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口紅をつけてティッシュをくわえたらSNSが燃えたでござる

最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのではない。唯一生き残るのは変化に対応できる者だ。  

チャールズ・ダーウィン「進化論」より

かの有名なダーウィンの進化論で語られた適者生存(survival of the fittest)。私も後輩に仕事を教える際によく「いいか、世の中ってのは常に変化している。その変化についてけるやつだけがビジネスの世界で生き残るんだぜ」と、ダーウィンの言葉を引用しドヤっていたものだ。

最近調べなおしたらダーウィンはそんなことは言っていなかったようだ。マジか・・・。

さて、最近ビーコル関連のSNSを見ていると「変化を嫌う古参」というワードが散見され、試合会場の演出関連の投稿が燃えている。と思ったら本当にコート内で火柱が発生していた。
火種は把握した。燃やしているブースターの主張もまあわかる。
私は古参ではないし変化に敏感になるほど会場に足を運んでいるわけでもないので、この件についてなんの主張もないのだが、「変化」というワードに少し感ずるものがあり、noteに記してみることにした。


坂本冬美の「夜桜お七」という曲を知っているだろうか?

妖艶で印象的なイントロに続き紡がれる情念的な歌詞。からの、演歌らしからぬ16ビートのリズムに乗せ、繰り返される「さくら さくら」

冬美さんを代表する楽曲の一つであり、若い世代からの人気も高い名曲である。発売は1994年。当時、演歌・歌謡曲情報誌の編集になりたてだった私は、「夜桜お七」を聴き、「なんちゅーかっこいい楽曲。これってもうプログレじゃん!」と手放しに絶賛したものである。

がしかし。周囲の先輩記者や業界関係者からの評価はすこぶる悪かった。「冬美になんでこんなキワモノ楽曲用意してんのじゃ!ケシカラン!」と・・。

というのも、「夜桜お七」や「また君に恋してる」など、今でこそ演歌の本流とは異なるテイストの楽曲が代表曲となっている坂本冬美だが、すでに斜陽だった演歌界に久々に現れたスター候補、というのが当時の彼女のポジションで、デビュー曲の「あばれ太鼓」はがっつり正統派ストロングスタイルの演歌だ。師匠であった作曲家の猪俣公章氏はむろん、業界の皆が彼女に演歌の未来を託し、大切に育てようとした逸材なのである。

無理やりにバスケで例えるならば、そう・・日本バスケの至宝・河村勇輝の立ち位置に近い。

恩師・猪俣公章氏が亡くなってはじめて世に送り出すシングル。悲しみを乗り越え、今まさに演歌界をしょって立つ存在へとステップアップといったタイミングで発表された新曲「夜桜お七」!・・・????????????

無理やりバスケで例えるならば、井手口監督が手塩にかけて育て、全バスケファンがその成長を願う日本バスケの至宝である河村に、青木HCが「ユーキ!ユーキは意外とリバウンド強いからそうだ!パワーフォワードを!ちょっとプレイスタイルに変化をつけてパワーフォワードやっちゃおうよ!面白いよそれって!」と言ってるようなものである。

ある編集者の先輩は縄のれんで日本酒を三合ほどあおったのち、赤ら顔でコップを揺らし私にこう語りかけた。
「なあ・・こたろよ、どうよ夜桜お七・・・『口紅をつけてティッシュをくわえたら』って・・・なんで八百屋お七にティッシュがでてくるんだよ・・俺はこんなの認めねーぞ」
と。

  
八百屋お七とは、江戸時代に実在したとされる女性で、彼女がある男性を恋するがゆえに行った鬼気迫る所業の逸話をもとに、いくつかの物語が生み出された。
「夜桜お七」は、その八百屋お七の物語を下地に、当時演歌とは無縁だった歌人・林あまり氏が詞を書き、三木たかし氏が作曲したもの。

古い物語からインスピレーションを得て歌詞を紡ぐといったことは演歌の世界ではよくある。けれどもある種の暗黙の了解を破り、江戸時代の物語に登場するはずのない「ティッシュ」を歌詞に盛り込んだ林あまり氏の伝統にとらわれない感性――いや?それとも変化を嫌う古参に対する挑戦――か?

変化を嫌う演歌界の古参の先輩は「・・・俺はこんなの認めねーぞ」と再びつぶやき、もう一合酒をあおり、酔いつぶれた。

そして

「夜桜お七」は数多批判・懐疑の声を踏み越え、ご存じの通り坂本冬美を代表する楽曲となり、彼女を押しも押されもせぬ演歌界のスターへと押し上げた。


これは、変化することが良い、変化を嫌うことは間違いだ、という話ではない。

当時、苛烈な批判・懐疑の声を受け、作曲家の三木たかし氏は演歌・歌謡曲界の盟友たちを納得させるべく、自身のチャレンジに対し

「30万枚売れなければ頭を丸めて責任を取ります」と宣言した。


三木氏といえば、当時すでに石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」や「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」などのテレサ・テンの一連の大ヒット曲を手掛けた偉大な作曲家である。むろん、多少の失敗があろうとも誰も文句など言えないし、それだけの実績を積み上げてきたプロフェッショナルだ。

その氏が、ダメだったら頭を丸めると言うのである。そんな覚悟を見せつけられたら、喉まで達していた批判の声も腹の底に押し込むしかない。


幾人もの人たちが積み重ねてきた伝統や、費やしてきた時間、刻んできた想いにメスを入れ「変化」させるということは、それ相応の覚悟がいるといったこと。

変化を嫌う? そりゃあ、そうだろう。酒をあおり愚痴をこぼす先輩記者が、演歌界を盛り上げようと、どれだけの時間を執筆に費やしたか? どれだけの想いを記事に込めていたか? どれだけの愛を坂本冬美に、演歌の世界に向けていたか?

どうして変化を嫌う? 今がチャンスだろ。地位も名誉も得てきた大作曲家が、演歌界を盛り上げようと、どれだけの才能を新曲に費やしたか? チャレンジしなければ緩やかに埋没していく演歌界に、プライド賭けて覚悟もって一石投じようとしてるんだぜ?

さあ、どうする? 変化するの? しないの? SEA CHANGEするの?
そこに覚悟はあるんか? 愛はあるんか?


ちなみに八百屋お七は、お七が恋人に会いたい一心で放火事件を起こし(かつて家が火事になった時、避難場所で恋人に出会ったお七が、もう一度家が火事になればまた避難場所に行けて恋人に会えると火をつけた)火刑に処されるという愛ゆえの狂気を綴った物語。

過ぎた愛は時に身を滅ぼすこともある。愛することはとても結構なことだけれども、常軌を逸して燃やしちゃダメよ。家もSNSもね!



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