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フリーランスになったからには、もっと上昇志向と欲望の赴くままに生きなきゃダメだよ

フリーランスなら、もっと自分に貪欲にならないといけないんだよ。欲しいものは欲しい、好きなものは好きと言えないといけないんだよ。


よしもとの放送作家養成所を2006年に出てからが自分のフリーランスキャリアのスタートなので、2024年は19年目になる。

当時は何も考えることなく、ただただ自分の直感に身を任せて養成所に入って1年経てば放送作家になり、それなりに活躍できるだろうと思っていた。全くもって何の根拠のない話だけど、いま思い出しても根拠がなかった。

ただテレビが好き、お笑いが好き、モデルと女子アナが好き。かつて島田紳助が芸人になるときの動機として発言した「芸人で成功すれば富と名声といい女が手に入る。容姿も学齢も関係ない」とほぼ同じ動機だったのは隠すつもりもないし、ぶっちゃけそんな思いで日々を生きている。それが私にとって生きるエネルギーになるし、華やかな世界に憧れてとにかくテレビ局で仕事がしたかったのだ。

そんなピュアなのか不純なのかよくわからない基準で飛び込んだ業界だったが、ラッキーなことにキャリア3ヶ月にして港区六本木のテレビ局に出入りすることができた。そのテレビ局での仕事は成果を上げられずクビになってしまったが、その3ヶ月後には別の局の報道番組に常駐という形で出入りすることになった。

8時間×週5日の最低40時間。テレビ各局のレギュラーを持ち、まずは年収1000万円という当初思い描いていた仕事像とはかけ離れていたが、バイトしなくても良いような月額の報酬がもらえたし、何よりも週に5日もテレビ局で働けることが何よりのモチベーションとなった。

しかし、担当業務だったニュース原稿の編集は、20代後半のろくに日本語を学んでこなかった私から見ると、最初の半年は地獄でしかなかった。文章の要約でも主語がない、述語がない、てにをはがおかしい、一読してすっと頭に入ってこない。研修期間中は作成した原稿をプリントアウトして研修担当の先輩の赤ペンが入るのだが、何度やっても同じミスを繰り返し「これじゃあ、とても原稿をネットに上げることはできないね」と叱責を受けた。

業務時間が終わっても添削が終わるまでは帰ることが出来ず、1日の勤務が12時間になることもあった。先輩もきっと帰りたかっただろうが、出来の悪い新人だからと半ば諦めていたと後からきいた。

そんな研修期間も半年を過ぎた頃、及第点の原稿編集レベルになったので独り立ちすることができたのだけど、後になって「半年やって独り立ちできなかったら、クビだったんだよ」とサラリと言われたときは身の毛がよだつ思いだった。もしクビになっていたら良くも悪くも全く違う人生を歩んでいたに違いないからだ。

まぁ、フリーターの頃はただ時給を稼いでプラプラ生活していたようなものだし、バンドを組んでプロデビューするのも華やかな世界でスポットライトを浴びたいという欲望のままに生きることしか考えていなかった。

スーツ姿で満員電車に乗ってつり革にゆられて会社に育成活をするなんて、とてもしたくなかった。高校時代からロックを聴いて反骨精神が育ってしまったのか、はたまた人間的にクズなのか、どちらかというと後者だろう。だってそんなレールに乗った人生を歩むなんてごめんだったし、ここで踏ん張らないと僕が欲しいものが手にはいらないと思ったから。欲望がすごい。

ここからさらに紆余曲折はあったけど、30代になり、40代になり、キャリアを重ねていくことができたのは才能ではなく運しかなかった。養成所の同期40人ほどで10年以上作家をしているのは4〜5人しかいなかったし、自分のそのうちの1人になれたのは本当に恵まれていた。運も才能のうちというけれど、運はそもそも思い込みや気の持ちようが殆どの要素を占める。だから、あの日あのときあの場所で、あなたに出会ってなかったら、僕はいつもまでもあのときの僕のままでしかなかった。

正直、20代・30代の人たちを見ていると、ギラギラしてる人が少ないなぁという印象だ。僕はフリーランスになりたくてなったのではなく、フリーランスでしか生き残るかつ自分の願う人生を叶える方法がなかった。2023年にフリーランス保護新法が可決されたけど、フリーランスを保護してサラリーパーソン化してどうすんの?は?的な。

フリーランスは自由と責任を享受できる代わりに世の中の不都合や不条理に対して基本的にはひとりで立ち向かっていくんですよ。

その立ち向かっていった先で手にしたものは、そんじょそこらの組織人には味わえない果実があるわけ。妬み嫉む奴は見る権利すら与えられない果実よ。

芸能界の裏方的役割のポジションだったけど、ギラギラしている諸先輩方・後輩はたくさんいたし、「絶対オレもそのポジションに行ってやるぞクソが!」と私もギラギラしながら東京で活動をしていた。

業界を離れてもそのモチベーションとエネルギーは変わらないけど、40歳を過ぎて思うようになったのは自分の発信や表現を通じて少しでも世の中を良くしていきたいという気持ちが強くなったこと。きっとこの気持ちを30代から持っていればもっと売れていたに違いないと後悔の気持ちすら出てくるが、過ぎてしまったものは仕方がない。

でも、この立場でいる以上は自分のポジショニングは明確にしないといけないし、ひとり起業と変わらないので社会に対して何ができるんだいベイベー的な気持ちが必要になってくる。

あくまでネット上でだけど、フリーランスになりたい人のほとんどってエネルギーが足りないなーと。欲望が足りないなーと。上昇志向が足りないなーと。

待ってても、誰も何も与えてくれないよ。

自分で取りに行かないと。

あ、でも人に迷惑をかけちゃダメだよ。



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