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【タイ・チェンライ】首長族の人権と生活と。

チェンライで首長族の人権と生活を考える。

「首長族」
インパクトのあるこの名前、聞いたことありますか…?

私もタイに来るまで知らなかった少数民族です。
タイ北部都市のチェンライにあるカレン村も含めて、
タイには、さまざまな少数民族の村があります。
この少数民族の村を訪れるツアーは、"人間動物園"と表現されることも。
人権問題として、近年批判されています。
今日は、そんな背景は全く知らず、初めて少数民族「首長族」の村に訪れた筆者が考えた、首長族の人権と生活について書いていきます。

首長族とは

首長族とは、主にミャンマー東部で生活していたとされる
首や手首、足に真鍮を巻いている少数民族です。
1980代のミャンマーでの内戦を機に、タイに難民として逃れてきています。

首長族が巻いている真鍮。

歴史的背景については、↓のごまもんがらさんの記事が分かりやすく書かれています。私は、首長族と会う前に読めばよかったと後悔しました…

首長族のトピックで押さえておきたい点は以下の3つだと思っています。

  1. 多くがミャンマー内戦からタイに逃れてきた難民

  2. 難民は通常難民キャンプなどで過ごすが、
    首長族も含め、いくつかの少数民族は、それぞれ別の村にまとめられた。

  3. 少数民族の村を訪れるツアーが現在あり、
    首長族はスカーフや土産品をその村で売り、収入を得ている。
    また、旅行代理店も少数民族の村という観光資源から利益を得ている。

首は長く見えるだけ?首長族と真鍮

首長族は、首が長いからその呼称が付いたように思えますが、
実は、彼らは”超なで肩”だから、首が長く”見える”だけなのです。

「首の骨の数は同じ。肩が下がる分長く見えるんだ」と説明するガイドさん

彼らの肩が下がっていくのは、首に巻く真鍮が重すぎるから。
重すぎるのに、なぜわざわざ真鍮をつけるのには、理由があります。
それは、「急所を虎から守るため」と言われています。
首に噛みつかれたり、足首と手首は噛みつかれたりすると
生活に致命的なダメージを負うため、真鍮で保護しているというわけです。

首・手首・足首を保護する首長族(プライバシーのため顔をぼかしています)

つまり、この真鍮の決してアクセサリーではなく、命を守る鎧であり、
野生の虎が見られなくなった現在でも文化を象徴とするものとして身につけられています。
ただ、あまりの重さで、日常生活が大変なため、
若い世代は簡易的で軽量な真鍮を身に着けたり、店前に出る時だけ身に着けたりすることも多いようです。

首長族に会いに行った。

さて、長くなりましたが、本題です。
首長族の村を訪れたのは、タイ北部の都市、チェンライを回るツアーのセットに付いていたから。ただ、せっかくタイにいるなら少数民族に会いに行きたいなぁとは思ってはいました。

チェンライで有名なパーンダム博物館から約30分ほどで、首長族の村、カレン村にたどり着きました。自然素材でできた家が10軒以上並んでいました。

ハンモックに揺れながらくつろぐ子ども。
軒先に停められたオートバイ。
政府から支給されるという水のボトル。
電気を起こすためのエンジンのようなもの。

電気も水も通信もそろっています。

茅葺屋根の首長族の住宅

お土産屋さんが並ぶ通りへ行くと、赤ちゃんを抱きながら接客をする10歳ほどの女の子や、丁寧にスカーフを織るおばあさんがいました。
彼女たちは、真鍮と伝統的な服装を身に着け、ほぼハンドメイドでお土産を作っています。とてもきれいな方ばかりでした。

私は、真鍮のブレスレットを買って、せっかくだからと一緒に写真を撮ってもらいました。友人が、スカーフを買ったときも、写真を一緒に撮らせてもらったら?と勧めました。

この少数民族の村で物を買うことは、他のマーケットでお土産を買うときよりも直接的に彼らの収入に繋がります。難民として、この村で生活する首長族にとって、それは大きな収入源になっていると思います。

ただ、何ともいえないモヤモヤが拭えませんでした。

私は誰かを見世物にしてしまったのか

村の滞在時間は約20分。
首長族の歴史のレクチャーを聞き、お買い物が済んだら、村を離れるといった流れでした。

帰路の車の中、首長族のWikipediaや記事を読んでいると、
自分のしたことが正しかったのか、
自分は今日何を見たのか、分からなくなってしまいました。

もっとお土産を買えばよかった、彼女たちのサポートにもなるし。
写真を一緒に撮ってもらうのは大丈夫だっただろうか…
ガイドさんはいいよって言っていたけど、
自分で批判的に考えた上での行動だっただろうか…
そもそもに自分は何のためにここに来て、何に違和感を覚えているのか…

