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Twitter新機能「コミュニティノート」の使い方について考える


【0.はじめに】

Twitter社(現「X」社)が2023年7月6日から日本で本格的に提供を開始した新機能「コミュニティノート」が話題ですね。
運用開始から3週間ほど経過しましたが、いくつか「成果」をあげているようです。

この新機能について、2023年7月28日時点においての状況を記録しておきたいと思い、NOTE記事を作成しました。

・コミュニティノートとはどのような機能なのか?
・使用にあたって注意する点は?
・どのような使用法が効果的か?

等について考えていきたいと思います。

【1.Twitterの「コミュニティノート」とは】

日本で提供されたTwitterの「コミュニティノート」機能は、英語版で提供されていた「Birdwatch」機能を拡大したものですね。
「Birdwatch」は誤解を招くツイートにノート(コメント・注意書き)を追加できる機能です。
このノートを読んだ人は誤解を招くおそれのあるツイートに同意する割合が、読んでいない人と比べて「20%~40%」低くなることが判明したとのことです。

コミュニティノートへの参加手続きや表示される方法などは、こちらの記事が詳しく解説してくれています。

【2.使用にあたっての注意点】

コミュニティノートの注意点として挙げられるのは、「ファクトチェックではない」という点ですね。
Twitter公式のコミュニティーノートガイドでも「ファクトチェック」という言葉は使われていません。

ファクトチェックとは「真偽検証」のことで、次のように定義されています。

『公開された言説のうち、客観的に検証可能な事実について言及した事項に限定して真実性・正確性を検証し、その結果を発表する営み』

ファクトチェック・イニシアティブHP 「ファクトチェックの定義」より

ファクトチェックには国際的な基準・ルールがありますが、コミュニティノートがその基準にそって運営されているわけではありません。
したがって『コミュニティノートはファクトチェックとは言えない』となります。

しかし2023年7月現在、コミュニティノートはファクトチェックあるいは「反論」や「ダメ出し」としてとらえられている部分が目立ちます。
本来の使用法は、『誤解を招く可能性があるツイートに「背景情報」を付けることで、正確な情報入手を目指す』というものです。
そのツイートが正確であることを補足する背景情報を付けることもありえます。

コミュニティノートがついたからといって、そのツイートが「偽情報」や「デマ」であるとは限りません。
背景情報自体にも検証は必要です。

【3.効果的な使用法】

ここまで見てきてように、コミュニティーノートの「ファクトチェック機能」はあまり期待できません。
上記【1.】で紹介したNOTE記事でも『コミュニティノートの妥当性は「Wikipedia」とどっこいどっこい』と言われており、とても鵜吞みにはできないと感じます。

しかし「コミュニティーノートに意味はない」とは言えません。
「エコーチェンバー対策」には効果を発揮すると思われるからです。

エコーチェンバーとは「自分と同意見の情報だけに囲まれ、幅広い意見が見えにくくなる」現象のことです。
インターネット、特にSNSで発生しやすく、フェイクニュースを信じ込んでしまう心理にもつながります。

教育とITC online 「エコーチェンバーとフィルターバブル」より

エコーチェンバーの中では、ごく少数の「インフルエンサー」の意見に賛同する意見があふれています。
冷静に見れば大したことは言っていない、もしくは怪しい意見なのに、批判する人はほぼいません。
なぜこうなるのか?

仮説ですが、私は次のように考えています。

人間の脳には「パターン認識」という機能が備わっています。
多くの人は発生した事象をこれまで蓄えた知識(常識)や経験の「パターン」に当てはめて、とりあえずどのように対処するか決めています。

この「ヒューリスティクス」と呼ばれるパターン認識は、脳への負荷が少なく意思決定が早くできます。
人間の思考力(情報処理能力)には限界があるため、多くの人がこのような「省エネ」の手法を無意識に使用しています。

