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9日目/21。。。楽しよう。。。

昨夜はブログ書き始める前の習慣でSNSを観ているうちに、どうにも抗えない眠気に襲われて、頭が朦朧としてたので寝てしまった。窓の外を見ては「暗い!」久しぶりに暗いうちに眠れて嬉しかった。(とはいっても午前3時をまわっていた)
絶対午前中に起きられる!という確信を持って寝たのに、起きてみたら十分に午後になっていた。「なんで〜?!」とにかくやることやって書くしかない!と今に至っています。絶対、途切れたくない!やるぞ〜〜!!
(書くこと決まっているのだけど、気を抜くと他のことやりそうになる。やっぱ抵抗か。。。嫌なのかな。。。)でも書く!!(と言ったそばから、急に思い立ってお風呂洗ってきます。)

戻った。(ササっとやっちゃった)

わたしは、意志が弱い。何かを決めてやることが苦手。というか決めるのがイヤだった。決めたらやらなきゃと思ってたから。そしてできなかった自分を見るのはもっとイヤだったかもしれない。だからいつもなんとなく初めてなんとなくやらなくなる。の繰り返し。珍しく決めても続かなくて。続かなかった時の悔しさや情けなさも感じないようにしてなんとなくやり過ごしていた。

でもさ、やっぱりそれじゃどこかつまらない、なんか物足りない。変化しない。動けない自分。。。どんどん置いてかれる感。なんとかしたいyo。と思うようになった。

ヒーリングの師匠の本郷綜海さんに出会ったのは5年以上前で、まだなんかいつも同じところで引っかかってぐるぐるしてるな。ぐらいにしか感じてない頃で。
綜海さんは、グラウンディングという意識を身体に根付かせることを基本にしていて、その講座の説明を読んだ時に「これだ!!」と確信した。そしてその講座を始め、色々な講座に参加した。綜海さんの場のホールドがとても素晴らしくて、この世界は安全でやさしいといつも体感させてくれた。そんな世界でわたしも生きていきたいと思った。どの講座の基本もグラウンディングありきなのだけど、わたしはそのグラウンディングがとても苦手だった。身体があることが面倒くさかった。とにかく面倒だった。特にグラウンディングの要の一つとなる自分の骨盤が大嫌いでそこを感じるなど言語道断!無理無理無理!(グラウンディングの説明の中で骨盤の大切さを書かれている長文があり、そこに激しくうなづいたわたしなのに面白いよね)

それでも色々な講座に参加しつつ仲間もできて、遅れないようにとり残されないようにと少しづつ続けているうちに、最初は身体に繋がってるのかどうかさえわからなかったのが、だんだん身体の癖に気づくようになり、身体の使い方やインナーマッスルを発達させていくことなどにも興味を持ってとりくむようになった。
まわりと比べて自分は全然グラウンディングが深まってない。ダメだ。とつい思ってしまうこともありありだけど、綜海さんがいつもおっしゃる "当社比” でいえば随分変わってきている。

ここで、今までのわたしのモチベーションて "置いてきぼりにされたくない”  ということだったと気づいた。まわりがどんどん変わっていくのに自分だけとり残され
たくない。自分が本当に変わりたいのかなんて感じたことがなかった。だからなかなか行動できなかったのか。。。。。でもね、タイミングとか速度とかって人それぞれだと思う。色々な人を見て自分と比べてきてそれは本当にそう思った。そして顕在意識では "置いてかれたくない” だけど、深いところではわかっているのだと思う。今、何をすればいいか。わたしは人と比べては、”自分はダメだ、このままでは置いてかれてしまう” という危機感で動いていたけど、たぶん奥の方が「コイツには今はこれでいいんだ」ってことだったのかな。だからあの頃は、人と比べるのも必要だった。ダメなこと、無駄なことはないんだって今は思う。

そして、そして!だんだんグラウンディングが深まってきてわかってきた。
体感からの直感や、そこからの行動が楽なこと!
頭でぐるぐる考えなくていいし、決めなくてもいい。
身体がかってに動いてくれる。体感からくる確信があるから迷いも心配もない。ただ自然に動いている。意思の力いいらな〜い!! 決めるというより、ただわかる。これだなってわかる。
これですよ、これ!!
楽に進むにはこれがいい!楽していいんだ。
でも今はまだそんなに頻繁に、日常的にはそういう動きにはならない。
まだまだまだ深める余地があるあるあるグラウンディング。
わたしは、意思の力は必要なく ”身体が自然に動く” ことを意図して日々のグラウンディングに励みます。師匠もグラウンディングは一生ものとおっしゃってました。残念ながら? 楽するために "日々のこつこつ" をやるのです。

おまけ⭐︎
"意図する" ていうのは、私たちが「右手を上げて」と言われて考えずにスーと手を上げるように、既にそうなると知っている。ということだそうです。
それに対し、"意思の力" というのは 「よーし、やるぞー!」てわたしが動かすということだそうです。

ふと思ったのは、わたしは意思の力が弱いのではなくて他のところに使ってたのかもしれない。"いい人でいるために自分を隠す"  "傷を負わないように自分を抑える" のに、かなりの意思の力を使ってがんばっていたのではないか。だってそうしないと辛かったから。生きていけないと思い込んでたから。それはもう全勢力を傾けて踏んばっていた。だからもう余力がなかったのだ。これ以上がんばれないよ〜と。本当にお疲れさまでした。でももうあんまり意志の力要らなくなるから大丈夫だよ!

読んでいただいてありがとうございます♡

余談
人々が寝静まった朝に限りなく近い深夜にしか書けないと思ってたけど、この時間もよかった。夕方もなんとなく しーんとしていいなあ。



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