自殺願望無断欠勤

 今この世界に、死にたいと思っている人間は、一体何人ぐらいいるのだろうか。たとえば、あなたの周りで想像してみてほしい。家族、友人、知人、顔見知り……。今この瞬間、死にたいと思っていそうな人物が思い浮かぶだろうか。僕には一人浮かんだ。

 僕がここでこんな文章を書いても、彼女の鬱病は治らない。死にたいと思う気持ちは変えられない。文章は人の命を救えない。当たり前のことだ。本当に彼女のためを思うなら、いくらでもいいからお金を渡して、それを治療なり気晴らしなり、彼女にとって少しでも有益なことに使ってもらうべきだ。それは分かっている。

 でも、それでも今日、僕はこの文章を書こうと思う。彼女のためではなく、純粋に自分のためにそうしたいから。そして、いくらお金を渡しても、彼女の鬱病は治らなかったから。

 自分のことを話そう。
 僕は、東京生まれ東京育ちの23歳で、大学に5年通って卒業できず、フリーターになった。そして今日、バイトを無断欠勤した。無断欠勤は今のバイト先で3度目だ。病気とか、家族が亡くなったとか、そんな正当な理由は毎回ない。仮に、そんな正当な理由があったとしても、そのことを事前に連絡するべきであって、無断欠勤は断じてするべきではない。それは分かっている。
 それは分かっているのに、なぜ、僕は無断欠勤を繰り返すのだろうか。

 僕が初めて仕事を無断欠勤したのは、20歳の時だった。僕は当時、映画監督になるという夢をかなり明確に抱いていて、その夢に繋がるルートを懸命に模索していた。挫折を知らない若者の熱意はなかなかのもので、さまざまな映像の現場に顔を出すうちに、僕は、とある大きなテレビドラマにスタッフとして関わるチャンスを得た。それが20歳の時だった。その時期、僕は大学を休学して、長期的に映像の仕事をしようと思っていたので、それは願ってもないビッグチャンスだった。

 僕は、2ヶ月半毎日スタジオに泊り込み、そのドラマの現場をやり遂げた。昨日までテレビや映画で憧れていたスターたちと、一緒に仕事をした。それは、僕が想像したよりも、遥かに壮絶な体験だった。そして2ヵ月半が過ぎ、豪華な会場で盛大な打ち上げが終わった時、僕の中で何か重大な変化が起きていた。それは単に、現場を走り回りすぎて足裏にタコができたとか、現場に居場所がなくて便所メシをするようになったとか、そういう具体的なレベルの変化だけではなかった。もっと深い、精神的なレベルで、その仕事の体験は僕に変化をもたらしたように思う。「夢を追うとは」とか「社会に出て生きていくとは」とかいった無数の問いたちが、僕の中で、爆音のシンバルのように幾度も幾度も鳴り響いていた。
 そして、決定的にまずかったのは、僕自身が、そのシンバルの爆音にうなされたまま、僕の中で起きていたその重大な変化に気付く間もなく、次のドラマの仕事を受けてしまったことだった。

 そして、僕はその仕事をバックレた。2016年6月21日の夕暮れ時、新宿の世界堂で仕事の買い物をして、店を出たときの感覚を今でも覚えている。
「あ、このままどこかへ消えよう」と、ごく自然に思った。

 そのバックレの原因が、前の仕事が僕の精神にもたらした、あの「重大な変化」だったのかどうか、正直なところ、僕には未だに分からない。まったく関係がないわけではないだろう。でも、もし仮に僕がドラマの現場などには出ず、”普通に”大学を出て、”普通の”会社で”普通に”サラリーマンになっていたとしても、やはり、無断欠勤の1度や2度や、3度はする気がする。
 要するにクズなのだ、僕は。

 そして今、クズは途方にくれている。もう、いろいろなことがほとんどよく分からなくなっている。僕はこの先も無断欠勤を繰り返すのか、もう映像業界では生きていけないのか、彼女の欝は治るのか、明日のシフトには出勤するのか……。

 一つ確かなことがある。そして、それが今のところ、クズの持つ唯一の結論だ。ひどく生産性のない結論ではあるが、しかし、これ以外の答えを僕は出せない。

「僕は今この文章を書いている」

 よく分からないことだらけのこの世界で、僕が出した結論こそが、この文章を書くことだったのだ。だからなんだということはない。


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