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This is Me

宮﨑喜美乃の活動やプロフィールについてまとめたページです。

公式プロフィール
宮﨑 喜美乃/ Miyazaki Kimino
1988年12月12日生まれ。山口県出身。小学1年生からランニングをはじめ、高校・大学では駅伝部に所属し全国駅伝に出場。鹿屋体育大学大学院にて登山の運動生理学の研究に励み、その知識を元に、世界最高齢でエベレスト登頂を果たしたプロスキーヤー・冒険家の三浦雄一郎が代表を務めるミウラ・ドルフィンズに就職。現在も低酸素トレーナーとして高山病予防のための低酸素トレーニング指導を行う。
25歳(2014年)の時、現所属チームのTHE NORTH FACEからレースの誘いを受け、トレイルランニングを始める。登山とランニングの経験、研究データを元にしたトレーニングにより、わずか1年弱でUltra-Trail Mt. Fuji(STY)にて女性優勝を果たす。2018年から100マイル種目に力を入れ始め、2019年11月には中東のオマーンで開催されたOman by UTMBで女性3位入賞を果たした。

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以下、私の人生に沿って紹介していきます!

生まれてからずっとランニング人生

1988年の12月生まれの山口県下関市出身。走りだしたのは、ずっと昔のことで覚えていませんが、記憶上一番昔の思い出は小学生1年生の時のマラソン大会で1番をとって褒められたこと。そこから今31歳の歳まで走ることとは腐れ縁のように付き合っています。

中学:口にご飯入れたまま寝る

走るのが大好きでスポーツ少年団に入り週2日の練習が楽しみでしょうがなかった小学生の頃。毎日走れる”部活動”に憧れて入った中学の陸上では、毎日全力疾走。その結果、夕飯は口に入れたまま寝るし、お風呂に入る力もなく洗面所で寝てしまい、母親に怒られる毎日。笑

1500m:4分55秒(たぶん)

高校:本気で人生をかけた伝統校の駅伝

もっと強くなれるはず!と県内で最も有名な西京高校へ入学。合宿が大好きだった中学時代の想いをそのまま楽しみに寮に入り毎日走ることに向き合う。歴代ずっと全国高校駅伝に出場している伝統と集団生活の大変さにもまれながらも、この時代が無かったら今の自分はない、と言って過言ではない、濃厚な高校生活。

3000m:9分45秒(中国地方大会)
全国高校女子駅伝:2区ー5区ー5区
都道県対抗女子駅伝:2度出場(山口県代表)

大学:本当の意味で”駅伝”を知った駅伝部主将

実は入学の時点ですでにバーンアウト。どうしてもぬぐい切れなかった”結果を出すための努力”への恐怖。そんな想いを抱えながら、踠きながら、大学4年生の時に駅伝部女子キャプテンに自ら立候補。あえて責任をかけて戦った最後の杜の都駅伝は人生最高の思い出となった。

2010年杜の都駅伝6位入賞(九州初のシード権獲得)

大学院:走る以外の楽しみ”身体の仕組み”

走る以外に興味を持つことがなかった私が、卒業研究をきっかけに出会った登山の運動生理学にどっぷりハマる。高校から陸上推薦のため、”筆記受験”に何度も失敗するものの、3度目の正直でやっと入学。劣等さを武器に、わからないことは全て聞く姿勢が研究とマッチし、朝から晩まで研究室にいるようになる。

登山医学会奨励賞受賞:年齢・性別との関連から見た一般登山者の脚筋力と脚パワーの特性:2016年

社会人:田舎者から形だけの都会人生活

卒業論文が低酸素をテーマ、大学院生最後の年に三浦雄一郎に出会う。そう言った偶然から、今の会社ミウラ・ドルフィンズに入社するため上京。オフィスのある新宿にヘロヘロになりながら満員電車に乗る。3年後には、ゴールドウインの新たなブランドであるNEUTRALWORKS.での低酸素トレーナーとして、スポーツの聖地外苑前のお店に出向。田舎の街から出てきた私はめくりめく日々にただただ全力投球な5年間。

トレランきっかけ:団体戦の楽しさを再び

めくりめく生活の中、入社1年目に現所属チームのTHE NORTH FACEからレースの誘いを受け、トレイルランニングをスタート。初めてのレースはハセツネCUPのチーム戦(3人1組の総合タイムで順位を競う)。下りが怖くてゴール後の睡眠時に何度も夢で襲われるくらいビビりながらも、久しぶりにチームで戦うことの楽しさを実感し、次のレースの誘いも受けることに。そのレースがIzu Trail Journeyであり途中までトップを走るというルーキー風が話題となり、注目されることに。

当時の記事:https://www.mtsn.jp/sp/news_article.php?id=328

100mileへ:STYでの活躍からくすぶる3年間

トレラン歴1年も経たない2015年のUltra-Trail Mt. Fuji(STY)にて女性優勝を果たしトレイルランニングの取材が増加。一方で、トレイルとロードとのダメージの差を認識できず怪我で3年ほど低迷。2018年から念願の100マイルにチャレンジ開始(UTMF8位:New hero賞獲得)、2019年11月には中東のオマーンで開催されたOman by UTMBにて女性3位入賞でゴールすることができた。

2015年:STY(50mile)女性優勝
2016年:SPATRAIL(50mile)女性優勝
2017年:Aso Round Trail (108km)女性準優勝
     Andorra Ultra Trail(Mitic 112km)女性9位
2018年:UTMF(100mile)女性8位:NewHeroine Award 受賞
      Hasetune Cup (50mile)女性準優勝
2019年:Oman by UTMB 170km (100mile)女性3位

私にとっては走るとは

怪我や挫折の多い人生。生涯に自分を褒めてあげたいと思えたレースは1度切り。それでもなお、今走ることを続けるのは何故か。何故ロードではなく、トレイルの世界で走るようになったのか。圧倒的に私の脳裏を埋め尽くす答えは、自分には”走ること”が一番輝けるポジションだと確信している、それがこれからも走る理由。

これからやっていきたいこと

走ることを通してもっと自然を知りたい。これが1番の意味興味を持っていること。2019年の12月THE NORTH FACE Japanの全アスリートが集結するathlete summitにて、石垣島のゴミ拾いを実施。当時の私は環境問題に無頓着。しかし研究と同様、聞いたこともないワードに興味津々。自分たちが遊ばせてもらっている自然をどうやったら守っていけるのか、おかげで興味を持つようになった。

できることから

走り続けることで出会えた友人とmagazineを作成することに。地球に優しい生き方としてさまざまな取り組みが進められている今、私たちにできることって何だろう?誰に言われるでもなく、自然と、楽しみながら続けられること。それをテーマに、植物の成長日記でもあり自分たちの成長日記も含めて綴っていく。

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