「ビジネスジャーナル」2017年7月7日記事 「 直感による判断は、なぜ大方正しいのか?」より

エコーチェンバーの中にいる人も、このパターン認識によって真偽を判断していると思われます。
自分の目の前に流れてきた情報の中に、自分が「正しい」と認識している言葉がどれぐらい含まれているか。
それによって賛同するしないを決めているように見受けられます。

しかしエコーチェンバーの中にいる人は、なぜか「自分の頭で考えて決めている」と思い込んでいます。
ここにインフルエンサーとエコーチェンバーの巧妙な「罠」があります。

インフルエンサーはある特定の人にささりそうな、「それっぽい」言葉を並べたてます。
そしてその言葉に興味を引かれて現れた人にこうささやきます。
『あなたは素晴らしく意識の高い人だ、ニセ情報に惑わされず「自分の頭で考えて」正解にたどり着いた』

「カトウ・フミヒロ」氏のNOTE記事より

その「ささやき」をエコーチェンバーが増幅させます。
周りの人たちは皆インフルエンサーの言葉に賛同し、疑いを抱きません。

こうして彼の中で「インフルエンサーは間違えない」という「無謬性」が確立します。
そして「無謬のインフルエンサーの言葉を引用する自分も無謬である」と思い込む。

このような現象がエコーチェンバーの中で起こっているのではないかと、私は考えています。

【4.効果の検証】

パターン認識は思考をショートカットする省エネな手法なので、意思決定が早くできるのが特徴です。
なのでエコーチェンバーの中にいる人は「1日数十件のリツイート」が可能です。
目の前の情報をいちいち検証していたら、このようなことは不可能だと思われます。

パターン認識が極まると、「発言者」や「ソースとなる媒体」で情報の真偽を判断するようになります。

『A氏はいつも「正しい」ことを言っているから信用できる』
『B新聞はいつも「正しい」ことを書いているから信用できる』
『X氏は××だから信用できない』
『Z新聞は××だから信用できない』

本来「発言者の信用」と「情報の真偽」は別物なので必ずしもイコールで結びつくものではありませんが、エコーチェンバーの中にいる人は簡単にイコールで結んでしまいます。
そうしないとパターン認識ができないからです。

もしかしたらエコーチェンバーの中にいる人には、コミュニティノートは「パターン認識できないもの」として映ってるのかもしれませんね。

『自分が信用しているA氏のツイートに、何か「ケチ」がつけられてる』
『しかも誰が付けたのか分からない』
『URLを見ただけではソースとなる媒体も分からない』

この状態ではパターン認識できず、いつもだと一瞬で「真偽」や「正邪」を判定してリツイートするのに、その手が止まってしまう。
つまりエコーチェンバー内で「いつものノリ」が発揮できず、「盛り上がり」に水を差してしまう。
これこそがコミュニティノート「最大の利点」だと思います。

もちろん前述の【2.】で語ったように、コミュニティノートはファクトチェックではありません。
コミュニティノートがついたからといって、そのツイートが「偽情報」や「デマ」であるとは限りませんし、コミュニティノート自体を「ありがたがる」必要は全くありません。

しかし情報の拡散は「ノリと勢い」で行うものではないと考えています。
目の前に情報を流してきた人は、その情報の真偽を保証してくれません。
したがって情報の拡散は「自己責任」を前提として、ある程度の検証を行った上で行うべきと考えます。

これは新聞の記事でも同じです。
かつて全国紙の記事を引用して民間人を批判した国会議員が、「名誉毀損」で賠償命令を受けたことがあります。
記事の内容だけでは「便宜を図った」とは言えないにもかかわらず、自身のブログに民間人の事を「いかがわしい」「悪辣」「利権有識者の跋扈」と
書いて公開したためです。

裁判で議員は『新聞記事を引用しただけ』と抗弁しましたが、『内容を特段吟味することもなく、漫然と意見、論評を表明したものと推認される』『被告に相当軽率な面があることは否めない』と指摘されました。

つまり『新聞記事を引用しただけなので、責任は新聞社にある』は通らなかったわけです。
もちろん新聞社が賠償を肩代わりしてくれるわけがありません、全て議員の「自己責任」です。

