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舞台「リア王」を観た話

東京芸術劇場にて、シェークスピアの「リア王」を観てきた。
私の推しである小池徹平くんが出演していたので、ぜひ観たいと思って行ってきた。

舞台は大きな劇場であったがほぼ満席状態だった。
二階席から観たので、観客席と舞台が180度よく見えた。
途中20分休憩が入って約3時間の舞台だったが、時間が経つのが早く感じた。
シェークスピアは悲劇のストーリーを書く劇作家で有名だが、このリア王も悲劇。
数々の名言を残している。

人間はこの世に生まれ落ちるやいなや、阿呆ばかりの大きな舞台に突き出されたのが悲しくて、誰もが大声をあげて泣き叫ぶ。

リア王より
リア王

ストーリー全体を観て思ったのは、人は信頼している人の言うことは簡単に信じてしまう生き物なんだなということ。
たとえそれが口からでまかせであろうと、信頼している人からの言葉は正しいと勝手に思い込むようになっているのだろう。
「本当に大切なものは言葉(見せかけの表面)ではなく
心(見えない部分)」ということが理解できた作品だった。
また、私欲のために誰かを犠牲にすることは、一時的に天下をとっても、後々に巡り巡って天罰が与えられ、滅びてしまうものだということもこの舞台を通して学んだ。
悲劇から学ぶというシェークスピアの作品は名言も多く、心に響くものがたくさんあった。

私の推しの小池徹平くんは「エドガー」役で、弟の私欲による口からでまかせにより、エドガーは命を狙われ貴族から乞食へと変貌してしまうのだが、その姿は本当にきちがい乞食だった。
でもそれも見せかけで、真の姿は頭の良い心優しい貴族であるというエドガー。最後の最後まで、その姿を見破られることがなかった。父にも弟にさえも。頭の良いエドガーは真実を伝えるタイミングをずっと伺っていたのかもしれない。とても冷静な判断に運が味方したように見えた。

一方、リア王はその逆で、国を任せるというとても大事な場面で、感情的に判断を下していた。自分が気持ちよくなりたいがために、いい言葉を並べる人を真の愛だと思い込み、本当の愛を見抜くことができなかった。
感情的に判断した結果は、悲劇を生むということがよくわかるストーリーだった。

人は私欲をむき出しに生きると、敵をつくり、結果、しあわせになれない。
人は相手のために尽力すると、味方をつくり、結果、しあわせになる。

人は感情的に判断を下すと失敗する。
人は冷静に判断を下すと成功する。

「今が最悪」と言える間は、最悪ではない。

リア王より

ぜひ、劇場へ足を運んで観てもらいたい作品である。



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