違和感の正体は、首長族の村訪問から約1か月経って、
やっと言語化できるくらいに解像度が上がってきました。

首長族は客体になりたくて客体になったわけじゃない。

少数民族と写真を撮る。それはとてもレアな体験で、
首長族の背景を理解し、彼らを支援していくきっかけにもなっています。
観光客と写真を撮って、そのツアーの満足度が上がる、もしくはお土産の購買量が上がれば、首長族の人たちの確実な収入にもなっていきます。
一緒に撮った写真を発信すれば、首長族について、ミャンマー内戦やその難民について、関心のない人が興味を持つきっかけになるかもしれません。

だから、首長族に会いに行って、写真を撮るという行為を間違いと決めつけることはできないように思えます。個人的には。

ただ、首長族が今タイ北部に暮らす理由を知ると、
彼女たちは「客体になりたくて客体になったわけでない」と分かります。

客体、作用を及ぼされる側、つまり「見られる存在」。
対義語は主体、作用を及ぼす側、つまり「見る存在」。
例えば、舞妓さんの場合を考えると首長族が自ら客体であることを選択してるわけでないということがより分かりやすいかもしれません。

舞妓さんも観光客から一緒に写真を撮ってくださいと言われると思います。
これに私は違和感を覚えません。
なぜならば、舞妓さんは、舞妓さんになることを選択し、着物を身にまとい、職業として、踊りや接客をこなしていて、
自らお客さんから「見られる存在」となることを選択していると、
私には思えたからです。

首長族の人たちも観光客から一緒に写真を撮ってくださいと言われます。
これに私は違和感を覚えました。

なぜならば、彼女たちは首長族になることを積極的に選択したわけでなく、生まれた瞬間からその文化圏で生きているからです。首長族の服装は仕事服でも衣装でもなく、彼女たちの文化の中にあるかつての普段着です。

なぜならば、彼女たちは、首長族の服装をして土産を売って、観光客に接客したいと思ってタイにいるのではなく、
元々は「難民としてただ逃れてきただけ」だからです。

彼女たちは、首長族として観光客に見られる客体になることを選択したのではありません。
タイに難民として逃れてきて、村に移され、ツアーが組まれ、
結果的に客体、見られる対象になってしまうほかなかったからこそ、
主体である観光客、つまり私は、本来客体であるべきでないものを消費してしまったという罪悪感を覚えずにいられない。
それがモヤモヤの原因でした。

首長族の人権と生活

客体であることを強制されている、もしくは観光客に見られる存在にならなければ、生活が成り立たない状態に強いられる状態は、自由がない状態だと、個人的には考えます。

難民として各自が逃れる場所を選択できるはずが、
一つの村に集められた理由は、見た目が観光資源として捉えられたからで、これは明らかに首長族の人たちの人権を侵害するものです。
第三国への移住を希望したのなら、それが達成されるのが理想で、
タイ政府が首長族を経済的移民だと主張し、
それを許可しないのも人権を侵害していると今回調べる中で思いました。
そして、今回私が参加したツアーもその人権侵害の中にあったと思います。

しかし、観光収入がなくなれば、現状あの村で生活する首長族の人たちの生活が危うくなる可能性は大いにあります。
一方で、観光収入がなくなれば、タイ政府は首長族の人たちを経済的移民だという主張をし続けることが困難になるかもしれません。

首長族に会って約1か月経って、モヤモヤの正体は分かったものの、
このツアーの是非については、自分を擁護したいだけなのかもだけれど、
正直白黒はっきりした結論が出せずにいます。
結論が見つからないからこそ、考え続けたい。

「ディズニーランドのミッキーの家に行って、ミッキーに会いに行こう」
その気分で行くのはとてもおすすめできません、それは確実です。

批判的な観光客でなければならない。

私が、大学で学んだ最も重要なことは、
「常に批判的な眼差しで物事を見定める」ことです。

この「批判的」というのは、
批判をする、問題点を指摘する、といったことを必ずしも指しません。
要は、「それが本当に正しいか疑問視する」という意味です。
物事の社会構造やそれを支える論理を理解しようとする姿勢のことです。

都内に住む方、京都在住の方なら、
オーバーツーリズムは一度は聞いたこと、実感したことがあると思います。
ゴミやマナー、労働搾取、自然破壊、人権侵害。
時に観光は人の心を躍らせるからこそ、冷静さを欠いてしまいがちで。
気づけば、いろんな問題に加担しているなんてことがありえます。

今回の私は、何も考えず首長族の村を訪れて、もっと考えて、自分の判断でここに来るべきだったと痛感しました。
いや、それを痛感できただけでも、行ってよかったのか…??
いや、行くべきだったか問題にはやはり結論がつきません。

私は、できる限りで、批判的な観光客でいたいと今回学びました。
観光が好きで、遺跡が好きで、それぞれの場所と人に魅了されるから、
きっとこれからも旅はやめられません。
だからこそ、無自覚でいるのでなく、自分が何を見ているのか、何をしようとしているのか冷静になることも忘れず旅をしていきたいと思います。

超長くなりました。
ここまで読んでくださったら、本当に大感謝です!
最後に、英語ですが、関連記事を載せておきます。参考に。

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