情報を「ノリと勢い」で拡散すると、上記のようなことが起きるかもしれません。
したがって情報の拡散時にはある程度の検証は行うべきであり、コミュニティノートはその「切っ掛け」になると考えています。

【5.今後の懸念】

Twitter上では『自分のFF内で、国民を煽るような書き込みがほとんど見られなくなった』など、効果を実感している人も散見されます。
やはり「ノリと勢い」による情報拡散を抑制する効果はあるようですね。

ただし、コミュニティーノートにも色々と問題点が指摘されています。
やはり一番の懸念は「本来の使い方が保てるか」ですね。

【0.】で紹介した産経新聞の記事でも、東京大学「鳥海不二夫」教授が『自分と反するイデオロギーに対する「補足合戦」が起きる可能性もある』と指摘しています。

コミュニティーノートの本来の使い方は「不足していると思われる背景情報を補足的に追加すること」であり、「自分の意見と異なる主張への反論」ではありません。
反論として使ってしまうと、別の意見を持つ人からの反論で「補足合戦」「編集合戦」になるかもしれませんね。
こうなるとせっかくのノートも表示されなくなるかもしれません。

産経新聞 2023年7月12日の記事より

また「背景情報の品質」をどれだけ保てるかも懸念されます。
【1.】で紹介したNOTE記事にあるように、現在のコミュニティーノートの仕組みは「Wikipedia」に近く、さらに参加するハードルはWikipediaより低いという特徴があります。
「ノートの質」が「コミュニティの質」に大きく依存する仕組みなので、コミュニティの質を高める工夫が必要になってきます。

「星暁雄」氏のNOTE記事より

また、たわいもないネタツイートや個人の感想に過ぎないツイートにコミュニティノートを付けるのも考え物ですね。
個人がある事象にどんな感想を抱こうとも、それは「個人の自由」です。
背景情報などは不要ですね。

例えば『○○議員と××団体は「ズブズブ」だ!』などは個人の主観に基づく感想でしかないため、これをツイート、リツイートすることは特に問題ないと思います。(誹謗中傷にならないのなら)

ユーザーもコミュニティノートの目的や仕組みを理解した上で使いたいですね。
繰り返しますがコミュニティノートがついたからといって、そのツイートが「偽情報」や「デマ」であるとは限りません。
なのでコミュニティノートがついたツイートも、自身で検証し自己責任の上で堂々とリツイートすれば良いと思います。

【6.結論 『流言は知者に止まる』】

現時点において私は「コミュニティノートは有望な機能」と考えています。
ここまで見てきた通り、ファクトチェックとしての機能は限定的ですが、「エコーチェンバー対策」には効果を発揮すると思われるからです。

そして今後も有望な機能足りえるかは、「本来の使用法(背景情報の追加)を徹底する」ことと「ノートの品質を保つ」ことによって決まってくると思います。

そのためには、ユーザーもコミュニティノートの目的や仕組みを理解した上で、品質向上のために参加することが必要と考えます。
具体的には、本来の使用法にそったノートは「役に立った」と評価し、使用法に沿わないノートは「役に立たなかった」と評価することですね。
ノートが表示されるかどうかは単純な多数決では決まりませんが、やはり多くの評価がコミュニティの質に影響を与えると思います。

さらに言えば「エコーチェンバー対策」も手段であって目的ではありません。
コミュニティノートの目的は「情報を慎重に取り扱う」意識を持たせることだと思います。

『流言は知者に止まる』という言葉があります。
「知恵のあるものは根拠のない噂話を他人に話さないので、そこで止まってしまう」という意味です。

この言葉が示すように、情報は検証の上で真偽がはっきりしてから拡散すればいいのであり、「真偽がはっきりしない情報」をむりやり拡散する必要はないのです。

『周りの人がみんな言ってるから』とか『信用している○○さんが言っているから』ついつい拡散したくなる。
その気持ちはわかりますが、それでは「責任を他人に丸投げ」しているだけであり「情報の拡散は自己責任」と考えていないことになります。

