流れに乗ってみたら、想像以上だった

本番の後1週間経った今も、狐につままれたみたいで
不思議で仕方ない。
「舞台に立つこと」がダンスの目的ではなかった私が、初舞台を踏むに至ったか、いくつかの理由のひとつに、流れを感じたためもある。

結果的には舞台に立ってよかった、というよりはむしろ
経験すべきことだった」という印象が強い。

ダンスをやっている人でなくとも、「レッスンを受けているなら一度は舞台に立つ経験をした方がいい」と思うだろう。私も客観的にはそう思うのだが、それよりももっと「自分が満足したい、自己満足で全然オッケー!」に基準を置いていた。しかし満足できる気配は一向に無かった。

それが今回の舞台のお話を頂いたとき、私にとってこんなにいい条件、
こんな条件は他にはなかなか無いというものだったのだ。
いい条件というのは
● 入場無料=ノルマが無い、出演料が安い
● 全体的なルールがそれほど厳しくない
● 共演者がとてもいい方たち、ピリつく雰囲気はない
● 一番信頼している人が共演する
● 1日1公演のみ(もう1公演ぐらいあってもいいかなと後で思う)
● 衣装は今回たまたま曲の雰囲気からして、普段着で済みそう  など

私におあつらえ向きのハードルの低さ。ついでに何となくお断りできない雰囲気もあった。もうこれは「やれっ!」と何かに言われているようで、
時々ふっとよぎる、「これはそういう流れなのか?」と感じた。

本番後の周囲の人の反応も驚くことがいくつかあり、まだありそうだ。

例えば、昔の同僚で今も仲良くさせてもらっている友人がいる。彼女の仕事や取り巻く状況は彼女の良さが活かされておらず、彼女自身も辛そうなのだ。温厚で控えめで、日々の生活に追われてしまっている彼女は多分、受け身の姿勢が少しばかり強いのかもしれない。私はいつももったいないと強く感じていたものの、生活することに一杯いっぱいの彼女に、些細なアドバイスしかできず、それでも彼女は元気になりました、と云ってくれる。

そんな彼女は普段ダンスを観る機会はほとんど無く、私の本番は観られなかったが、動画があれば送ってほしいとのことで、私は恥ずかしながら
彼女に送った。すると彼女は「いろんなダンスを見に行きたいと思った!
ウキウキすることが最近なかったことに気がついた」と云った。

私はそれを聞いて嬉しい以上に、彼女に観るだけではなく、もっと
何かをやる側になってほしくて、心からの声を伝えた。

もし日々つまらなさを感じてるなら、通勤する道を変えるとか、体を洗う順番を変えるとか、そんな些細なことでもいいから何か変えてみたらどうだろう。そんな些細な変化が雪だるま式に大きな展開をする可能性が無いと言いきれるだろうか。何がどうなるかはわからないのだから、どんな些細なことも、やろうと思ったらやってみたらいい。

なんて内容を偉そうに勢いづいて、つい云ってしまった。
友人から「ウキウキすることを探してみる!考えるよりやってみる!」と返信をくれた。

一瞬「ちょっと良いこと云った!」なんて思ったが(笑)、これは紛れもなく自分への言葉だ。この人に伝えたいと思うことが、結局自分への言葉。
よくある。やっぱり周囲の人は自分の鏡ということか。
(ちょっと内容が脱線)


流れに乗った結果は予想以上に得たものが多かった。自分がやったことが周囲の人の何かしらのきっかけになるなんて、まさに私が本番直前に掲げた「私の目指すダンス」の理想のリアクションが結果的に起こった。

基本的にはこうしたいなという理想は掲げつつ、
同時に流れに乗ってみることもアリ

自分の意志や理想に沿って突き進みながらも、理想に固執することなく、
ぼんやりと掲げるぐらいにしておいて、流れに乗ろうかなと。そしたら自分の思う理想以上のところに行くこともあるかもしれない。
自分だけの好みや考えで行動する結果には、ある範囲を超えない気がする。

完成図が先にあってひたすらそこに向かって描き進めれば、完成図が完成し、達成感はあるかもしれないけど、サプライズや発見は大して無さそう。でも、完成図をあえて作らず、流れに身を任せることで、思ってもみない完成図になって、びっくりしてみたいと思っている



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