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「知らない」ことが羨ましい

昨年の秋、ヨシタケシンスケさんの「もうぬげない」という絵本を買った。

これは、着ていた服が首に引っかかったまま脱げなくなった男の子のお話だ。
はじめこそ首に引っかかった服が一生脱げないんじゃないかと心配していた男の子だが、次第に「脱げないまま生きていく方法」を考え始める。その発想がどれもユニークで、思わず笑ってしまう。

喉が渇いたら?
お友達と遊ぶときは?
ネコに悪戯されたら?

このように聞かれたとき、首に服が引っかかったままのあなたはどう答えるだろうか。
大人は、きっと同じ答えを出す。「まずは首に引っかかった服を脱ぐ」と。大人は無意識のうちに、「服を脱ぐ」ことを前提として考える。問いの答えが「服を脱ぐ」ことの先にあると知っているからだ。

しかし子どもは違う。そこに「服を脱ぐ」という前提は存在しない。「服が引っかかったままの自分」がデフォルトで、その状態の自分がどう行動するかを考える。

大人はいろいろなことを知っている。でも子どもには、まだまだ知らないことがたくさんある。だから大人が「当たり前だ」と思うようなことでもーーたとえば、首に引っかかった服は簡単に脱げるという当然の事実さえーーすぐには思いつかない。

知らないことって、実はすごく自由なんだ。
知らないからこそできる発想があるんだ。
この絵本はわたしに、新たな気づきを与えてくれた。

自分の子どもがこの話を理解できるようになったとき、いったい何を考えるのだろう。
首に服を引っかけたまま、いったいどんな大冒険を繰り広げるのだろう。
その自由な発想に、きっとわたしは嫉妬してしまう。

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