何度も言いますが、「周りの人」や「信用している○○さん」が情報の真偽を保障してくれるわけではありませんし、拡散した情報で誰かとトラブルになっても責任を負ってくれません。
したがって最終的には自分で責任をとるしかないのです。

『じゃあ、検証ってどうやったらいいの?』と思われる人もいるかもしれませんね。
私が一番簡単な方法として推奨するのが「情報は一日寝かせる」です。

先ほども紹介した通り、Twitterなどネットには「顕名の専門家」がたくさんいます。
1日あれば、ほとんどの目につく情報は彼らが検証してくれます。
1日たってから気になる情報について検索し、専門家の検証結果を確かめてから拡散すれば良いと思います。

「専門家」と言ってもたくさん居ますから、『どの専門家の意見を信じたらいいの?』と思われる人もいるかもしれませんね。
これについて語りだすと長くなるため簡単に済ませますが、私は「現在の仕組み」を「信頼できるエビデンス」を挙げながら説明できる専門家が信頼できると考えています。

因みにエビデンス(科学的根拠)にも強弱があり、単に『○○博士が言っていた』とか『××という事例があった』は「弱いエビデンス」になります。
それすら示さない専門家は「論外」ですね。

繰り返しますが『流言は知者に止まる』のです。
この「知者」とは「自分のリテラシーを過信せず、情報を慎重に取り扱うことのできる人」のことだと私は考えています。

【7.おまけ「エコーチェンバーから抜け出したくなったら」】

ここまで「エコーチェンバーの危険性」について語ってきましたが、実はエコーチェンバーの中にいること自体が悪いわけではありません。
もともとSNSとは「同じような趣味、嗜好」を持つ人たちが集まり交流を持つ場です。
したがって、その中で情報の偏りがでるのは当たり前のことと言えます。

上記【5.】で紹介した鳥海教授も、自分のTwitterのタイムラインに偏りがあり、それを「居心地の良く」感じていたことを語っています。

複雑で世知辛い社会を離れ、同じような嗜好や考え方を持つ「仲間」に囲まれ、社会の事象に対して個人の感想レベルの意見を発信する。
それはそれで楽しいでしょうし、悪いことではないと思います。

もちろん社会には「仲間」以外のいろんな考えを持つ人がいて、多様な意見が溢れていることを自覚した上でのことですが・・・。

また鳥海教授は以下のような事も語っていました。
アメリカでの事例ですが、政治的に「リベラル」な考えを持つ人たちは『カフェに行ってラテを飲む』一方で『カウチに座ってポテチを食べながらコーラを飲むのが好き』と人前では言えなくなる。
なぜそうなるかというと「周りが皆そうしているから」、いわゆる「同調圧力」ですね。

PRESIDENT Online 2022年9月23日の記事より

Twitterに当てはめると、以下のような感じでしょうかね?

『今日の○○さんのツイートちょっと変、でも皆「いいね」も「リツイート」してるし・・・』
『××もたまには良いこと言うじゃん!でも皆「いいね」も「リツイート」してないし・・・』

このような「居心地の悪さ」を感じたら、一度「その場を離れる」ことを検討しても良いかもしれません。

TwitterなどのSNSなら簡単ですね。
今までのアカウントに紐付かない新しいアカウントを作って、そちらで「いいね」も「リツイート」もすればいい。
新しいアカウントから見える景色は、今までのアカウントから見える景色とは全く違うものになるでしょう。
そうやって「居心地の良い」方に移っていけば良いと思います。

繰り返しになりますが、エコーチェンバーの中にいること自体が悪いわけではありません。
エコーチェンバーの中で「情報の取り扱いに慎重さを欠いてしまう」ことが良くないと思います。

そしてコミュニティノートが「情報を慎重に取り扱う」ことを思い出させてくれる機能になることを期待しています。