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エッセイ:通勤定期券を買わなくなった生活

印字がかすれて「勝どき−汐留」の駅名がうっすらとしか見えない通勤定期券のことを思い出した。

毎回読んでいる知佳ちゃんのnote。

コロナになる半年前は、実は私も満員電車に乗って「出勤」していた。

月曜から金曜日、帯の報道番組、OA正午から30分。ここのスタッフになってから2年近く、自宅マンションに勝どきから汐留までのたった2駅だったけど、東京の地下鉄で最もコンパクトな車両である大江戸線の満員電車に乗って、(今のところ)人生最後の通勤生活をしていた。

この頃は自宅に仕事は持ち帰らなかった。持ち帰っていたのはお気に入りの可愛い女の子くらいだ。

台本を書く作業は基本的に局内で済ましていた。この頃はデスクトップパソコンやワーク用のデスクをチェアを持っていなくて、ノートパソコンだけで仕事をしていた。コロナになって国から配られた10万円で型落ちのiMacとどこのメーカー分からんデスク、イトーキのチェアを狭い8畳の部屋にぎゅうぎゅうに押し込む形でレイアウトするのは、もう少し先の話になる。

この頃、ちょっとした朝活コミュニティに参加していた。週1回。朝7時から40分程度、オンラインワークショップをしていた。2019年からZoomは使い始めた。コロナ禍で市民権を得る約1年前から使っていたけど、最初は画面共有の操作もままならなかった。

最近は仕事でGoogle Meetを使う機会が増えたけど、こちらはまだまだ市民権を得ていない。かつてのブラウザ覇権争い、Internet ExplorerとNetscapeよろしくZoomとGoogle Meetの争いは既に決着がついているように見えるが、果たして。

今の働き方スタイルになってから、通勤定期券は買わなくなった。決まった日に決まった場所に行かなくなった。最初に本格的な定期券を買ったのは高校時代。

東京都足立区から豊島区池袋に引っ越して電車通学をすることになり、池袋駅のみどりの窓口で購入したのが最初の定期券「池袋−竹ノ塚」だった。この頃、PASMOはおろかSuicaもない紙の定期券。学割って史上最強の割引だなと思った。

都心から郊外に向かうので、山手線の池袋-日暮里までは混雑していたけど、日暮里から常磐線→北千住から東武伊勢崎線は余裕で座れる。竹ノ塚と言えば人気テレビ番組「月曜から夜ふかし」で良くイジられている人生の落伍者たちがすむ楽園的な街として特集されているけど、大げさではない。東京都足立区とは東京であって東京でない。港区や中央区と一緒にしたらきっと怒られるほど23区として存在してはいけない区なのだ。

通学から通勤定期券になり、Suica定期券になり、私鉄の乗り換えが発生するのでSuica定期券が使えずPASMO定期券に切り替え。25年近くお世話になった定期券生活からオサラバしたのは、テレビ番組のスタッフからオサラバしたとき。

それからしばらくはチャージしたPASMOとして使い続けていたけど、モバイルPASMOに切り替えてから、長財布にあって当たり前だったPASMOは自宅の引き出しで眠り続けている。そのまま処分すると、デポジットが勿体ないと思ってなんとなく持ち続けているけど、日の目を見ることはもうないだろう。

部屋の掃除や片づけをすれば「お、PASMOやん」のひとり言とともに、1丁目か6丁目にタワーマンションが10本は建っている勝どきという街を思い出し、たくさんの人にお世話になったものの、決していい辞め方ではなかった汐留のテレビ局の日々を思い出すのだろう。

「勝どきー汐留」の印字が定期券から完全に消え去ってしまっても、自分にとってのかけがえのない日々は消え去ることはないだろう。




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