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家族のためにという言葉の必然

 子どもを産んで、先日で13年が経ちました。ママ13年生に突入です。我が家も御多分に漏れずの共働きで、誰がどのように時間を過ごすのかについては結構ストイックに考えたいほう。
 現代の共働き夫婦の時間の使い方、というのは=収入/社会的立場が決まると同義。これはとても残念なことだけど、いまも相対的には残業ができれば出世しやすい(体感)。
 一方で、最近は正社員のハードルがあがり一人あたりに求められる生産量は多くなっている肌感がある。


それって、自己実現? それとも家族のため?

「家族のために」という言葉にある後ろめたさの正体

 そんな中で、仕事をするときに「これも家族のため」などのコメントをわざわざスケープゴートにしている方々も多くいる。意味合いとしては、働けば働くだけ年収増加、つまり家庭環境の最適化に寄与する、って意味が多い。そしてその裏には、「自分のキャリアを諦めたくない」という切なる願いが隠されてる。つまり、自己実現。
 自己実現のためって言っちゃえばいいのに、なぜわざわざそのように表現するかといえば、子どもの事を横に置き、自分の時間を使うことに後ろめたさがあるからでしょう。まずそれがいらいない。誰も責めない、というか、大前提として、関与しない人間が内輪の事情についてどうこう言う権利がない。それがわかっていても、自己愛が強いほど周りからの目が気になってしまう。利己的な親という印象になることを避けたくて、このような言葉になると推察。
 なので、「これも家族のため」という言葉で、本心をわざわざラッピングする心理には、ほかの誰でもないご本人がその事実について後ろめたさをもっていることの証明になってしまうのかなと。

 それ、やめたらどうでしょう。


自分のキャリア/子どものキャリア どっちをとるのか?

 子どもを育てるのは親なんで、子どもがどのように育つかというのは親の手中にある。なので、親は必然的に子のキャリアを預かりながら自分自身のキャリアを考える必要性がある。仕事をしながら受験にどれくらい時間をかけるのか。塾のお迎えはできる?それはどのように?一緒に過ごす時間、どんな経験をさせるのか。
 ちょっと気まずいけど、共働き家庭は投下時間の配分によって以下のいずれかにあてはまるんじゃないかな、と思いました。

  • A 自分のキャリア < 子どものキャリア

  • B 子どものキャリア < 自分のキャリア
    これはAであれという意味ではなく、どのご家庭も現状、AとBを往来している時間が長いのではないか、という意味合いです。

私が考えるベストは、

  • 自分のキャリア = 子どものキャリア を目指すこと。

 = とは違うかも。伝えたいのは、投下時間が同等程度であることが理想っていう意味。ほかの表現が思いつかなくて、適当にこのように表現させていただきました。(雑)

たぶんこれって企業に置き換えると、
家庭=企業(チーム) だとして 親=上司 なんだよね。チームを最大化させるために上司がメンバーを育てるじゃん。育つじゃん。親も評価されるじゃん。皆んなおっきくなるじゃん。


子どものキャリアを後まわしにしないために、親ができること。

 しかし、難儀なことに親のキャリアと子どものキャリアはこの関係性にないことにお気づきだろうか。なぜなら、企業のような組織と違って子どもを育てることには社会的評価がないから。だから社会的評価にこだわる親は、可処分時間の奪い合いや譲り合いとなってしまいがち。「忙しい」は魔法の言葉。そのように訴求すれば、可処分時間を多く取ることができるから。でも、半永久的に子どものキャリア < 自分のキャリアという選択なんてできない。
 ならどうするかっていうと、子ども自身が自分でキャリアを最大化するように育てる、つまり親のキャリアを維持しつつ そこを分かつ意味合いで 同等に子どものキャリアを最大化していくのが、今は最適解な気がしている。親の一部時間や知識は自己成長に集中的に投下しつつ自分のキャリアで得た収入(資源)を育成へと還元していく
 例えば、年収/社会的立場が上がった時点で家事や育児の一部を外注する。社会的信用を得て時間単価があがったら早め帰宅して子どもに今後を考えるよう問いを投げるなど、できることはたくさんあると思うんだ。 たぶんね。

その時間の使い方、子どもに説明できますか。

 自分の時間をどこへ投下すれば正しいか迷ったときは、「この時間を子どもに説明し納得できるか」ということを大きな判断軸にしている。たとえば、体調が悪いときは「いまこの時間が必要だから少し待っていてね」などなるべく声をかける。
 企業でも貴重な人材リソースを投下するには工数に対し説明責任が伴う。それによってどのような成果を出すのかも。家庭も同じなんじゃないかな、と思う。納得感がないままクソ仕事(※意味のない作業の通称)をさせられる部下の心情と同じような気持ちを子どもが抱かないために、できることってなんだろう。
 美容院に行くための時間、残業時間、大切な友達に会うための時間、ストレス解消の時間、コロナが大流行している中で会食にいく時間、オールドボーイズクラブで笑っている時間。 子どもに説明できるぞ、っていいたい。言える大人でありたい。


それ、子どものための時間?
それとも、自己実現のための時間?


 まだまだ共働き世代過渡期で模索する時期が続きますが、みなさんはいかがお考えでしょうか。これらは私の個人的な育児メモに過ぎないのですけれども、育児やお仕事とのバランスを考えるきっかけになれば嬉しく思います。


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