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あなたが提供できる価値を、カツオ節のごとく削って提供しよう

12月も半分を過ぎた。年末ジャンボ宝くじ売り場に並ぶ人々。この寒空の中でご苦労なこったいと横目に見ながら、この中に経営者は確実にいないだろうという確信を持ちながら、もう一生宝くじを買うことはないし、ムダなポイントカードも作ることはないんだろうなとこの1年にあったことを振り返る。

振り返ると言っても、ただ西暦の1年という単位を、世間の常識やら慣習に沿っていちいち「今年は●●だったから、来年は●●しよう」という振り返り方はしない。そんな無味無臭な振り返り方をしても意味がないからだ。

だいたいそんな連中は1月に年間広告費の半分を使う資格取得講座でお馴染みのユーキャンに「よし、今年こそは資格を取るために勉強するぞ!」という毎年計画を立てても2月の建国記念日のあたりですっかり計画挫折記念日を打ち立ててしまう。

そのまま、ホメオスタシをたっぷり蓄えたままな春夏秋冬を迎え、またユーキャンの新聞広告を見て「よし、今年こそは資格を取るために勉強するぞ!」という毎年計画を立て、2月の建国記念日のあたりですっかり計画挫折記念日を打ち立ててしまう。そのまま、ホメオスタシをたっぷり蓄えたままな春夏秋冬を迎え……エンドレス。

もちろん、世の中には「ささやかな幸せ」を求めて生きている方々もいるので、別に努力をしなくても日々の労働をこなしていれば生きていくシステムが完成した令和ニッポンにおける「ささやかな幸せ」を追い求めていけばいい。

んでもって、安倍派の裏金だのキックバックだの、言葉の意味や本質はぶっちゃけわかんないけど、「なんか政治家だけ甘い汁を吸って、真面目に生きている俺たちが報われないのはひどい!」という薄っぺらい理由でなんとなく政権批判のツイートをする。

別に政治家が甘い汁を吸おうがキックバックをしようが、私たちの生活に何の影響もない。これで政権交代が起きてさらに無能な野党が政権を取ったら、私たちの生活がさらに悪くなることにすら気づかないのは目の前に起きた出来事や事象を感情論でジャッジしている宝くじ大好き連中なんだろうな。

資格を取りたいと言っている連中の多くは現状の生活を変えたい、収入を上げたい、モテたいなど、自分の環境を快く思っていない状況を改善するための一歩として安直な資格獲得に乗り出す。

もちろん、資格取得に向けた学びがその後の大きく変化させるための知見や血肉となるなら資格取得大いに結構だが、受験勉強詰め込み型教育を受けてきた多くの連中は資格の取得がゴールだと本気で思っている。

断言するが、資格を取ったところであなたの中身は何一つ変わっていない。「資格取得」という事実が良くも悪くものっかるだけで、取得まで過程に何を感じ、何を考え、どんなアウトプットをしてきたかだけがあなたの中身を変える。

ちなみに私は一切の資格を持っていない。普通免許すら持っていない。もうしばらく履歴書など書いていないが、履歴書の資格欄には「な し」という2文字しか書いたことがない。普通免許は取っておこうかなと思ってはいるけど、●●専門職を名乗るための資格取得に一切興味はない。

別にいまの仕事をしながら収入を5万円上げる方法なんて副業をすれば簡単に稼げるのに、「うちは副業禁止です!」とか「仕事で疲れて副業の時間が取れません!」とできない理由を並べるのが大得意な連中の言い訳はネット上に溢れかえっている。

きょうも中洲のとんかう松のやで朝9時に「トンカツ定食大盛り・みそ汁を豚汁に変更」を食べていたら、歓楽街・中洲で朝まで働いていたであろうおばさん4人組が仕事終わりで朝食を食べていた。

「やれ給料が低い」だの「●●ちゃんはメンヘラでお客さんの扱いが下手くそ」だの「彼氏がGPS機能をオンにしてくれない」だの、ネット上の罵詈雑言がまさか中洲のとんかつ松のやで聞けると思わなくて、もうちょっと聞いていたいと思ったけど、9時半にオンライン打ち合わせがあるのでそそくさと帰宅した。

