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ハイヒールと大人と小鹿の話

スラっと伸びる脚。
小さく動く華奢な腰。
それにあわせて揺れる髪。
規則的に鳴り響く「コツ…コツ…」という音が、心地いいリズムを刻む。

子どもの頃に憧れた、かっこいい大人。
憧れの中にいる大人たちはみんな、ハイヒールを華麗に履きこなしていた。

わたしにとって、「ハイヒール」は大人の象徴そのものだった。
ハイヒールを履けることが、大人の証だと信じてやまなかった。

大学生になって。
20歳を過ぎて。
社会人になって。
今日もわたしは、お気に入りのスニーカーと歩いている。

ハイヒールは、履いても年に数回。
好んで選ぶことはないし、むしろ嫌ってきた。

太くて低いヒールの靴を履いても、いつだって踵が痛む。
涼しい顔して歩いていたあの人は。
キラキラ笑顔を振りまいていたあの人は。
仮面をかぶって、痛みに歪んだ顔を隠していたのだろうか。

なんだか、子どもの頃に描いていた大人像とはずいぶんかけ離れている。

少しくらい痛みを伴わないと、大人にはなれないらしい。
その痛みを隠せるようにならないと、大人とは言えないらしい。

だったらわたしはまだ子どもだ。
大人になり切れていない、未熟者だ。


もういっそ、子どものままでもいいや。


そんなことを思いながら、数か月ぶりにハイヒールを履いてみた。
いまの自分は、あの頃に見ていた大人と同じように見えているのだろうか。
子どもが憧れるような、かっこいい大人になれているのだろうか。

街の中でガラスに映る自分をチラッと見てみる。
丸く縮まった背中。
小刻みに動く両足。
不自然に曲がる膝。
おそろしく不格好だ。
生まれたての小鹿の方がよっぽどうまく歩く。それくらいセンスがない。

現実はそんなに簡単じゃなかった。
痛みを感じなければ、
その痛みを上手に隠せなければ、
自分が思い描いていた「かっこいい大人」にはなれないみたい。


だからわたしは我慢する。
大人になるためのステップだから。
違和感を誤魔化すように、背筋を伸ばして。
痛みになんて気がつかないフリをしながら、今日も必死に大人を装う。

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