が少ないですし、いても私とは読書の傾向が全然違うので、「コレすごい面白い!」と思ってもnote以外で本を薦めることなんてまずないのですが、「であすす」は可能かもしれない。

 本を読む人も、読まない人も、昔は読んでいたけど今は読んでいない人も、誰が読んでもけっこう面白いと思います。私は終盤声を殺して泣きました。はぁ、最近泣いてばっかりだ。どうしたっていうんだ。

 本を薦めることって難しいもんな。。。薦めるのも難しいし、薦められたときにうまく対応するのも難しい。それらがうまくいってお互いに「薦めてくれた本、面白かったよ!」と言い合えたときって、だからこそ喜びが溢れるのかもしれないけれど。

 少し私の話をします。

 私が高校生のとき、ひとりだけ本の薦め合いというか、持っているお気に入りの本を交換し合う友達がいました。交換して、読み終わったらお互いに感想を言って、また違う本を貸し合う。読み終わったら感想。その繰り返し。

 それを始めたきっかけが何だったのか。今となっては覚えていないけれど、たぶん休み時間に読書していたとか、授業中に隠れて読んでいたとか、そういう姿をどっちかが見たんだと思います。それでどっちかが「本好きなの?」と話しかけた。たぶん。

 私は当時村上春樹さんにハマり始めていた頃で、彼女はよしもとばななさんを愛読していました。そんな人は周りを見渡しても私たちを除くと見当たりませんでした。もっとちゃんと探したらいたかもしれないけど、本を読んでいる人に話しかけるのって難しくないですか…なんとなく、話しかけても大丈夫そうな人を無意識的にでも選んでいる気がします。。。

 私が「キッチンとTSUGUMIは読んだよ」と言うと彼女は「うたかた/サンクチュアリ」を貸してくれました。私は彼女が「知らない」と言うのでたしか「天の瞳」を貸したんじゃなかったかな。海辺のカフカも彼女から借りて読みました。

 「天の瞳」はシリーズだったので(未完になっちゃいましたね…)、次巻を手渡しながら感想を聞くのが好きでした。「サンクチュアリ」はもちろん、彼女が貸してくれた本の感想を聞いてもらえることも好きでした。

 読書はひとりですることだけれど、読み終わってから感想を言い合うのも楽しいことなんだと知りました。今までそんな機会がなかったから、読み終わったらその感想は自分の中にしまっておくだけで、誰かに話すことはないし、誰かのそれを聞くこともないと思っていたので。

 彼女とは村上さんやよしもとさんの本の話もしましたし、他の作家さんの話もしました。知らない作家さんを紹介し合ったり、知っている作家さんについて好き勝手に言ったりしました。楽しかったなぁ。

 そして次第に進路や普段の生活の話もするようになり、そこで明らかになっていったのはお互いの感性が近かったこと。道理で薦め合う本がお互いに響くわけだ。

「そうだよね」と言うところもありましたし、「そういう見方があるのか」と驚くこともありました。

 幸運だったのは、お互いの「好き」なところが違っても、あるいは同じところを好きな「理由」が違っても、それは全部「好き」の範囲の中のことだったということです。

 あるいはお互いが「好き」なところを「嫌い」ではなかったことです。

「ここがこういう風に好き」と言っても「それはおかしい」「君は間違っている」ということが起こらないということです。

…当たり前だと思っていたけど、これってなかなか難しいことですよね…

 さらに幸運だったのは、私は彼女の薦める本を面白いと思ったし、彼女は私が薦める本を面白いと思ってくれたということ。

…あれから何年も経って、単純に自分が「面白い」と思ったものをただ薦めて、それがうまくいくということは「とても珍しいこと」で、それは一瞬の奇跡みたいなものなんだと知りました。

 でも奇跡みたいに珍しいけど、全く無いわけではないです。大事にしたいと思います。

 彼女と私は進路が違ったので高校を卒業してから会っていないけれど、元気にしているといいな。そしてあの頃よりももっと本が好きになっていたらもっといいな。

 今は電子書籍が世間にだいぶ浸透しているから、もう「高校生同士が紙の本を手渡しで貸し借りする」なんてことはないのかもしれない。

 今は電子書籍の購入ページをLINE上で紹介し合っているのかもしれない。あるいはTwitterやInstagramで紹介しているのかもしれない。もう私は高校生じゃないからわからない。

 個人的には紙の書籍が好きだけど、電子書籍は便利だと思う。それに電子書籍でしか販売のない書籍もあるので、私は自由に本を読むために電子書籍にも手を出していこうと思っています。

 懐かしい記憶を思い出したらしんみりしてしまった。コーヒーでも淹れますか!

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