松のやで同僚同士で愚痴り合う時間が人生においてどんなにムダなことか。

新橋・有楽町の居酒屋で「ウチの部長がマジでありえん」と部下同士で焼き鳥食べながらビールで流し込む光景は嫌というほど見てきた。

「誰かが自分の人生をより幸せにしてくれる」って本気で思っている。自己決定ができない。考えられない。無料が好き。クーポンが好き。夢を買うのが好き。資格が好き。誰かを叩くのが好き。叩いて怖そうなやつは叩かない。でも、可愛い女の子には絡みたがる。FANZAのAV10円セールにすぐに飛びつく。お金配りおじさんにすぐLINEIDや口座番号教えちゃう。

しかし、こうした情弱で誹謗中傷大好き連中の多くが私と40代・50代男性だという事実を知ると、「どんな形であれ、あんたの人生はあんたが選んだきたという事実は変わらない。その事実を心苦しくも受け止め、自己批判をした上で次のステップに行ったほうがしんどいけど充実した人生を送れるのに、もったいないし残念だなぁ」と。

私が底辺間際のおっさんを叩いてもしょうがないけど、ある企業のカスタマーサクセスをしているので、今年後半は普段巡り会えない人との会話に恵まれた。その人たちと比べても何の意味もないけど、45年生きてきた私の人生はそれなりにぎゅっと詰まった価値のあるもの、つまりはなりたい者になれて、やりたいことができている人生だったと再認識できた。

1年を振り返るのはまだいいが、やりたいことをわざわざ時間を取って考えにふける意味は、あまりない。そもそも人生など思い通りにいくわけがないし、予想外にいい方向に転がって行くにはただただ、目の前にある出来事に全力を尽くして向き合うだけだ。

トークイベントの企画、ラジオ番組のゲスト出演、番組ロケに深夜に同行。民放連賞の審査員。教育関係のイベントの登壇。クラウドファンディングのディレクター。福岡の「2大スター企業」のコラボプロジェクトのPR。企業のファクトブック制作。2023年に新しく取り組んだこれらの仕事は年始に立ててないが、自ら起こした行動がキッカケとなって実現したものだかりだ。

これもひとえに、天神などの居酒屋で誰かのグチを吐きながら飲むのではなく、自分が●●することによって日本が、福岡が、業界が、もっと面白くなると思うんすよーとハイボールを飲みながら仲間たちと語り合った結果だったと自負している。

先日、父が亡くなったとき、父の人生のゴールは息を引き取った瞬間だったと強く感じた。父が満足して人生を終えたのか、後悔の念で人生を終えたのか、私にはわからない。だけど、この出来事から人生を見つめ直したとき、人生の最大目標である「いつ寿命が来ても笑って死ねる人生」は必ず全う知ると心に誓った。

一つだけ振り返るならば、45歳にしてさらに青臭くなった。恥ずかしげもなく日本の将来像を語り、若者たちの応援・伴走に回り、彼らの挑戦を後押しする。正直、自分がこんなことを語ってもいいのかと照れくさい気持ちもあったが、もうこの年だし「ぶち上げてもいいか」と視座を上げて物事を語るようになった。

と同時に、自分が多くの日本人から見て浮世離れしたポジションであることも再認識できた。自分が当たり前にやってきた行動力、物事を持続させる力、多くの人との対話でインプットを積み重ねてきた価値観のアップデート。社会を生き抜いていく上で最も大切な物事の本質を見抜く力と、その力を発揮するための「問いづくり」を仕掛け続けていきます。

これが今の自分にとって、世間の皆さまに提供できる最も大きな価値の一つだと思っている。この価値を提供し続けるために福岡で、東京で、もしかしたら東南アジアで動くかもしれない←ちょっと関心が出てきた国がありまして。。。

自分の心の中に持つカンナを使って、カツオ節のように価値を削り出してまいりまする。

同志を探す人生の旅は、まだまだ続きます。







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