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映画を「読む」という選択

わたしは映画が苦手だ。

とは言うものの、物心ついた頃からずっと映画が苦手というわけではない。数年前には人並みか、もしかするとそれ以上に映画館へ足を運んでいた時期もある。その頃は夫の影響で洋画をたくさん観るようになって、それまではほとんど知らなかった海外の俳優の名前もたくさん覚えた。

それが、いつからだろう。映画を観るのが怖くなってしまったのは。
いや、正確には「映画を観るのが怖い」のではない。「映画に自分の感情を引っ張られ、掻き乱されるのが怖い」のだ。自分の中にキャラクターたちの感情ーーそれも痛みや苦しみといった、ネガティブなものばかりーーが流れ込んでくるような感覚。自分自身のものではない、コントロールできない感情に飲み込まれるような感覚。それが怖い。

振り返れば、映画をよく観ていたあの頃から映画の世界にのめり込みすぎてしまうことはよくあった。
「エベレスト」という実話をもとにした映画を観たときには、時間が許す限り図書館に入り浸り、関連書籍をひたすら読み漁った。あの日、エベレストで何が起こったのか。命が尽きる直前、彼らはいったい何を思ったのか。このときはおそらく1ヶ月ほど「エベレスト」のことばかり考えて過ごした。

「エベレスト」を観た頃は、時間に余裕があった。まだ働いていない年齢だったし、映画のことばかり考えていたとしても、自分の心がしんどいだけで誰にも迷惑をかけない。

でもいまは違う。
やりたい仕事がある。やらねばならぬ仕事がある。そして守るべき家族もいる。
わたしが映画の世界にのめり込んでしまったら、うまく回っている歯車が途端に狂ってしまう。

だからこの1年、とくに子どもが生まれてからはなるべく映画を避けてきた。
夫がリビングで映画を見始めたら、毛布を被って寝たふりをする。幸い、洋画の内容をぱっと理解できるほどのリスニングスキルは持ち合わせていない。

わたしは映画が苦手だ。
でも嫌いなわけじゃない。観るのが怖いだけで、本当は映画が好きなのだ。

そうやって映画を避け続けていたときに見つけたのが、碧月はるさんの映画コラムだった。詳細なネタバレはない。でもどんなストーリーなのか、何をテーマにした作品なのか、わかりやすく伝えてくれる。映画とわたしとの間に絶妙な距離感を作ってくれる、はるさんのコラム。この「ちょっと遠いけれど、確かにそこに映画がある」感覚が心地よかった。

「その映画を観た誰か」が考える。「その映画を観た誰か」が感じる。自分はそれらを取り込む。
なんだ、映画は観なくても楽しめるじゃないか。映画は読めばよかったんだ。

もちろん、この楽しみ方が異端であることは理解している。「そんなやり方で映画を楽しめるはずがない」と思われるかもしれない。
でもいまの自分にとっては、これがちょうど良いのだ。この距離感こそが、いまの自分にとってベストなのだ。

だからわたしは、これからも映画を読み続ける。いつかまた、怖がらずに映画を観られるその日まで。

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