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きっとあなたはわたしのことを「自意識過剰だ」と嘲笑うだろう

どうやらわたしは、人の目を気にしすぎるきらいがあるらしい。
外見的な美醜はもちろん、性格やら行動やら、かかわる中で見えてくる内面的な部分も気になる。とにかく「自分が他人からどう見えているか」が気になって仕方ないし、敏感に反応してしまう。

このセンサーが働くのは、お互いによく知っている相手に対してだけではない。今後の人生に一切関係してこないであろう赤の他人に対しても同じだ。
「あいつ、不細工だな」とか、「あいつ、なんか変な歩き方だな」とか。誰かがいる場所へ出向くときには必ず、ネガティブな印象を持たれていないだろうかと不安でたまらなくなる。

たぶん、嫌われるのが怖いんだと思う。
幼いころから、人の悪意に触れる機会が少なかった。面と向かって悪口を言われた記憶はないし、当時のわたしはお堅い優等生。「あいつのことは悪く言っちゃいけない」みたいな空気感があったような気もする。
だから人からネガティブな印象を持たれることに対して、あまりにも免疫がなさすぎる。とにかく他人から向けられるネガティブな感情に弱い。万人に好かれるなんて無理だってわかっていても、傷つきたくないから「できるだけ多くの人に嫌われないように生きたい」と願ってしまう。

でも原因はそれだけじゃない。悪意への恐怖心と同じくらい、「他人からこう見られたい」という願望も強いんだと思う。だからそれとは違う要素を外へ出してしまったらとてつもなく後悔するし、それとは違う見られ方をする可能性に対して拒絶反応を起こす。

気分が高揚して饒舌になってしまったときなんかも、あとから振り返って絶望したりする。見せてはいけないものを見せてしまったような、見られたくないものを見られたような。とてつもない羞恥と後悔に襲われる。

きっとあなたはわたしのことを「自意識過剰だ」と嘲笑うだろう。そうかもしれない。気心知れたあの人も、すれ違うだけの赤の他人だって、誰もわたしのことなんて気にしちゃいない。「自分がどうみられているか」なんて、本当はわたしが考えているほど深刻な問題じゃないはずだ。

それは十分理解しているけれど、残念ながら長年の癖はそう簡単に抜けない。自分を取り囲むたくさんの目が、今日も怖くてたまらないんだ。

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