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自由への闘争と逃走 退職回顧録 前編

※この文章を読むにあたって注意点があります。タテマエを排して書きました。ご了承の上読んでいただければと思います。


10年間勤めた職場を先週辞めました。
専門職の公務員です。保健所に勤めていました。

頭の中を整理してだんたんと言語化できてきたので、過去を振り返りつつ、新鮮な気持ちを忘れないうちに、まとめて記録を残しておきます。

10年というのがなにかちょうどいい節目みたいですよね。
こう言ってしまえば身も蓋もないですが、もとより定年まで勤めるつもりはなかったと言うのが正直なところです。ほぼ定時あがりでき、自由は効く職場でありましたが、専門職であるので異動が保健所というごくごく狭い世界でしかない→人間の流動性が著しく低い→小さな軋轢の蓄積があり、新陳代謝のない組織で働くことになんとなくもやっとしている気持ちはありました。

最初こそ、働いていて身につくスキルについても新鮮だったものの、そのうち別の人間に代替可能だよなという意識に変化しました。(個性を出すような職ではないけど)。
事務作業なんて最たるもので、外に出て色んな営業者と話す時間のほうが好きでした。

たしか3年目かの主任試験だかなんだかの上位職への選考など全く興味がなく、ずっと試験を拒否し続けました。
だってちょっと給料上がるぐらいで責任はマシマシ。本業の専門職の勉強ならまだしも、興味もない行政の勉強も時間の無駄と考えていました。
お金のために時間を使うならもっと効率的な手段がありました。

そんな人間だったのでいつでも次の行動へ移せるよう資格取得や資産運用などは在籍当初から準備をしていました。

今こうして振り返ると、大きく2つの要因が退職に導きました。

①職場の環境が変化し、自分にとって心地よい状態でなくなった
②所有資産の個人的目標を超え、経済的自由が達成できたと判断した

退職に至った今年度はそのフラグを同時に成立させてくれました。

どのように成立したのかもう少し掘り下げてみます。

①職場の環境が変化し、自分にとって心地よい状態でなくなった時


 私が採用で配属された部署は食品衛生でした。飲食店の許認可や学校など施設の一斉監視などを通常業務に行いつつ、有事の際は食中毒の対応処理などを行う部署でした。退職年度の前まで9年間ずっと勤めていました。

監視の都合上、外回りが多くあったので業務の範囲内で自由にドライブ、自転車乗りして保健所の外に出ることができました。それがいい感じの息抜きになってました。

まれに変な苦情者に絡まれたり、面倒な営業者に指導しなければいけない状況などもありましたが、私は仕事上のスパイス、面白い人に出会えたラッキー程度にしか思わないので負担にはなりませんでした。(窓口対応や電話対応が苦手、やりたくない人もいるようです。)

雲行きが怪しくなったのは、3年前ぐらいからでしょうか。コロナが大流行していた当時、保健所もパンク寸前でした。
鳴り止まない電話がある状況の中でさらに、こちらからも患者へ症状確認のための電話を毎日続ける。
その他、PCR検査業務と設営撤去など有事であったとはいえ、係の違う業務を行い、残業もあるなどから、組織で働く嫌気をうっすら感じ始めました。

さらに直接的な退職への転機があったのは、去年の3月、部署移動を告げられた時でした。新人のやばい課長が来たという噂通り、理解に苦しむ配置転換でした。
課の今後を考えても別の適任者がいたのに、苦手だと理解していた検査業務に配置になりました。大学生3年4年の頃に従事していた実験作業で向いていないと肌で感じていたのです。

検査業務のイメージ ほとんど一日中検査室にこもりきり


典型的な人の意見を聞かない無能な課長でした。どうしてもその配置転換に納得がいかない&課のためにならないという認識があったので、何度も抗議しましたが聞く耳を持たず。最終的には譲歩、折衷案として2ヶ月お試し期間であることを条件に配置転換を引き受けました。
腹の虫がおさまらない状況ではありましたが、係の仕事は関係なくあるので6月になるまで、細菌と向き合って最低限の業務はこなしたつもりです。

そして迎えた6月、課長は平気で約束を反故にしてきました。課長はそんな話はしていないとの一点張りでした。本当に、頭にきました。

一方で、転んでもただでは起きない人間と自負しています。今こそ公務員の手厚い制度を使う良い機会だとも思いました。明らかな自覚として不眠や食事が進まない美味しくないなど症状があったので、池袋の精神科に受診し、診断書をもって病気休暇制度を使うことにしました。2ヶ月間使いました。

そして、休みの期間中に、いかに無能な課長かという内容で人事あてに文書を作成していました。3月の面接の際にスマホで密かに声を録音していたのですがデータを紛失してしまい、本当に悔やまれます。これも人事に併せて提出したかった。

①のフラグは4月の時点で7割点灯、6月の時点で全点灯という感じです。

病気休暇期間が過ぎると9月になり、食品衛生とは異なりますが、いちおう外回りのできる医薬環境衛生という係に異動になりました。
民泊や薬局、診療所、理美容所などの許認可を行う部署です。

しかし、時すでに遅し。これだけことが大きくなるともう今更感しかなかったです。

病気休暇のまま9月に辞めても良かったですが、一緒に課長と戦ってくれた係長への義理、そして12月のボーナスもあって、年度末まで勤めきって辞めるように考えました。

長くなりそうなので一旦ここで切ります。

②所有資産の個人的目標を超え、経済的自由が達成できたと判断した

については後編にて書きます。





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