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継続は形を変えても、価値あるもの

毎日継続してnoteを書いています。

毎日続けると言っても、24時間noteのことだけを考えているわけではないですし、実際に書く行為は1日のうちで1~2時間くらいです。

こう考えると続けると言う行為には、必ず途切れる瞬間があるとわかります。
これを考えると、「継続」という行為には自然と途切れる時間が含まれることがわかります。例えば、1日のうち20時間以上はnoteを書いていない時間があります。
「継続」なんだけれど、途切れている。


今日は、研究室の学生さんが継続している美化活動グループの追い出しコンパに参加してきました。v

彼らは、2週間に1回、早朝1時間を使って大学近くの川沿いを美化しています。このペースで、彼らは数年間、一貫して活動を続けています。
2週間に1回というペースを、1ヶ月、1年、5年と続けています。

やはりこの活動にも、やっていない期間が開くことがわかります。

しかし、2週間に1回の活動を数年続けるということは立派な「継続」です。

このことからわかるのは、継続すると言った時に、行動と行動の間の期間に定めはないんじゃないかと思うんです。

毎日やろうと思っていて、1日できない日があって、間が空いてしまった。でもその次の日からまた行動できた。
当初の決め事通りではないかもしれないけれど、やはりこれも立派な継続だと思います。

あぁやっぱり今回も続けられなかったと落ち込む前に、もう一度行動してみる。
もしくは継続のハードルを下げてみる。

こうすると、「三日坊主なんです。。」「何をやるにしても続かなくて。。」ということがなくなるんじゃないかなと思います。

ぼくは、飽き性だな、すぐに興味が移り変わるなと自分のことを捉えていますが、振り返ってみると器械体操は20年ほど続けましたし、今の職場にも10年以上勤めています。

始めた当初は続けられるか不安でも、ゆるく考えて活動してみれば、いつの間にかしっかり「継続」していたと気づく日が来るかもしれません。

毎日のnote投稿も、いつかは毎日できなくなるかもしれませんが、それでも「継続」はできると信じています。

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