同窓会に憧れるおっさん。眠っている「地元」を掘り起こしたい
テレレレッテッテッテ〜♪
僕のおっさんレベルがまた1つあがりました。
行き付けのバーでハイボールを飲みながらiPhoneを見ていたとき、画面がぼやけたんです。「メガネをしているのになんでだろう?おかしいな」と思い、iPhoneを遠ざけるとピントが合う。まさかと思い、またiPhoneを近づけてぼやけた画面を見ながらメガネを手にとっておでこの方に引き上げ、裸眼で見たら、画面が見えたんです。
レベルアップしていただいた能力は、老眼。そう、ついに老眼デビューを果たしました。おめでとうございます。
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福岡に移り住んでから驚いたカルチャーのひとつに「高校閥(こうこうばつ)」の存在があります。100年単位の歴史がある高校がいくつかあって、毎年最低一回は若い世代から高齢世代までが集まる数百人単位の同窓会が開かれています。
それらの高校は学力が高いので、財界だけでなく芸能界でも活躍する人材を輩出しています。そんな方々も同窓会のために福岡に戻り、卒業生として交流を深めているそうです。
皆さんは同窓会によく行きますか?
僕は1度しか行ったことがありません。中学2年生のときに参加した、6年生の2学期終わりで転校した小学校の同窓会です。小学校の教室でお菓子とジュースが用意された、何とも可愛げのある同窓会でした。
それからは、一度も同窓会に参加する機会はありませんでした。中学を卒業して高校に進学してすぐに引っ越してしまったので、そこから中学の同級生との交流は一切なくなりました。
当時は卒業アルバムに住所と電話番号が書かれているという、今の時代には考えられない仕様で僕の自宅も電話番号も書かれていましたが、引っ越してしまったので連絡手段がなくなってしまったのです。
高校には中学の同級生はひとりもいなかったし、高校の友だちと遊んでいるほうが楽しかったので、中学の同級生とは卒業してから誰とも会わなくなってしまいました。
高校を卒業してからは、住んでいたアパートを引き払っていったん親の元に戻ったので、高校の同級生たちと遊ぶ機会も減っていきました。遊んでいたかもしれないですけど、記憶がないので遊んでいなかったのでしょう、きっと。
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かつて、「地元がない」というテーマでnoteを書きました。もう4年前になります。
運命とは数奇なもので、このnoteを書いた翌年にコロナ禍になり、人生を考え直し、東京を離れて福岡に移り住んでしまいました。このnoteを書いてから、福岡の各地だけでなく、「九州移住ドラフト会議」という関係人口を構築するイベントに参加して、九州の各県にも足を運びました。
地元のまちで生まれ育った人、東京など都会から移住して暮らす人、様々な価値観を持った人の交流は「どいつもこいつも面白い人生を送ってサイコーじゃん」と僕の価値観をより広げ、より深くしてくれるのです。
観光のために旅行には行かないタイプになってから数年が経ちました。あれから4年、僕は福井、広島、山口、高松、唐津へ足を運びました。生まれ故郷である北海道にも25年ぶりに行きました。
自分の活動報告は全てフェイスブックに投稿しているので、「木村さんはいつもどっかに行っていますよね」「木村さんはふだん福岡にいるんですか?」「てか、木村さんは何人いるんですか?」と聞かれるようになりました。
こんなイメージがつく自分になるとは、思ってもみませんでした。バンドでプロを目指していた20代や、放送作家になった30代は東京が主戦場だったので、マジで1ミリも地方に目を向けていませんでした。
2018年に人生で初めて福岡に行ったとき、「高校の修学旅行以来、20年ぶりの飛行機に乗る。しかも人生で3回目の飛行機です」というレベルで、羽田空港も20年ぶり。そんな人間が5年近くで「フッ軽おっさん」のイメージがつくまでになったんです。
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「全国各地に地元を作りたい!」という願望から始めた地方訪問ですが、40歳から45歳になって、意味合いが少し変わってきました。会いたい人に会いに行くというミッションは揺るがないのですが、僕のような「フッ軽おっさん」が世の中に増えてくれないかなと思うようになりました。
「おっさん」になると、若いときと違って行動範囲が決まってしまいがちになりますよね。
家、会社、いつもの飲み屋、喫煙所、近所のショッピングモールetc.
僕の周りの面白い人はほぼ例外なく、いろんなところに行って、いろんな景色を見て、いろんな人に会っている。その人たちの感性はとても豊かで、話もウィットに富んでいる。そしてたまに見せるクレバーな面にドキドキする。
ああ、僕もこんな人たちの感性が欲しい。人生をよりもっと豊かに、幸せを追い求めていきたい。でも、老眼に向かいながらiPhoneを見ている同世代のおっさんたちにも、こんな経験をしてほしい。
自分が老眼デビューをして改めて感じたんです。「あ、まともな身体で動ける人生のタイムリミット、もうあまりないんじゃないかな」と。
もちろん仕事も大切です。家庭も大切です。でも、「フッ軽おっさん」になると、仕事にも家庭にもいろいろ効いてくると思うんです。あ、仕事には効きますけど、家庭に効くかどうかは、家族に聞く必要がありそうですが、たぶん効きます。
僕には尊敬する「フッ軽おっさん」がいます。自身のことを「変人ハンター」と呼ぶ方。僕が10何年ぶりに関東から飛び出して長野県塩尻市で会った方。当時50代半ばで大手ビール会社の部長さん。
でも、全く偉ぶった感じもなく、仕事の話も一切しない。目の前にいる人に対して好奇心全開で接していて、とにかく面白い人を見つけては全国各地に飛んで会いに行く。
東京に帰った後、「どうしてもこの人と飲みたい!」と勇気を持ってお誘いし、新橋の居酒屋で2人でハイボール24杯飲みました。私のフッ軽師匠その1。
フッ軽師匠その2は、てぬぐいを作っている会社の専務さん。いまは50歳を少し過ぎたくらいで、まあ話がウィットに富んで面白い。この方の誕生日パーティに2次会からお邪魔したら、80人以上が残っていた。1次会には150人が来ていたらしい。この方と共同幹事で飲み会をしたら、秒で20人「行きます!」と集まるほど。また中目黒で飲み会やりたいなー。
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「地元がない」と嘆き、地元を作ろうとフッ軽おっさんの道を歩み始めて数年。あまり後ろを振り返らず生きてきたけど、僕が卒業した高校では同窓会は開かれているのだろうか。
ググった。なんと、同窓会のサイトがある。同窓会総会もある。2年前に開校50周年だったのか。「あなたは何期生ですか?」のページ。僕、24期生だったのか。初めて知った。同窓会総会は昨年が第8回。まだまだ規模は大きくないのか。
高校を卒業してから母校に行ったのは、卒業証明書を取りに行った1回だけ。僕の人生の土台を作ってくれた高校生活は今でも宝物のような思い出ばかり。久々にコンタクトを取ってみようかな。フッ軽おっさんがいるかもしれないし、後輩たちに「フッ軽」の凄さを大切さを教えたい。
あの街に住んでいる人たちは、地元が大好きな人たち、木更津とか八王子の香りがする街だから、浮世離れした24期生の金髪おっさんが来たらなかなかの衝撃になるだろうな。
けど、「地元がない」と嘆いた僕が青春を過ごした3年間の校庭に、校舎に、体育館に、武道棟に、二日酔いで寝ていたテニスコートのベンチに「地元」が落ちているような気がするんです。
いまは老眼でぼやけて見えるけど、現地を訪れてピントを合わせたら、落ちていた「地元」が見えるのでしょうか。
身体が動くうちに、実現させないといけませんね。
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