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【ASD向け】雑談の意味と価値と方法

 ASDは雑談ができない。無駄話を嫌う。仕事に関係することとか、哲学的な話とかばかりを話したがる。複雑で、中身がぎっしりした話だけに意味があると考える。

 たしかにそういう傾向はあると思うし、ASD当事者として思い当たるところが多々ある。健常者でもたまにあると思う。
 「この話になんの意味があるの?」「結局あなたはなにを言いたいの?」となることが。

 雑談とはなにか、意味や価値のある話とはなにか、どうすれば雑談ができるか、この記事で簡潔にまとめてみようと思う。




 

話とはズバリあっさり系かこってり系だ


 薄い話、濃い話、そういう表現はできる。ただ、薄いという言葉は比喩的に使われるときには悪いニュアンスを帯びるし、濃いという言葉は薄いという言葉と対比されるときに良いニュアンスを帯びる。

 しかし、そもそも話に良い/悪いの評価ができるのだろうか。いや、話に良いも悪いもない。聞いている人が楽しいと思うかつまらないと思うか、話の内容が上品かモラルに欠けているか、そのくらいの評価しかできない。

 たしかに頭をフル回転させないとできないような話はある。でもそれは濃い話というより、こってりした話だ。そして頭を使わなくてもできる話はあっさりした話だ。こってりとあっさりには上下がなく、しかし区別する機能はある。だから我々はこってりかあっさりかで話を考えるべきだ。

 こってりあっさりで考えてみれば、なぜ哲学的な話や複雑で中身がぎっしりした話ばかりをしていると相手に迷惑をかけることになるのか分かるだろう。みんながみんな毎日二郎系ラーメンを食べられるわけではない。なのに、自分が好きだからと言って相手に食わせようとしていたら、それは変なやつだ。

 こってりした話が好まれるときはあるし、そういうときには持っている才能を発揮するべきだと思う。ただ、頻繁に食事をするなら=会話をするなら相手に合わせてあっさりした話もするべきだし、あっさりした話をするくらいなら黙るというのは、食べたいものがないから食べないみたいなことで、変なやつだ。

 食事せずに生きることはできない。他人と話さずには生きていけない。我々は変なやつだ。そう思うとネガティブになりそうだが…………いやいや待ってほしい。

 そもそも、他人と話すのは楽しいことだ。自分の知らないことを知ったり、同じ場所(学校とか職場とか)にいて気になる人のことを知ったりできるチャンスだ。逆に、自分の知っていることを教えたり、自分をアピールするチャンスでもある。

 しかも、雑談というあっさりした話には頭を使う必要がない!礼儀やモラルには気をつけなければいけないけど、多少やらかしてもそう怒られない。こってりした重要な話のときにしかセンシティブなことは語られない。

 だから、総評としてだ。

 雑談とは意味と価値があり、面白くて、しかも我々がする話より簡単な話だ。

 そして、ASDは訓練さえ積めば健常者より会話が上手くなると思う。

 複雑な話(哲学とか)とは難しい話だ。運動で言えば、走ること。ASDは得意っぽい。
 単純な話(雑談)とは簡単な話だ。運動で言えば、歩くこと。健常者は得意っぽい。

 歩くことが得意な人が上手く走ろうとすることと、走ることが得意な人が上手く歩こうとすることなら、後者の方が簡単だ。多少の工夫が必要とは言え、基本的に力を抜くだけなのだから。

 だから、雑談をよく求められがちな若い頃は厳しいだろうけど、ある程度の雑談力さえ身につければ持ち前のこってりトーク力(ややこしくて深くて身のある話をする力)を発揮できるのではないか、と思う。

 つまり、素直にたくさんおしゃべりをして楽しもうということだ。以上!

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